March 25, 2004

「ボルヘスとわたし―自撰短篇集」

「死ぬためには、ただ生きてさえいればいいのね」と女の声が言うと、また別の女が同じく思いに沈んだ調子で言った、「あれほど尊大な男だって、もう蠅を集めることきりできやしないんだわ」
(「バラ色の街角の男」~「ボルヘスとわたし」所収)

ボルヘスとわたし●ガルシア・マルケスと並びラテン・アメリカ文学の代名詞ともいえるホルヘ・ルイス・ボルヘスの自選短篇集「ボルヘスとわたし」(ちくま文庫)。短篇なので読書の谷間に少しずつ読んで行こうと思っていたら、読み終えるのに一年以上かかってしまった。しかしこの自選短篇集は「自選」ならではのおもしろさに満ちている。何しろ作品のためのページは半分ほどで、残り半分は自伝風エッセイと作者による作品解説なんだから、ボルヘスがどういう人物だったか、これほどよく伝わる短篇集はない。
●ボルヘスって、とにかく饒舌な人なんすね。作品が短いせいもあって、時には作品解説が作品自体と同じくらい長くなってしまいかねない(笑)。この饒舌さはアイザック・アシモフさえも超越している。「言わなくてもいいのに」っていうくらい説明しちゃうのだが、もともとここにある短篇の多くでは、作者のイマジネーションが生んだ物語と「昔、ブエノスアイレスでこんなことがあってなあ」という伝承とが境界レスであるため、短篇を読んでいてもエッセイを読んでいても、抱く印象は驚くほど似ている。自作に対して饒舌な人物というと、それだけで「ダメな人」の烙印が押されてもしょうがなさそうなものであるが、この自伝風エッセイを読めば、誰もがボルヘスに深い敬意を抱くことになるにちがいない。
●白人社会のアルゼンチンに生まれ、第一次大戦前後をヨーロッパで過ごしたボルヘスは、ヨーロッパ文学を敬愛し、少年の頃から虚弱で図書館にこもる本の虫だったが、作品にしばしば表れるアルゼンチンの「ガウチョ」は、ナイフと豪胆さで己の価値を示す荒くれ者である。マチスモ(南米的な「男らしさ」)はボルヘス作品のキーワードであると同時に、ボルヘスという人物の実像とはきわめて縁遠いものであったようだ。(つづく)

「その晩から兄弟はフリアナを共有することになった。コスタ・ブラーバの人々の、それほど厳格とも思えない貞操感さえ蹂躙した、この奇妙な関係の詳細は誰にもわからないだろう」(中略)
「気性の荒い場末では、男は決して他人に対し - いや自分自身に対しても - 女が肉欲と所有の対象以上のものでありうることを認めてはならなかった。ところが二人は恋に落ちてしまったのだ。だから二人は心に恥じるところがあった」
(「じゃま者」~「ボルヘスとわたし」所収)

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