●作曲家サリエリの名を知ることができたのは、映画「アマデウス」のおかげである。「アマデウス」は映画だからもちろんフィクションなのだが、その主人公サリエリの人物造詣は実に魅力的なものであった。
●では史実における作曲家サリエリは魅力的だったのか。この本格評伝「サリエーリ モーツァルトに消された宮廷楽長」(水谷彰良著/音楽之友社)を読むと、彼の生涯が映画に劣らず興味深いものだったことがわかる。それは「サリエリによるモーツァルト毒殺説」のためなどでは断じてない。ワタシの知る限り、映画「アマデウス」を観てこの俗説を信じた人などいないし、それは映画のなかですら中心的なテーマではない。一言でいえば毒殺説などどうでもいい。それよりも、18世紀末から19世紀のウィーンにおいて、圧倒的な名声を得ていた大作曲家サリエリが、なぜ忘れられた存在になったのかということのほうが、はるかに興味を惹く。
●実際、この本を読んでいておもしろいのは、第一にサリエリが栄華を極めるまでの成功譚であり、次にその後、時代がサリエリからロッシーニらへ移っていく件である。えっ、サリエリなんて、単に権謀術数に長けただけのいやらしい作曲家だろうって? チッチッチッ、そりゃ違う。本書で引用されているサリエリ激賞の証言に耳を傾けてみよう。
ある晩、私はオペラ座へ行った。サリエリの「ダナオスの娘たち」が上演されていた。そこには荘厳、舞台の輝き、オーケストラと合唱団の壮大な響き、ブランシュ夫人の悲壮な演技と見事な声、デリヴィスの崇高な荒々しさがあった。(中略) 私が混乱と興奮で陥った忘我状態は言葉で表せそうにない。山奥の湖で小舟しか見たことのなかった船乗り志望の若者が、大海を進む三層ブリッジの大型船に突然乗せられたようなものなのだ。その夜は一睡もできなかった。
はい、それではここで問題です(えっ、クイズなのかよっ!) 上の尋常ではない賛辞を述べている「船乗り志望の若者」とは誰か。ヒントとしては、彼はこのサリエリ体験の後、大作曲家としてその名を歴史に残したってこと、あともう一つ、「私が混乱と興奮で陥った忘我状態」ってあたりにキャラが出てるなってこと。
●その答えは、そしてサリエリ話の続きは、また明日。