August 28, 2002

キングのTV版「シャイニング」その1

●スティーヴン・キングの「シャイニング」を観た。スタンリー・キューブリックが監督した映画のほうじゃなくて、最近キング自らが脚本を書いた新しいほう。レンタル・ビデオ屋で2本組になっているのを見かけて「いずれ観なければ」と思っていたら、先日BS2で放映してくれたのだ。それにしても長いっすよ、これは。90分で3夜連続なんだから呆れるほど長い。映画としては成立しない長さなので、テレビ用に作られたのか。でも予算もしっかりあったようで、決してチープな映像ではない。
●で、これは有名な話だけど、キングはことあるごとにキューブリックの「シャイニング」がいかに原作の意図を汲み取っていないかを語っている。確かに原作を読めばキングの不満はもっともなもので、キューブリック版は原作で丹念に書き込まれている家族の問題を描いていないために、ずいぶんお手軽な恐怖映画になってしまっている。物語はいわゆる「幽霊屋敷」もので、由緒ある高級ホテル「オーバールック・ホテル」で親子3人が管理人として一冬を過ごす。冬の間、このホテルは雪で閉ざされてしまう。ホテルに憑いた禍々しい存在が、この家族を襲い、ある意味でもっとも弱い存在であった父親が狂気に抗えなくなる。真に怖いのは幽霊そのものではなく、この豹変してゆく父親であり、怖くて哀しい物語だったわけだ。
●このテーマをキューブリックはほとんど省略し、父親役ジャック・ニコルソンの圧倒的な存在感が支配する映画に仕立てた。これはこれで十分おもしろいと思うのだが、家族の絆をとりもどそうとする善である父親が徐々に悪に蝕まれていくというテーマは犠牲になった。ジャック・ニコルソンは最初からいかにもヘンである。しかもストーリーが完全にキューブリック流に換骨奪胎されたわけでもなく、原作にある亡霊のバーテンダーからアルコールを注がれるシーンであるとか、本来なら背景が描かれていなければ意味がわからないようなシーンがそのまま映画に残ってしまったりしている。一番困ってしまうのは、映画のラスト・シーンにある写真「オチ」。あれはどう考えても物語の整合性を欠いてしまうだろうと思うんだけど、映画「シャイニング」にはどうしてもホラー映画の「お約束」が必要だったんだろう。
●で、キングは「シャイニング」を自ら映像化することになった。この続きは、また明日。(2002/08/28)

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