●19歳で芥川賞受賞。爆発的なセールスを記録した「蹴りたい背中」(綿矢りさ/河出書房新社)をようやく読んだ(ワタシはついに「文藝春秋」の掲載号を入手しそこなった。100万部以上も刷られたはずなのに!)。そりゃもう猛烈に堪能。これは「青春小説」のさらに一歩前、「中高生小説」の傑作である(もちろん中高生向けの小説ということではない)。
●主人公ハツはこの年代ならではの不器用さで、生きにくい日々を送るフツーの高校一年生である。どんな風に不器用でフツーかというと、こんな感じ。
この前絹代がグループの子たちと一緒に弁当を食べたいとすまなそうに言い出し、ハツも一緒にどう、と言われた。けれど絹代の、心からすまなそうにしている顔なんて初めて見たから、なんだか違和感があって断ってしまい、一人で弁当を食べなければならなくなった。でも自分の席で一人で食べているとクラスのみんなの視線がつらい。だから、いかにも自分から孤独を選んだ、というふうに見えるように、こうやって窓際で食べるのが習慣になりつつある。運動靴を爪先にぶらつかせながら、私が一人で食べてるとは思っていないお母さんが作ってくれた色とりどりのおかずをつまむ。カーテンの外側の教室は騒がしいけれど、ここ、カーテンの内側では、私のプラスチックの箸が弁当箱に当たる、かちゃかちゃという幼稚な音だけが響く。
●彼女の前に「にな川」というクラスメートが現れる。彼はアイドル・モデル「オリチャン」のすべてをコレクションし、口を開けば「オリチャン」の話題だけという、男子高校生らしい、やはりフツーにコミュニケーション不全なキモヲタである。もう「オリチャン」の顔写真に裸の少女写真をアイコラしちゃうくらいキモヲタ(笑)。ええっ、女子高生がそんなキモヲタに恋するなんて、都合よすぎやしないかと思っちゃいけない。これはリアリズムだ。
●たぶんワタシだけじゃないと思うのだが、これを読んだ男性の多くは、主人公の女子高生に感情移入する。ただし「中学・高校時代は楽しかったなあ。昔はよかった」と思い出を語る人を除外して。ここに描かれた学校生活には確かなリアリティがある。学校が「生徒と生徒」「生徒と先生」の間に暗黙のうちに成立する欺瞞からなる地獄穴であり、学校の機能とは「世は不条理である」ことを正しく教わるための場であると承知している者にとって、主人公ハツの目から見た学校生活はワタシたちの学校生活以外のなにものでもない。中高生とはそんな息苦しい世界で、ただ生きるだけではなく、友情や恋といった高すぎるハードルを乗り越えなければいけない絶望的な存在である。
●だから物語のジャンルはまったく異なっていても、ワタシの中では「蹴りたい背中」は正しい学校小説の傑作として、スティーヴン・キングの初期ホラー「キャリー」と同じ項目に分類される。読後感はまったく完璧に爽やか。