アンドレ・プレヴィン あるがままの自然体で熟成した音楽を

文=山尾敦史

「まぁ、プレヴィンも落ち着いちゃったのねぇ……」
 隣の席に座っていた初老のご婦人が、感慨深げに漏らしたこのひとこと。時は1988年9月、ところは東京サントリーホール。音楽監督としてロスアンジェルス・フィルハーモニックを率いての来日公演。ご婦人のひとことを筆者は、自分の心のひとこととして聞いた。
 1970年代にはヤンガー・ジェネレーションの代表のように思われていたプレヴィンも、ロンドン交響楽団の主席指揮者を辞した後の80年代には、いきなり「円熟」という2文字をターゲットに据えたかのように落ち着いてしまったのである。日本でも70年代前半は新世代指揮者としてもてはやされていたプレヴィンだったが、後半になるとアバドやムーティらに押されてか、ひと頃は“使えない指揮者”とまで言われてしまう始末で、国内盤もまともにリリースされなかった時期があった。
 今となってはいい思い出……ではなくて、プレヴィン・ファンはあの時代の屈辱感をいまだに忘れてはいないのだ(どーでもいいが英EMI、エルガーの『エニグマ』やヴォーン・ウィリアムスの『タリス』、ショスタコの『バビ・ヤール』とか、早くCDにしてくれんか)。80年代に入りテラークから新しい録音がリリースされると、もうみんな手のひらを返したように円熟だの音楽が深くなっただの言いやがって。とまぁ、けっこうモヤモヤしていた時代にくだんの来日公演があったわけで、筆者自身も“落ち着いちゃったプレヴィン”をこの目で確かめつつ「むむむ、これでいいのか」という思いにかられていたのであった。

 現在のプレヴィンは、指揮者としてはもちろん音楽家として充実した時期にあると思う。ただしそれが正しく評価されているとは思えない。特に誤解の元になっているだろう要因が、彼の音楽がきわめてオーソドックスであること。日本では特に、誰それのスペシャリストであるとか有名オーケストラのチーフであるとか、もっとひどくなると「ベートーヴェンもきちんと振れない指揮者は……」「マーラー、ブルックナーを振らない人は……」という条件下で、演奏家に対する人気と評価が分かれているような気がしてならない(ひがみかもしれないけど)。ときにはエキセントリックな音楽をやったり神秘的だったりするだけで、人気が出てしまう人もいる。そのためかたとえばボールト、ケンペ、コリン・デイヴィスあたりは、いつまでもスターの仲間入りができない。もっとも<スター=実力者>という図式が成り立たないのは、ポップ・ミュージックでも実証されているわけだけど。

 で、プレヴィンもこの呪縛から逃れられずに、いまだ多くの人に「なんか演奏は良さそうだが地味だわなぁ」と思われているふしがある。しかし考えてみればその無作為ぶりが彼の美点でもあるので、ファンとしては心に余裕を持って「それがどうした」と反論しておきたい。だいたい彼自身がスタンドプレーやスター的扱いにまったく関心のない人なのである。完全に大岡越前や大石内蔵助方面、「やる時ゃやりまっせ」という職人タイプだ。レパートリーも少ないし、演奏会でもけっこう同じ曲を何度も取り上げたりする。録音だって『なんとか全集』を作ることなんかほとんどしない。もしあなたが音楽に<絶対的な確信(革新)>や<高まりゆく興奮><打ちつけられたようなショック>などを求めるなら、プレヴィンの音楽は無縁だろう。逆に<自然な美しさ><熟成したワインの味わい><幸福な微笑み>を求めるなら、プレヴィンの音楽と相性がいいはずだ。

 もうひとつプレヴィンという音楽家とつき合う方法として、指揮者以外のこと、つまり作曲家やジャズ・ピアニストとしての彼に接することも見逃さないでほしい。作曲家プレヴィンに接するにはバトル、マクネアー、ヨーヨー・マといったアーティストたちによるCDがいくつかリリースされている。決して聴きやすい曲ではないがこもれ日的な叙情があり、何回か聴くうちその美しさに引き込まれていく。ジャズ・ピアノでは50年代〜60年代の覇気のある演奏、90年代のメロディアスなアドリブが光る演奏、どちらも捨てがたい。また映画音楽方面もなかなかの聴きものがあり『マイ・フェア・レディ』『ジーザス・クライスト・スーパースター』などの編曲・指揮やMGMミュージカルの傑作『キス・ミー・ケイト』『キスメット』の編曲・指揮(後者は全編ボロディンの音楽を使ったことで有名)など、多くの仕事をCDで聴くことができる。

 最後におせっかいながら、ひとこと。プレヴィンはできるだけ実演に接してほしい。実演をいくつか聴いてみると、レコーディングではやや温度が低く感じてしまうことがある。特に80年代のテラーク録音は、ちょっと中途半端すぎないか。どうも筆者はこの時期のディスクを聴くたび「おいおい、それでおしまいかい」と突っ込みを入れたくなるのだ。それだけ実演では燃焼温度の高い音楽を聴かせてくれるから(筆者の経験では)。録音でプレヴィンを知ろうとする人は、EMI時代(60〜70年代)のはちきれた音楽、DG録音の地に足の着いた演奏をまず聴くべし。98年6月にはNHK交響楽団の定期にも再び登場するので、東京近郊の方はそちらもお忘れなく。指揮ぶりを見ると、彼の音楽づくりがよ〜くわかるからね。(97/12/19)





[HOME]
プレヴィン・オススメDISC
CDNOW
サンプル・サウンドとオーダー

(以下をクリックするとCDNOWで該当ディスクのサウンド・クリップ試聴とオーダーが可能です。ただし一部旧バージョンのブラウザには対応しておりません。


From Ordinary Things(プレヴィン作品集):マ(vc),マクネアー(S),プレヴィン(p)



R・シュトラウス/「薔薇の騎士」組曲、「インテルメッツォ」〜4つの交響的間奏曲:プレヴィン指揮ウィーン・フィル



コルンゴルト/交響曲、組曲「空騒ぎ」、プレヴィン指揮ロンドン響



オルフ/カルミナ・ブラーナ、プレヴィン指揮ロンドン響



「キスメット」オリジナル・サウンドトラック





■プレヴィン・ディスク一覧
(CDNOWのデータベースより検索)
指揮ピアノ作曲