1) 作品からの引用は Hofmannsthal, Hugo von: Saemtliche Werke. Kritische Ausgabe. Hrsg. von Hans-Albrecht Koch. Frankfurt am Main (Fischer) 1976. 26. Bandに拠った。以下、同書からの引用は本文中に頁数のみを示す。
2) Hartmann, Rudolf: Richard Strauss. Die Buehnenwerke von der Urauffuehrung bis heute. Muenchen (R. Piper & Co.) 1980, S.186.
3) Wilhelm, Kurt: Richard Strauss persoenlich. Eine Bibliographie. Muenchen (Kindler) 1984, S.306.
4) Ebd.
5) Strauss, Richard/ Hofmannsthal, Hugo von: Briefwechsel. Hrsg. von Willi Schuh. 5. Aufl. Zuerich/Freiburg (Atlantis) 1978, S.660.(以下、S/H Briefwechsel と省略)
6) Ebd. S.662.
7) Ebd. S.663f.
8) ホーフマンスタールの作品を語る際に避けて通れないのが「前存在Praeexistenz」だが、これついてはエーミール・シュタイガーがわかり易く説明をほどこしている:「もともとはPostexistenz(死後の存在)に対して、肉体に入る以前の魂、つまり『前世の存在』を意味する言葉。ホーフマンスタールにおいて、それは自我と世界全体との神秘的な同化という美的な世界、真のエクシステンツExistenzの生まれる以前の『輝かしいながらも危険な状態』であるとされる。彼は晩年の断片的メモ『自己省察』( ad me ipsum )においてはじめてこの言葉を用い、過去の作品を通して自己の内的体験を分析している」(『音楽と文学』芦津丈夫訳)。晩年のホーフマンスタールは、結婚によって社会との繋がりを持つことができる、即ち真のエクシステンツに至ることができると考えていた。つまり、ここでアラベラがマンドリーカの求婚をしっかりと受けとめられずにいるということは、「前存在」の状態に留まったままと考えられるわけである。
9) 野口 方子: オペラ《アラベラ》に見るシュトラウスとホーフマンスタールの共同作業 ――ライトモティーフが敷衍する音と言葉の関係 ―― 〔武蔵大学人文学会雑誌第23巻第四号、1992年、13〜41頁〕参照。
10) Rech, Benno: Hofmannsthals Komoedie. Verwirklichte Konfiguration. Bonn (Bouvier) 1971, S.59.
11) Hofmannsthal, Hugo von/ Pannwitz, Rudolf: Briefwechsel 1907-1926. Hrsg. von Gerhard Schuster. Frankfurt am Main (Fischer) 1993, S.34.
12) Volke, Werner: Hofmannsthal. Reinbek bei Hamburg (Rowohlt) 1967, S. 135.
13) Hartmann, a.a.O., S.186.
14) 1998年9月19日〜23日の東京・初台の新国立劇場での上演(新国立劇場・二期会オペラ振興会共催公演、若杉弘指揮・東京都交響楽団による演奏)では、第二幕と第三幕が続けて演奏されたが、この場面転換は新国立劇場の舞台機能を「見せる」目玉の一つとなっていた。
15) Birkin, Kenneth: Richard Strauss Arabella. New York (Uni. of Cambridge) 1989, p.106f.
16) 「昼のアラベラ」「夜のアラベラ」については、詳しくは野口の前掲論文か、1998年新国立劇場・二期会オペラ振興会公演プログラム『アラベッラ』所収の「昼のアラベッラ・夜のアラベッラ ―― アラベッラとズデンカの相互変容」(野口・文)を参照されたい。
17) S/H Briefwechsel, a.a.O., S.639.
18) Hofmannsthal, Hugo von: Saemtliche Werke. Kritische Ausgabe. Hrsg. von Ellen Ritter. Frankfurt am Main (Fischer) 1975. 28. Band. S.79.
19) これらのことは、野口の前掲論文か、二期会公演プログラムの寄稿文を参照のこと。
20) Dieckmann, Friedrich: Zweimal Arabella. In: Neue Rundschau. Vol. 85. Berlin (Fischer) 1974, S.96-112, hier S.98. Birkin, a.a.O., p.134.
21) ディークマンが、『アラベラ』とヴァーグナーの『ローエングリン』とを比較しているのは根拠のないことではなく、シュトラウス自身、ホーフマンスタールに宛てた1928年5月9日の手紙の中で『ローエングリン』を引き合いに出している。
22) Dieckmann, Friedrich: Visionen des geloesten Lebens vom Werdegang eines Operntextes. In: Aufsaetze und Kritiken. Berlin (Aufbau) 1977, S.75-103, hier S.94f.
23) Vgl. Roesch, Ewald: Komoedien Hofmannsthals. Die Entfaltung ihrer Sinnstruktur aus dem Thema der Daseinsstufen. Marburg (Elwert) 1963, S.218.
24) また、レッヒが次のような興味深い指摘をしている(Rech, a.a.O., S.60f. Anm.31)。それによれば、「ズデンカ、あなたのほうが私よりも優れているのよ」に始まるアラベラの言葉は、ズデンカに向けられていながらもその声の調子や態度には殆ど変化を見せず、つまり直接語り掛ける相手はズデンカのままだが、マンドリーカへも向けられて行くというのである。ズデンカに向けられた言葉の底にマンドリーカへの語り掛けも含まれた深いこの言葉について、レッヒは「もしこの作品がオペラではなく戯曲であったなら、このアラベラのセリフは物語のこの状況において、まことに高貴に響いただろうに」と述べている。ここでレッヒは、具体的に発話される言葉には現れない隠れた意味をも示唆し得るはずの音楽が、このアラベラの言葉の深層性を却って損なってしまっていると言いたいのであろうか。
25) S/H Briefwechsel, a.a.O., S.655f.