文=大島早由里
(soshima@wg.com:2bite文字不可)
ニューヨークのメトロポリタン・オペラ。この世界有数の豪華絢爛オペラ・カンパニーへ、アメリカの田舎ノースカロライナ州から出向いた折りのバックステージ・レポート。表舞台の「アイーダ」を差し置いて、公式バックステージ・ツアーから楽屋コネ潜入まで、来日公演間近のメトの裏側に(?)迫る。
■ほとんど毎日公演。働き者オペラハウス
リンカーン・センターの一角にあるメトロポリタン・オペラハウスは、立見も含めるとそのキャパシティは約4000席。通常公演のチケットは25ドルから190ドルまでで、日本の6万円から比べると大分安い(まあ、引っ越し公演と比べちゃいけないんだけど)。シーズンは10月から5月まで、日曜とクリスマス、感謝祭を除くほぼ毎日公演がある(土曜日はマチネーと夜の2公演)。12月から5月まで、毎週土曜日のマチネーは全米、カナダ、ヨーロッパなどに、ラジオで生放送されている。
人気公演のチケットは結構取りにくいので、早めの予約が必要。もっとも、「チケット買ってないけど、どうしてもメトを観たい」という旅行者の方には立ち見席という手もあり。これは毎週土曜日の午前中に一週間分まとめて売り出される。あるいは、時々入り口に余ったチケット売りたい人が立っているので、こういう人に話し掛けるのも手かと。
■顔パス厳禁のステージ・ドア
メトの正面入り口には、ボックス・オフィスやオペラショップがあって、なかなか華やいだ雰囲気。ヨーロッパのオペラ座のように重厚な建物ではなく、近代的で、なんだか高級ホテルのパーティー会場みたい。
そんな正面入り口から階段を降り、一度駐車場に出た左手の奥に、メトのステージ・ドアに続く細い通路が。オケのメンバーや出演者は、65番街のジュリアード音楽院の方から来ることもあるので、追っかけ系の人々がサインをねだるのにはここが最適かと(笑)。
ステージ・ドアと書かれた入り口に入ると、まず制服を着た警備員が厳めしく座って、中に入る人をすべてチェック。さすがニューヨーク、警備はかなり厳重。その先に入るためにはメトの発行した身分証明書がないとダメで、出演者を装っても入れてくれません。マエストロでも「こんちはー」って言いながら顔パス、なんてできないの。
■鋭意作成中!大道具製作室
まずはバックステージ・ツアーで見た、劇場としてのメトをご説明。
メトの楽屋裏は地上4階、地下3階の7フロアからできている。一番上の4階は大道具の製作室。ここでは舞台の背景に使われるさまざまなセットが制作されている。そこらじゅうに角材や梯子、工具などが散らばっていて、ほとんど町工場状態。それらの障害物を避けながら進むガイドさんについていくと、大工さんが何やら制作中。ガイドが「彼らは来年の新作The Rake's Progressのセットの制作をしています」と自慢気に説明すると、当の本人たちは、「これはワルキューレだよ」(笑)。確かワルキューレは数日後には公演があったはずなのに、今ごろ大道具を組み立てていて大丈夫なのだろうか。うーん。
この他、この階には背景画の制作室や、衣装のペイント室などがある模様。
■コスチューム・デパートメントってのは
3階は照明部、なんだけど、危険だということでツアーは無し。ここをとばして2階に行くと、そこは衣装を制作するコスチューム・デバートメント。主演クラスから始まり、コーラス、カバーと呼ばれるスタンバイの歌手など、舞台に立つすべての出演者の衣装はここで制作されてる。通常のオペラの制作費の半分以上は衣装代が占めるのもこれを見れば頷けるというもの。廊下にはズラリと衣装が釣り下げられていて、ツアー参加者も触れることができる。衣装は歌手の体型に合わせやすいようにファスナーなどを使わず、ホックや紐を多用。持ってみて驚いたのは、衣装はみなとても重いってこと。一見普通のドレスなんだけど、普通のコートの2枚分位ありそう。発熱するライトに照らされてこれを着て、それで会場に響き渡る声で歌わなくてはならないのだから、オペラ歌手というのも重労働ですよねー。
その他、ここにはカツラの制作部もあり。
■ウワサの大ステージ、そして歌手の楽屋
1階にあるのは、もちろんメトご自慢のステージ。客席から見えるメインステージは約20メートル四方といったところなんだけど、その左右と後方にも同じサイズのステージがあり、さらにメインステージの下にも地下ステージがあるので、メトには合計5つの舞台がある。さすがメト。それぞれはほぼ同じ大きさだけど、後方ステージだけは回り舞台になっていて、「セビリアの理髪師」などに使われる。
バックステージ・ツアーは開演の数時間前に行われるので、舞台上は組み立てで激忙中。私が見たときは「ラインの黄金」のワルハラを準備していた。
出演者の控え室は客席から見て右側の舞台の奥の方に。大きさは5メートル四方位で意外と広くない。小さなピアノとドレッサー、バス・ルーム付き。また、メトのほとんどの部屋には窓がないんだけど、アムステルダム・アヴェニューに面した歌手の控え室と、総支配人の事務室だけは例外だそうです。同じ作りの控え室がいくつかあって、向かって左側から、ソプラノ、テノール、メゾ・ソプラノ……と声の高さによって、厳密に決まっているらしい(何の意味があるのかは良く分からないけど)。
コーラスやスーパーと呼ばれる歌わない役者たちは、大部屋を使う。またここには、休憩室もある。
■リハーサル・ルーム
ツアーはこの他に地下3階(Cレベルと呼ばれてる)のリハーサル室の窓から中を覗いたり(「蝶々夫人」のリハーサルをやっていた)、客席に回って自慢のホールやオケ・ピットを見たり。全部で2時間近くかかるので、結構疲れるけど、オペラや演劇の好きな人はかなり楽しめるはず(ただしガイドは英語なので、多少の語学力が必要なのが難点か)。このツアーは平日午後3時45分、土曜日は午前10時(日曜はお休み)開始で、ハウスの使用状況によっては無いときも。ですから基本的には予約が必要(Tel 1-212-769-7020)。人数に余裕があるときは当日直接行っても入れてくれることもあるようです。
■さらに、地下世界へ潜入!
さて、ここまでは誰でも参加できるバックステージ・ツアーの内容。今回はこの他に知り合いに頼んで、ツアーでは回らない部分も見せてもらったので、以下にその特別レポートを。
舞台に出る出演者の控え室は1階だけど、指揮者控え室やオーケストラのメンバーの更衣室は、地下1階、Aレベルにある。
オーケストラの更衣室は右側のサイド・ステージの下に。ここはオーケストラの世界なので、開演前や幕間の休憩時間でも舞台衣装を着た人を見ることはあまりない。燕尾服の人々がたむろ。ただし「アイーダ」の場合には、2幕の凱旋行進曲などで、6本のトランペットがステージ場に位置するので、エジプト兵士の格好をしなければならない。この辺が、オペラ・オーケストラと、交響楽団の違いですね。
更衣室の隣りには、オーケストラ・マネージャーの事務室があり、通路を挟んだ向かい側には指揮者控室。
■やっぱり広かった。指揮者控え室
豪華絢爛オペラ、メトだけあって、指揮者控え室はかなり広い。1階にある歌手の控え室の倍はありそう。革張りの応接セットなどがあり、居心地満点。当然ピアノも備え付けられている。小都市の市民会館の楽屋とはさすがに違う。ピアノの脇に小さな冷蔵庫があり、興味津々で開けてみたら何のことはない、ダイエット・コークなど、ソフトドリンクが少しだけ入っていた。
奥の方にはこれまた大きくて、とてもきれいなトイレとシャワールームが。また、一面の壁が木製の上品なロッカーになっていて、各指揮者に割り当てられている模様。控え室自体はレヴァインを含め、全指揮者共通なんだけど、このロッカーは各個人専用。おそらく中にはきっと燕尾服とか、ステージ用の靴などがあるのではないかと。
床は赤の絨毯張り。ふと気がつくとなんと3センチ位あるチェバネゴキブリが、のたくっているではないですか(笑)。天下のメトもどうしたことかと驚く反面、室内とはいえ厳冬のニューヨークでも生きている生命力の強さに感心(している場合か)。きっとこいつはオペラが好きに違いない、と思って見ていると、このゴキブリ君は不穏な空気を察してか、ピアノの下に逃走。
部屋の中を見回していると、隅にある棚の上の植木鉢の影に白い蝶ネクタイが隠してあるのを発見。どうやら忘れたときの非常用ネクタイらしい。蝶ネクタイと指揮棒は指揮者の忘れ物リストのトップで、各指揮者で持ち回り、なんていう伝統もあるという話。
■メトの財産はここ。ライブラリーへ
指揮者控え室から出て、客席最前列の下にあたる細い通路を通り抜けてメイン・ステージの下手側に回り、さらに一階降りて、楽譜を保管するライブラリーへ。図書館によく見られる移動式の書架に、メトのレパートリーのすべてが収められている。ここには、オペラの楽譜のことなら何でも知っていそうな、ライブラリアンのおじさんがいて、「アイーダのビオラのパート符、3幕Sの11小節前をちょっと確認したいんだけど」などと言うと、あっという間に出してきてくれる。100年を超えるメトの歴史の中でも「アイーダ」はかなり人気の演目なので(今シーズンの初日で1002回目)、指揮者用のスコアなどもうボロボロ。うっかりするとページの綴りが取れてしまいそう。
■みんなのたまり場、カフェテリア
ライブラリーから元の階に戻り、客席から見て奥の方に歩いて行くと、明るい照明ときれいな壁紙のカフェテリア。20ほどのテーブルがあり、楽屋に備え付けのカフェとしてはかなり上等。窓が無いことと少し天井が低いことを除けば、街中にあるカフェテリアとしても通用するのでは。
セルフ・サービスで、サラダバーやマフィン、ベーグルなどのパン類、何種類かある定食、多様なソフトドリンク類やコーヒー紅茶などなど、メニューはかなり充実している。エスプレッソが1ドルということから考えると、かなりリーズナブルか。
そして、何といってもこのカフェの一番の特徴は、流れている自前のBGM(世界一豪華なBGMですね)。本番中は当然ステージの音楽が流れ、昼間も現在進行中のリハーサルの模様を聴ける。時々「本日のアイーダ、開演30分前です。関係者スタンバイよろしく」なんてアナウンスがあり(もちろん英語です)、いかにも劇場という雰囲気。
ここを利用する人々は、オケのメンバーだけでなく、警備員さんからプログラムを配るお姉さんまでいろいろで、リハーサルが終わった後の歌姫などもくつろいることもある←後でシーズン・ブックレットを見て、隣にプリマドンナが座っていたことに気づいた。驚き。
■最後に
以上、来日間近のメトの舞台裏を紹介しました。バックステージには、日本に持って行くセットや衣装などがすでに梱包されていました。メトは上演に必要な全てのセットを持ち込むそうですが、巨大な劇場用に制作された物を、日本の小さな劇場で全て使うのは不可能なので、残念ながら多少は縮小せざるを得ないと思います。
ここまで読んでこられた方は、どうして単なるファンが楽屋に立ち入れたのか、不思議に思われるでしょう。実は私は91年のN響客演以来、アダム・フィッシャーさん(写真)の大ファンで、各地のコンサートに出かけていったり、ファンクラブ(といっても会費も義務も無し。私が一方的にメールを送るだけ)を主催したりしています。今回は特にお願いして楽屋に入れてもらいました。だから上記のレポートは、フィッシャーさんの後にくっついていって、体験したものです(私がお願いしても、ライブラリアンさんは楽譜を出してはくれません。念のため)。指揮者というととても偉そうな人物を想像しますが、実際はそうとは限りません。特にイタリア・オペラは歌が中心なので、歌手の実力を100%引き出せるように、ものすごく気を使っているのが端で見ていて良く分かりました。そのあたりについては、機会があればレポートしたいと思います。アダム・フィッシャーさんの人柄やコンサート・スケジュール、本人から聞いた面白いお話などは、ファン・クラブ・ホームページに載っています。順次更新していますので、こちらもよろしくお願いします。
最近少々日本と疎遠のアダム・フィッシャーさんですが、最新情報によると98年2月に都響に客演する予定です。プログラムはバルトークの「管弦楽のための協奏曲」やマーラーの交響曲第6番など。カッセルのマーラー・フェスティバルの主催者でもあるフィッシャーさんは、特にマーラーに大喜びで、今からとても楽しみにしています。(97/04/23)
PHOTO:Sayuri Oshima:フィッシャー氏の写真は本人許諾済み