「現代の音楽」と言ったら、クラシックの場合は調性と機能和声の役割が怪しくなってきた頃以降の新しげな音楽を指すわけだが、これらの音楽が年代的に古いものから順番に古びていくわけではない。たとえば、ブーレーズの「レポン」は今年ようやく日本初演が行われ、その公演自体が大英断であったことは間違いないが、どうしても「季節はずれの」前衛音楽といった印象が残る。一方、アイヴズやラグルズといったアメリカ非アカデミズム系作曲家には古びたという感じが全くしない。今でもバリバリと力強く不協和音を奏でてくれる元気のモトである。クリストフ・フォン・ドホナーニとクリーヴランド管の新譜は、アイヴズ/ニューイングランドの3つの場所、オーケストラ・セット第2番、そしてラグルズの代表作、サン・トレダー(太陽を踏む者)と「人と山」他を収めている。貴重なのはカール・ラグルズのほう。アイヴズと同年代に生まれた作曲家で、自己批判の精神の強い人だったのか寡作家である。しかも1曲の長さがいずれも短いため、かつて「カール・ラグルズ全作品集」がLPわずか2枚で出されていた(ティルソン・トーマスの指揮でレーベルはCBS。いまだにCD化されず、残念なことに未聴)。不協和で力強く険しい音楽がなんともカッコいい。このCDに収められた「ニューイングランドの……」と「人と山」が、1931年のある日ニューヨークで演奏されたとき、ラグルズの作品にはブーイングが飛び交った。ブーをその場で耳にしたアイヴズは聴衆に対して抗議の言葉を叫んだという。なぜこのような立派な音楽に、人間らしく耳を使わないのか、と。
ちなみに英文解説にもあるように「人と山」とは次のウィリアム・ブレイクのエピグラムに由来する。「人と山が出会うとき、偉大なことが為される。それは街の中の混雑からは生まれない」
Dohnanyi/The Cleveland Orchestra :DECCA 443 776-2 国内盤は近々ポリドール(ロンドン)から
休日の午後、な〜んにもすることがなくただリラックスしたい時(滅多にないが)、あるいは深夜に冴え冴えと意識が覚醒している時(これはときどきある)、ぜひ聴きたいのがモンポウのピアノ曲「ひそやかな音楽」(Musica Callada)。これはコンサート会場で聴く音楽ではない。作曲者自身が「自分のために書いた」という、私的な音楽だ。Book1から4まで計28曲、いずれも短く、そしてほとんどが遅い曲。穏健。近年評価が高まりつつあるフェデリコ・モンポウは1987年に没したスペインの作曲家である。スペイン……といってもバルセロナ、カタルーニャ人だ。グラナドス、モンサルバーチェ、アリシア・デ・ラローチャらがそうであるように。
ピアノはヘルベルト・ヘンク。WERGOレーベルでの現代音楽の演奏で知られる。ECMらしいセンスのいいジャケットはヒーリング・ミュージック系。
モンポウ/ひそやかな音楽 ヘルベルト・ヘンク(p) ポリドール(ECM)
マヌエル・デ・ファリャは日本であまりに不当に低い評価を受けているのではないかと最近思っている。「恋は魔術師」や「三角帽子」はあたかも学校の音楽鑑賞授業用教材か、ホームミュージックかのように扱われていないか? とんでもない! 彼はエンタテインメントの精神と洒落っ気を兼ね備えた偉大な作曲家だ。まずはチェンバロ(クラヴサン)協奏曲。かのワンダ・ランドフスカがスペインを訪れたときに着想された、規模の小さな(編成も長さも)曲である。スペインの民族的色彩は後退し、ストラヴィンスキーかと聞き違えるかのような新古典主義的なシンプルさと洒脱さを満喫させてくれる、20世紀を代表するチェンバロ協奏曲だ。チェンバロを使うという擬古バロック調のフェイクなセンスもいい。ファリャは1907年から1921年までパリに滞在していた。この曲はスペインに帰った1926年の作品。ストラヴィンスキーがバッハやヘンデルに接近した時代とそう違わない(管楽八重奏曲が1923年初稿、ピアノと管楽器のための協奏曲が1924年に初稿)。はたしてこの二人は接点は……。
一方の「三角帽子」全曲は、打って変わってラテンの香りをぷんぷん匂わせる最強のエンタテインメントだ。一瞬にして粉屋の愛の物語へ聞き手を引き込むイントロダクション、セギディーリャの波打つような躍動感溢れるリズム、フィナーレのホタの豪華絢爛な通俗性。
こんな二つの作品を残しているファリャを、天才と呼ばずして何と呼ぶ。Edmon Colomer/JOVEN ORQUESTA NACIONAL DE ESPANA, Muntada(S),Millan(cemb)etc(仏AUVIDIS VALOIS / V4642) ちょっと発売から時間が経ってます
クリストフ・ルセは1961年生まれのチェンバロ奏者。この若さにしてすでにラモー、クープラン、J・S・バッハなどで数多くの録音を残し、高い評価を受けている。風貌の精悍さも含めて「古楽界の若きスター」と形容するに相応しい。で、ゴルトベルク変奏曲である。アリアからかなり不均等にリズムを割って弾いているあたりはリスナーにとっての試金石みたいなもので、古楽ファンなら驚きはしないが、現代ピアノからバッハに入ってきた人間には最初は必ず抵抗があるはず(ルセの演奏に限った話でもないかもしれんが)。これをカッコいいと思うか、歪んでいると感ずるかどうか。ピアノ・オンリーでバッハに接していると、まずこういった弾き方は思いもつかない(真似して弾いても特に装飾音を入れるとこなんかで躓きそう)。ピアノの「ゴルトベルク」はもはや誰が弾いても聞き手はグレン・グールドの呪縛からは逃れられないが、チェンバロでは「もう一つの(と言うか歴史的には本来の)」バッハを素直に受け入れられる。ピアノからバッハに入っていった僕にとっては、昨年発売されたアンタイ(Opus111)と、このルセが2大最強チェンバロ・バッハだ。第16変奏(ト短調のヤツ)から盛り上がりまくりの第17変奏に入る瞬間とか、最後の第30変奏からアリアが再び戻ってくる瞬間といった、感動のツボを強烈に突いてくれて涙。Christophe Rousset(cemb) L'OISEAU-LYRE 444 866-2 (国内盤は近々ポリドールから)
ラミレスっていうアルゼンチンの作曲家、知ってます? 三大テナーの一人、カレーラスがLDを出した、しかも収録にいたるまでのドキュメンタリーつきとなれば、カレーラスのファンが必見なのは当然。しかし、これはラミレスの視点から見たときに、よりおもしろいのでは?普通は、ミサといえば「キリエ・エレイソン……」の典礼文で始まる。ところがこれはスペイン語の歌詞による。60年代に第2ヴァチカン公会議の決定を受け、スペイン、アフリカ、メキシコ、ブラジルなどで、それぞれの国の言語によるミサが作られた。その時にアルゼンチンで作曲されたのがこの「ミサ・クリオージャ」。編成は異様だ。民俗楽器からなるフォルクローレのバンドと合唱団、独唱1名、ピアノまで入る。古今のミサを知るクラシック音楽のリスナーにとっては、未知の、しかし民族色溢れる親しみやすい音楽である。なにしろフォルクローレの連中ときたら、音楽の表情に合わせて歓喜も哀悼も、体を揺すりながら顔いっぱいに表現する。これがミサなのかっ!
かつてこの曲がCDで同じカレーラスによって録音され大ベストセラーになったことなど僕は知らなかったし、ミサがラテン語ではなくスペイン語で歌われるということへの驚きも実感することはできないが、「ミサ・クリオージャ」という曲の素晴らしさだけはよくわかる。ただし、ドキュメンタリーはカレーラスのスチュワーデス失敗ナンパ・シーンなどを収録して笑えるものになっているが。
ホセ・カレーラス、ヘスス・ガブリエル・セガーデ指揮アルゼンチン・バシリカ・デル・ソコーロ合唱団他 マーキュリー(フィリップス) PHLP4816
大戦によるドイツの荒廃に胸を痛めて書かれたR・シュトラウスのメタモルフォーゼン(ベートーヴェンの「英雄」の葬送行進曲をテーマに変奏させていることで有名)、バーバーの弦楽のためのアダージョ、エルガーの弦楽オーケストラのためのセレナーデ、同じくエレジーを収めたという一枚。ガット弦を用いた、同時代楽器の演奏で知られるスミソニアン・チェンバー・プレーヤーズの演奏というのがミソ。このところ「アダージョもの」「鎮魂もの」のオムニバスCDがいくつも出ているが、それらとは選曲のセンスの良さ、そして「メタモルフォーゼン」のために7〜26トラックを音による譜例(解説書にもちゃんと印刷されている)にあてるといった凝った作りで一線を画している。ジャケットもドイツ・ハルモニア・ムンディとは思えない現代的でcoolなもの(戦火を被ったドイツの街並みなのか?)。譜例まで付いているのだから複雑精緻な「メタモルフォーゼン」がもちろんメインなのだが、バーバーのアダージョが最高。ヴィブラートつやつやのロマンティシズムではなく、乾いた切実な祈りの音楽だ。毎日のおやすみ前にどうぞ。何回でも聴けます。ケネス・スロウィック指揮スミソニアン・チェンバー・プレーヤーズ 国内盤はBMG(ドイツ・ハルモニア・ムンディ)
録音嫌いで知られるチェリビダッケも、なぜかレーザーディスクには寛容だ。バレンボイムとの共演などいくつかの映像が発売されているが、このディスクには「新世界より」の演奏に加えて、チェリビダッケの素顔をとらえたドキュメンタリーが添えられている。オーケストラとのリハーサルでは個々の楽器のバランスなどについて非常にわかりやすい具体的な指示を出す一方で、「音楽とは何か」といった抽象的なテーマについて禅問答的な問いかけも行う。ジョークも多い。若い学生とのマスタークラスではこんなシーンがある。弦楽合奏を前に「これから私の振る棒にあわせて弾いて欲しい。ただし何を弾いてもいい」と楽譜無しの指揮をする。当然、まったく不協和な音が出てくるが、学生達は巨匠の棒に忠実であり、動と静の対比によって音楽的な表情付けは生まれる。このデタラメ「新ウィーン楽派」風の即席音楽を弾かせた後で、チェリビダッケは言う。「すばらしい音楽だ。故シュトゥッケンシュミットがこれを聴いたら、最高に知的な曲であると評したであろう」。学生達は爆笑するが、チェリビダッケのジョークは可笑しさとともに誰かを傷つける毒を持っている。
セルジュ・チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル ワーナーミュージック(テルデック) WPLS4028 8/25発売予定
1912年、豪華客船タイタニック号は乗客2201名を乗せて、北大西洋に沈没した。生存者は711名。この悲惨な事故はあまりに有名だが、その時、沈み行く船の中で、最後の瞬間まで楽団員たちは賛美歌を奏でていたと伝えられる。この逸話がインスパイアされて作曲されたのが「タイタニック号の沈没」だ。現代イギリス作曲界にあって、ジャンルを超えてカルトな人気を呼んでいるギャヴィン・ブライアーズの代表作だ。ブライアン・イーノのオブスキュア・レーベル発足時にもこの曲は録音されており、今、再びポイント・ミュージック・レーベルより新たにリリースされている。この上もなく耽美なこの作品、深々とした嘆息と不思議な安らぎを与えてくれる名作だが、耽美なだけに気恥ずかしい曲でもあり、夜中に一人で聴くのが吉。レコード店ではクラシックに分類されるとは限らないので要注意。9月には東京で作曲者とギャヴィン・ブライヤーズ・アンサンブルによる演奏会が予定される。「タイタニック号の沈没」と「イエスの血は決して私を見捨てない」の2公演。輸入盤では昨年より店頭に置かれているが、来日を機に国内盤でも発売され入手が容易になった。
ギャヴィン・ブライヤーズ/タイタニック号の沈没 マーキュリー(ポイントミュージック) PHCP334 9/6発売予定
不世出の天才ピアニスト、グレン・グールドの晩年の名録音「バッハ/ゴルトベルク変奏曲」に映像が残されていることは以前から知られていたが、ようやくLDおよびVHSになって昨年発売された。これにバッハのパルティータやフーガの技法、「20世紀の音楽」など、いろいろな映像が付け加えられている。最大の特徴はグールドの良き友人である映像作家ブルーノ・モンサンジョンによる編集であるということ。単にグールドの演奏が並ぶのではなく、映像はホスト役のモンサンジョンとピアノの前に座ったグールドとの対話によって進行される。その会話が最高におもしろい。「バッハの平均律にプレリュードは不要だった」「ベートーヴェンのソナタは空虚でつまらん作品だ」といったグールドの挑発的な発言は期待通り。その一方で、バッハのパルティータについて1曲ずつその性格を述べてゆくところなどはわかりやすく、音楽への理解を深めてくれる。グールドが「平均律」の中でどのフーガを最も愛しているか、そしてそれがなぜなのか、知りたくありませんか? こういった話題が出るのも深夜の長時間電話友達の一人であるモンサンジョンとの対話であるからこそ。グールドは主要なバッハの鍵盤作品(チェンバロ作品)の内、「半音階的幻想曲とフーガ」、この1曲だけをCDに録音していない。モンサンジョンがなぜこの曲を弾かないのかと尋ねると、グールドはその幻想曲の前半を弾きながら語る。
G:「と、こんな調子であとは同じ和音が延々続く。だからもう弾かなくてもいいよね。この曲はバッハ嫌いの人向けのバッハとも言えるんじゃないかな」
M:「まあ、そんなこと言わずに最後まで弾いてくださいよ」
G:「じゃあ、しょうがない。これが僕のこの曲の生涯で最初で最後の演奏だからね」そう言って弾き始めるが、その没入ぶりは「嫌いな曲を弾くピアニスト」のものとは到底思えない。グールド・ファンにとって、この演奏が「幻想曲」までで終わり、肝心の「フーガ」が演奏されていないのは本当に惜しい。
「ゴルトベルク変奏曲」では、よく知られたあの演奏を目で見て確かめることができる。奇跡的なタッチのコントロール、ペダルの使い方も見どころ、そして「片手が空いているときはその手で、もう片方の弾いているほうの手を指揮する」という伝説も。昔、このグールドの「ゴルトベルク変奏曲」に感銘を受けたロジェストヴェンスキーが、ビデオをモスクワ音楽院の生徒たちに授業で見せたという逸話がある。指揮科の生徒たちにその表情豊かな左手の指揮を見せるために!
「ザ・グレン・グールド・コレクション2」バッハ/ゴルトベルク変奏曲(81年)、フーガの技法より、パルティータ第4番、半音階的幻想曲とフーガより、スクリャービン/2つの前奏曲、ヒンデミット/トランペット・ソナタ他 ソニークラシカル SRLM1082/3
その後、読者の方からいただいた情報によると、「半音階的フーガと前奏曲」の通した録音があることがGlenn Gould Foundationにより確認されているとのこと。期待超高まる。
もう一つゴルトベルク変奏曲の話題を。かつてヴァイオリニストのシトコヴェツキは弦楽三重奏版のゴルトベルク変奏曲を発表したが、今度は弦楽合奏版の登場である。編成が大きくなった分だけロマンティシズムが前面に出ており、この曲の隠れた魅力を掘り起こしてくれる。もし敬虔で厳格なバッハ像を求めるならこのディスクは止めた方がいいが、どんな複雑な曲でも「ながら聴き」ができるタイプのファンなら一聴の価値あり。とにかくピアノやチェンバロで聴き親しんでいるアリアと変奏曲ががらりと違った雰囲気を持って聞こえてくる新鮮さが最大のウリ。バッハ/ゴルトベルク変奏曲弦楽合奏版 ドミトリー・シトコヴェツキ指揮NES室内管弦楽団 ワーナーミュージック(ノンサッチ) 国内盤・輸入盤ともに発売中