●薄い短篇集なのだが、本屋でガルシア・マルケスの「エレンディラ」(ちくま文庫)を見かけた。なかなか表紙が美しい。ワタシはこれを昔、サンリオ文庫版で読んだ。ただし読んだのは10代の頃で、内容を忘れているどころか、いったい何をどう読んでいたのかもはなはだ怪しい。冒頭の短篇「大きな翼のある、ひどく年老いた男」には、その題にのみ覚えがある。
●「大きな翼のある、ひどく年老いた男」とは、地上に落ちてきた天使のことを指す。天使だが、ひどく年老いた男であり、みすぼらしく、何一つ威厳を感じさせない。ぬかるみでもがいているこの天使を引きずり出した男は、金網の小屋に牝鶏といっしょに閉じ込める。つまり、天使は身元不明の小汚い老人としてしか扱われない。
●地元の神父はローマと手紙をやり取りして、翼のある老人の本性についての決定を待つ。
「囚人にへそがあるかないか、そのことばはアラム語と関係があるかないか、針の穴を何度もくぐることが可能か否か、翼のあるノルウェー人にすぎないのではないか、といった程度の調査で時間は食われていった」
●ローマの決定を待つまでもなく、天使に会おうと物見高い人々は集まってくる。
「カリブ海じゅうの不幸な重病人たちが全快を願って訪れた。子供のときから心臓の動悸を数え続けて、今では数のほうが不足しはじめた哀れな女。星の動く音が苦になって眠れないジャマイカの男。夜中になると起きだして、目覚めているあいだに作ったものを壊してしまう夢遊病者」……
●なんつう豊かな想像力の奔流なのだ。「星の動く音が苦になって眠れない」んすよ。「魔術的リアリズム」なんて言いだすまでもないようなほんの一端だが、圧倒的であり、しかもこの短篇集の共通モチーフは「死と孤独」だったりする。
●「大きな翼のある、ひどく年老いた男」は牝鶏小屋の見世物として、捕まえた男の財布を潤わせる。が、しばらくして移動サーカスに混じってやってきた「父母に背いたために首から下を毒蜘蛛に変えられてしまった哀れな女」に人気を奪われ、人々から忘れ去られる。春になると(ラテン・アメリカ文学なので12月である)、天使は飛び立つ練習を始め、ついには飛び去る。日常の障害に過ぎなかった薄汚い老人の天使が、飛び去るときに「水平線の彼方の想像の一点」となり、その一瞬だけもしかすると畏敬のこもっているかもしれない眼差しで見つめてもらえる。日常のなかではたとえ奇蹟を行って見せても、見世物になる薄汚い老人でしかなかったのに!