●よく指摘されるが、20世紀の「現代音楽」というのはホラー映画などで使われることが多い。ホラーに限らなくても、映画で恐怖、緊張、不安などを表現する場面となると、リゲティやペンデレツキ、バルトークなんかが流れてくるわけだ。音楽ファンとしてはどうかとも思うんだが、確かに今にもなにか出てきそうな恐ろしげな音楽も多いわけで、無理もないかなとは思う。
●で、いきなり古い本で恐縮だが、森茉莉の「私の美の世界」(新潮文庫)のなかに武満徹と会ったときの話が載っていておもしろい(60年代に書かれたものだが、森茉莉自身は当時の現代音楽に特に明るいわけではない)。
この武満徹という、長曾禰虎徹(ながそねこてつ)とか、飛騨匠(ひだのたくみ)、なぞの如きニュアンスのある名を持つ一人の音楽家の創造した音楽が、何を現わしたものであるかについて、かねて私は脳細胞をなやましていた。或る日彼の音楽の中の一つを聴いた時、私は想った。<これは何かの化けものの出る前の音楽である>と。そうして更に聴いていると、化けものも、又別の何ものも、出て来なくて、とうとう終いまで、化けものの出る前のもやもやだけだったのである。
(中略)
氏は「それで別に間違いではありません。そういうもやもやしたものを表わしたのですから」と言い、私を安心させた。(「私の美の世界」森茉莉/新潮文庫)
●やっぱり「これは何かの化けものの出る前の音楽である」と思われちゃったわけだ(笑)、武満徹ですら。微笑ましくもあり、同時になんらかの本質を突いているようにも思える。
●ところで森茉莉は対談のために武満徹と会ったらしいのだが、その対談自体はどこかに載ってるんでしょうか。調べてみたら、森茉莉は武満と会った直後に、「音楽の友」のために三宅榛名と対談しているらしい(「アイヴスを聴いてごらんよ」、68年9月号、未確認)。武満との対談は別媒体向けなのかなあ?