●「ハリー、見知らぬ友人」(ドミニク・モル監督、2000年仏)を観た。実に奇妙な傑作。冴えないフランス語教師の主人公ミシェルは妻と3人の娘たちと、バカンスに別荘へと出かける。バカンスとはいっても、車はエアコンもついていないオンボロ、車中で娘たちが泣き叫び、奥さんはイライラしっぱなし、別荘だって修理が追いつかないくらいのボロ屋。家庭は崩壊寸前だ。そこにばったりと出会ったのが高校時代の同級生だったというハリー。ハリーは親しげに接してくるのだが、主人公ミシェルはまったく彼のことを覚えていない。
●友人ハリーはミシェルの別荘でともに過ごすことになる。彼は高校時代にミシェルが文集に書いたという詩をそらんじて見せるような不気味な男である。そして、度を越した親切心の持ち主でもある。ハリーの文才を崇拝し、彼に再びペンをとるようにさまざまなおせっかいを焼いてくれるのだが、そこにある歪んだ善意というのものが徹底して拡大されており、実に怖いのだ。まあ、ハリーっていうのは黒いドラえもんみたいな存在っすね。
●怖くて、ユーモアがあって、そして奇妙な話。あっけにとられるような不思議なハッピーエンド(と書いてもネタバレにはならないだろう)が用意されていて、その巧妙さにも舌を巻く。必見なり。
●さてここからネタバレ(未見の方はご注意を)。結局、ハリーなる男は何者だったのか。それは映画中では説明されていないし、リアリズムの観点からすると説明もつきにくいのだが、言わんとすることはわかる。ハリーはミシェルのなかの「そうであったかもしれない一部」である。ミシェルはかつて志した文学のことなどすっかり忘れ去っており、家族の不満とイライラに直面しだれもを満足させようとするが、だれにも満足してもらえない凡庸で不幸せなフランス語教師である。文才など妻も兄弟も認めてはくれない。そこに過去からやってきた自分の一部が、彼の詩を崇拝し、再び書くことを勧め、一方で様々な問題をお金と暴力という乱暴な手段で解決してくれたわけである。しかし、ミシェルは最後には狂気にとらわれたハリーを打ち破り、自分自身を回復することで、新たに作品を生み出す力を得、妻からの敬意も勝ち取る。この話の皮肉なところは、ほのぼのとしたラストのハッピーエンドも、よく考えてみれば、ハリーがくれた車と、ハリーが与えてくれた「両親と兄弟の不在」によって支えられているということだ。単に白いミシェルが黒いハリーを打ち破って自己の尊厳を回復したという話になっていないところが味わい深い。(05/13)
May 13, 2002