●「サンクチュアリ」といっても吉本ばななではなくて、フォークナーの「サンクチュアリ」(新潮文庫)である。20世紀前半のアメリカ文学の古典。暴力と無慈悲が一つのテーマになっているが、現代のワタシたちから見て、過激なものはなにひとつない。際立つのは主人公ポパイの属性たる「悪」の純粋さである。酒を飲めない体でありながら密造酒を作る犯罪者であり、玉蜀黍の穂軸で女子学生を凌辱する不能者であり、他人の生命と等しく自分の生命の価値すら認めない神に背いた存在である。
●生と死の、善と悪の物語である「サンクチュアリ」だが、ラストシーンには詩的で印象的な場面がある。唐突に音楽が鳴り響く。
その音楽堂では青空色の制服を着た軍楽隊がマスネーやスクリアビンを演奏していた、そしてベルリオーズの曲ときては、まるで黴臭いパン切れに下手なチャイコフスキーというバターを薄く塗りつけたような演奏ぶりで、そうしている間も梢のあたりから湿った光となった夕闇がふりそそいで、音楽堂や茸のように並ぶくすんだ色の傘の群れを覆いはじめた。管楽器の響きが豊かにわきおこり、豊穣な悲しい余響の波となってうねりながら、濃緑の夕暮れのなかへ消えていった。
●それまでの章とのあまりの雰囲気の違いに愕然とする場面なのだが、一つ覚えておこう。「黴臭いパン切れに下手なチャイコフスキーというバターを薄く塗りつけたような」ベルリオーズ、という表現。がんばろうじゃないか(何が?)