イタリア 2-1 ブルガリア
デンマーク 2-2 スウェーデン
●「悲劇的な逆転勝利」といいたい。サッカーにはたまにある。イタリアvsブルガリア、イタリアが勝ち抜くために必要な条件は、最低でも勝利。もし同時開催のデンマークvsスウェーデンが「引き分け」以外の結果に終わってくれれば、イタリアはブルガリアに勝ちさえすればいい(ちなみにワタシはイタリアを応援している。国歌斉唱の時にはブフォンに負けないように大声でイタリア国歌を歌っている←ゴメン、ウソ)。
●しかし(細かい説明は省くが)デンマークvsスウェーデンが2-2とか3-3で引き分けになると、もうイタリアはどんなに点を取っても勝ち抜けないことになっている(=北欧の二国が仲良く決勝トーナメントに進める)。試合前からこの条件は定まっていたので、イタリア側は「デンマークとスウェーデンが予定調和的に2-2にならないように」と釘を刺していた。もちろんデンマークとスウェーデンの立場もはっきりしていた。「われわれはスポーツマンシップに則って、全力で戦う。わざと引き分けるなど論外」。
●イタリアはブルガリアに先制されてしまう。必死に攻めに攻め、同点に追いついたがあと一点が獲れない。しかし試合終了直前、カッサーノの逆転ゴールがついに決まって2-1。カッサーノをはじめ、イタリア代表の選手たちは喜びを爆発させながら、ベンチへ駆け寄る。そして、おそらくベンチのトラパットーニ監督から説明を聞くまでもなくその暗く沈んだ表情だけで一瞬にしてすべてを解したと思うのだが、デンマークvsスウェーデンが恐れていた通りの2-2で終わったことを知る。つい数秒前に歓喜したイタリアの選手たちが、どっと崩れ落ち、若いカッサーノなどは泣きじゃくってキックオフの笛が鳴っても立つことすらできない。ニッポンの「ドーハの悲劇」でベンチで中山が泣き崩れる姿や、虚ろな目のラモスが尻をついて茫然としている様子を思い出した。レッズ・ファンなら2部降格が決まった日の福田のVゴールを想起したにちがいない。サッカーで、こんなに泣ける光景はない。
●でも、言っておく、デンマークvsスウェーデンが2-2で終わるのは「運命」である。イタリアを突き落とし、ともに幸福になれる2-2のスコアで完結することは、ある意味だれもがわかっていた。もちろんデンマークvsスウェーデンは真剣勝負、八百長などでは絶対にないはずだ。選手は全力を尽くしただろう。にもかかわらず「予定調和の2-2」で試合が終わるのは、見えざる手が導く必然、サッカーにおける自然の摂理である。世界はそういう風にできているんである。換言すれば、「不条理の支配」である。
●むしろ北欧二ヶ国よりもイタリアのほうがよっぽどこの種の予定調和とは仲が良いわけで、イタリアにこの摂理に異を唱える資格など微塵もない。デンマークにもスウェーデンにも罪はない。イタリアはこの日を迎える前に勝点を積み上げるチャンスはいくらでもあったのであり、それを逃したに過ぎない。サッカーの神様は失敗に不寛容で、苦境にある者に冷淡である。