2004年7月アーカイブ

July 31, 2004

「ジークフリート」対決、バイロイトvs新国立劇場

バイロイト祝祭劇場●うわ、こりゃ大変だよ。7月30日の深夜、11時からバイロイト音楽祭での「ジークフリート」(アダム・フィッシャー指揮)の生中継をネットラジオ(DR Klassisk)でダラダラと聴いていたら、一時間遅れて0時からはBS2で新国立劇場の「ジークフリート」が始まったじゃないっすか。準メルクル指揮、キース・ウォーナー演出のヤツ。とりあえず音をバイロイトの「ジークフリート」、映像を新国立劇場の「ジークフリート」にしてみたが、わけわからん。ちょうど1時間前に聴いたのを画面で追いかけててヘンすぎる。しかもこんなことしてたら、バイロイト音楽祭でキース・ウォーナー演出の「ジークフリート」が上演されていたかのようなニセ記憶が捏造されてしまいそうでヤバい。
●しかし「ジークフリート」が重なるなんて、NHKの編成もちょっとは考えてくれよ(ってそりゃムリか)。それにしてもこの時間帯、日本人のほとんどはどっちかの「ジークフリート」聴いてたにちがいない。いや、同じ時間帯にアジア・カップの「ウズベキスタンvsバーレーン」もあったから、これには負けるか。お茶の間の10人中5人がアジア・カップ、4人が新国立劇場の「ジークフリート」、1人がバイロイトの「ジークフリート」を楽しんでたな。他の局はつまんないニュース流したり、バラエティだから、だれも見てないでしょ。日テレ「ああ探偵事務所」は永井大と酒井若菜。知らんなあ。フツー、準メルクルだろ、有名なのは。フジの「さんまのまんま」は知ってるが、さんまだってワーグナーほど人気はないよなあ。だって「ジークフリート」だよ。「ウズベキスタンvsバーレーン」さえなきゃ視聴率30%は行ったね、きっと。惜しいなあ、新国。(←視野の狭いクラヲタごっこをしてるだけなので、まあ気にせんでくれ)

July 29, 2004

ニッポンvsイラン@アジア・カップ

アジア・カップ China2004●あー、やだやだ。重慶ってところには参った。中国全土がこんな感じじゃないと信じたい。別にニッポンが嫌いなら、いくらでもブーイングしてくれて構わない。イランの応援、結構。でも、とにかく観客の反応が不自然すぎる。試合、観てる? サッカーなんか、どうでもいいと思ってない? これ、アジア・チャンピオンを決める4年に1度の大切な大会っすよ。
●しかも暑いらしいんだな、重慶は。この日程で、この暑さ。試合内容が凡戦なのは当然で、むしろイランもニッポンも超人的によくやったと思う。このグループが「死のグループ」と呼ばれた意味がよくわかる。どちらも灼熱地獄で激戦続きボロボロ。ニッポンは1位通過したが、次もまた重慶だ(トホホ)。イランは2位通過、重慶を離れられるが、次は韓国。ニッポンもイランも決勝には進めない可能性が高いと見た。
●ニッポンはすでに決勝トーナメント進出を決めていたが、主力を休ませずに戦った。消耗戦の90分で0-0。ともに後半からは疲れ切って、考えられないようなミス連発。お互いそれなりに満足できる0-0に落着いてよかった。
●楽しかったのは、後半40分過ぎあたりから。ニッポンがバックラインでボールを回し始めた。イランはもう動けないし、0-0でいいやと思っているからボールを取りに来ない。取りに来ないんだったらニッポンはいくらでものんびりボールを回していればいい。アレックスみたいに、ボールを足元に置いてジッと突っ立っていてもいい。イランがそれで構わないと了承しているわけだから。重慶の観客は大ブーイングだったが、ワタシはこういう奇妙だが合理的なシチュエーションもサッカーの魅力だと思っている。重慶のみなさんもこの味わい深さを楽しめばいいのになあ。さっきまで足を削りあって激しくファイトしていた両者が、同じ試合でボンヤリと突っ立っているわけっすよ。サッカーってすっごくおもしろいじゃないか!

July 28, 2004

ブラジル屋ーーー! ロナウドとロナウジーニョ

9番といえばロナウド●少し前に歌舞伎の市川新之助が市川海老蔵を襲名したというニュースを目にして、ロナウドとロナウジーニョの関係を連想した。襲名という概念とはちょっと違うが、似てなくもない。
●ロナウド、つまり現在レアル・マドリッドで活躍するあの9番は、ある時期までロナウジーニョと呼ばれていた(もうみんな忘れたかもしれない)。ロナウジーニョというのは「ロナウドちゃん、小さなロナウド」というような意味だろう。ロナウドはヨーロッパではまずオランダのPSVからキャリアをスタートさせたが、その頃はまだロナウジーニョと呼ばれていたような気がする。その後、しばらくすると彼の名前は「ロナウジーニョ」から「ロナウド」に変わった。日本のメディアも表記は「ロナウド」に統一。しかし、ブラジル代表に呼ばれたときのロナウドは、かなり後になるまで「ロナウジーニョ」と呼ばれていた。一時期、クラブと代表で呼び名が異なっていたのだ。なぜか。
●実はブラジル代表には先代の「ロナウド」がいた。かつて清水エスパルスでもプレイしていたセンターバックのロナウドである。94年ワールドカップではたしかこのセンターバックのロナウドが「ロナウド」で、現在のロナウドが「ロナウジーニョ」だったと思う。しかし、このセンターバックのロナウドはブラジル代表に完全に定着していたわけではなく、しかもポジションからしてもスター選手ではない。現ロナウドがスターとして飛躍したために、ある時点からロナウドはブラジル代表でも「ロナウド」と呼ばれるようになり、「ロナウジーニョ」の名を卒業した。区別するために、センターバックのロナウドは確か「ロナウドン Ronaldon」になった(笑)。
●そして、また新しい天才がブラジルから生まれた。ロナウドの再来かと思うような若き才能は「ロナウジーニョ」を名乗った。たぶん、現ロナウドが「ロナウジーニョ」を卒業したときに、ブラジル中に新しい「ロナウジーニョ」が大勢誕生したんじゃないだろうか。でもその名を襲名したと言えるのは、現「ロナウジーニョ」だろう。彼はパリSGを経由して、かつて先代がいたバルセロナに移籍した。新しいスター誕生である。
●さて、ここで悩む。もし現ロナウドがもっと早く衰えて引退していれば、今頃ロナウジーニョは「ロナウド」を襲名するのがスジというものである。ところが現ロナウドはまだ世界最高クラスのストライカーとしてサッカー界に君臨している。ロナウジーニョはこのままロナウジーニョを名乗り続けるしかないのだろうか。そして、またブラジルから天才少年が現れたら、彼はなんと名乗ればいいのか。ロナウジーニョーニョ?
●「マンチェスター・ユナイテッドにクリスチアーノ・ロナウドがいるじゃないか!彼が次代のロナウドだ」と思った方もいらっしゃるかもしれない。でも彼は「ロナウド」も「ロナウジーニョ」も襲名しないと思う。だって、彼の「ロナウド」はあろうことかロナルド・レーガン米国大統領にちなんだものなのだから。それにクリスチアーノ・ロナウドはブラジル人じゃなくてポルトガル人だ!

July 27, 2004

バイロイト音楽祭 on AIR

バイロイト●バイロイト音楽祭が開幕している。オペラキャストさんのところの記事でネットで聴けることを知って、オープニングのブーレース指揮の「パルジファル」を終盤少しつまみ聞き、本日はティーレマン指揮の「タンホイザー」を冒頭から2幕まで、流しっぱなしにして聞いたり聞かなかったり。さすがにじっくり全曲を聴く時間と根性はない。とはいえこれはなかなか感動的な体験である。生中継で聴けるんすよ、バイロイト音楽祭が。
●バイロイト音楽祭は、ご存知のようにドイツのバイロイトでワーグナーのオペラだけを上演する音楽祭である。音楽祭だから夏のシーズン・オフにやるわけだが、ワタシの頭の中ではバイロイト音楽祭とは冬のイベントだった。今はどうか知らないが、年末あたりになると毎年NHK-FMで放送してくれて、ワタシはガキの頃、これを必死にエアチェックしてワーグナーを知った。ワーグナーは長くて高価なのでレコードを買うなど論外、全曲ゲットするならバイロイト命、いかに効率的にカセットテープに長大な楽劇を収録するかというのが重大なテーマだった。
●それが今、ネットで生で聴けるんだもんなあ。もっとも夜中から始まって、終わるのが明け方では到底つきあってられんというか、長い休憩の間に寝てしまいそうだ(ちなみに再放送もあるが、どっちにしても日本は夜中だ)。聴きたいって方はこちらのスケジュール表とリンクをどうぞ。あ、一応、言っておくけどPCのスピーカーで聴いてます、念のため。音質が貧しい上に今日の「タンホイザー」はRadio Clasica de Espanaのモノラル放送を聴いたので、ティーレマンがフルトヴェングラーに聞こえたっす(ウソ……だよな)。

July 26, 2004

タイvsニッポン@アジア・カップ2004

アジア・カップ China2004●タイの23番(スッティ)が先制点っすよ。あれはもうヤになるね。ニッポンのディフェンダーが近くに4人もいるのに、ドリブルから完璧なシュートを打たれた。今回のアジア・カップ、傍で見ていれば相当おもしろいんじゃないだろうか。アジアでもついに各国間の力の差が縮まりつつある。
●ニッポンはおなじみ、現バージョンのレギュラー。GK:川口-DF:田中誠(→小笠原)、宮本、中澤-MF:加地、遠藤ヤス、福西(→中田コ)、アレックス、中村俊輔-FW:鈴木隆行、玉田(→本山)。タイが飛ばしてきたため、大苦戦、俊輔のスーパーなフリーキックで前半に追いついたものの、相手に大きな自信を与えてしまった。後半開始から、4バックにして小笠原を入れ、玉田を本山に交代。ジーコの積極的な交代策が実って、中澤の2ゴール、福西のゴールで、最後はなんとか4-1に落着いた。タイも後半はバテバテ、さすがにああなったらこっちはなんでもできる。
●でさ、問題は次のイラン戦なんだけど、メンバーはどうするの? もう勝点6をゲットして決勝トーナメント進出は決まった。この過密日程、暑さを考えれば、ワタシはほぼ全員サブのメンバーを先発させるのが当然の策だと思う(欧州選手権のチェコのように)。イラン戦のあと、中2日っすよ。しかしジーコはクラシックなタイプの英雄なので、そういう考え方を嫌うかもしれない。要注目。

July 23, 2004

スパイダーマン2(サム・ライミ)

なんとなくスパイダーマン風の模様●「スパイダーマン2」(サム・ライミ監督)を観てきた。「1」はぎこちなく、説明に大半を費やしたような映画だったが、「2」は打って変わって大変におもしろい。堂々たるビルドゥングス・ロマンの傑作。変身ヒーローものというと、日本でも仮面ライダーやウルトラマン以来、数々の名作があるわけだが、なにが「変身」かといえば、基本的にはコドモがオトナに変身するんである。マスクをとった素顔のスパイダーマンすなわちピーター・パーカーを見て、人は驚愕してつぶやく。「なんと、まだ子供ではないか」「うちの息子とそう変わらない」。
●スパイダーマン=ピーター・パーカーは若者なので、自分に力がどれだけあって、自分が何者であるかをまだ知らない(つまり青春の状態にある)。そんな若者が強い大人に立ち向かうとき、どうするか。背伸びをする。つまり手首から放射される白い蜘蛛の糸(男の子の武器)によって、摩天楼の間を高く高く飛ぼうとする。
●一方、スパイダーマンの敵はいつも大人である。今回は天才科学者Dr.オットー・オクタヴィウス(ドック・オク)。オクタヴィウスは大人なので、背伸びなどという自らの弱みを見せることは絶対にしない。代わりにどうするかというと、権力を手に入れたり富を蓄えたりする、すなわち体を大きくするのである。ドック・オクも前作の敵役同様、人間の肉体に人工的な武器を装備することで、大人のパワーを表現している。
●人間としてのオクタヴィウスは、ピーターから見て理想の大人像といえる。才能にあふれ、しかもそれを浪費せず科学の発展のために尽力する。文学を専門とする妻とは、お互いの大きな違いを認め合って、敬意と相互理解によって安定した愛を築く。責任と義務でがんじがらめになったピーターとメリージェーンの不器用な関係に比べ、オクタヴィウス夫妻の関係はなんと成熟していることか。
●そして権力、名声、富の怪物としてのオクタヴィウスと、まだ己の力を知らぬ若者ピーターが対決したとき、どうなるかは自明である。スパイダーマン=ピーターが勝利するのは正義が勝つからではない。この対決の構図では可能性と希望のシンボルである若者が必ず勝つのであり、力の限界にすでに到達した大人に勝ち目はない。
●ピーターが苦悩のあまり、手首から糸が出せなくなる場面がある。若者には「もしかしたら自分にはできないかもしれない」と疑心暗鬼になることにより、簡単なことでもできなくなる苦悩の時期がある。一方で、いったん自分の役割を納得し、自信に満ち溢れると、爆発的なパワーを発揮して、どんな無茶でもできてしまう。後半のビルからビルへと蜘蛛の糸を利用して飛行する爽快な場面などまさにそうで、スパイダーマンは自分が墜落する可能性など微塵も考えていない。大人(オクタヴィウス)は、つい若者をその未熟さゆえに侮ってしまいがちであるが、これは羨望の裏返しであり、成長する若者を侮るほど愚かなことはない。
●それにしてもメリージェーンとの展開が最後にああなるのはちょっとどうなのかと……。でも第3作にもすっごく期待。次はピーターの親友ハリー・オズボーンの物語っすね。

July 22, 2004

市長がシロクマ姿で出迎え

市長がシロクマ姿で出迎え 秋田・男鹿の水族館オープン。水族館の呼び物となるシロクマが到着しなかったということだが、なにも市長が着ぐるみにならなくても。
●しかしシロクマだって、別にニッポンみたいな暑い国に来たくはないだろう、想像するに。
カナダでも暑いと文句を垂れるシロクマ
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●39度やら38度。東京は暑い。そしてしばしば凍えそうに寒い。ひどいね。
●U23の日韓親善試合は観てないっす。アジア・カップ開催中に親善試合されてもなあ。
●カタール代表監督を解任されたトルシエ。きっとJリーグに就職すると思う。

July 21, 2004

ニッポンvsオマーン@アジア・カップ2004

アジア・カップ China2004●アジアでなにかが起きている。この試合の前に、いくつか今大会の試合をちらちら見ていたのだが、韓国がヨルダンに引き分け、カタールがインドネシアに破れ、サウジアラビアはトルクメニスタンと引き分けた。開催国中国と引き分けたバーレーンも強かった。つまり、ギリシャがユーロ2004で勝ったように、アジアでもこれまでのヒエラルキーが崩れ去りつつある。
●ニッポンは俊輔の超アジア・レベルの技巧的なシュートによって、1-0でオマーンを退けた。しかし、試合はオマーンがずっと押していたのだ。たまたまオマーンのシュートが入らなかっただけである。
●ワールドカップ2002で日本と韓国が好成績を収めて、アジアのレベルが上がったといわれた。ワタシらはなんとなく日本と韓国のレベルが上がったかのような気がしていたのだが、とんでもない、いちばん自信をつけたのはアジアの中堅国だったようである。ニッポンが無条件でアジアで優勝を争える時代というのは、ほんのわずかな期間で終わりを告げつつある……のかもしれない。
●GK:川口-DF:宮本、中澤、田中誠-MF:福西、遠藤、左:アレックス、右:加地、トップ下:中村俊輔-FW:鈴木タカ、玉田。オマーン相手に必死に守りきった。急に暑くなって、コンディションは最低だったようだが、オマーンだって途中から疲労でヨレヨレになっていたんである。タイに快勝したイランとの一戦が試金石になるだろう。
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●↓昨日のカルロス・クライバーの訃報だが、トラックバックが現時点で12件もついている。これまでの最高記録。

July 20, 2004

カルロス・クライバー、逝く

●カルロス・クライバー死去の報(Die Welt, SPIEGEL)。享年74歳。すでにずっと前から指揮台からは遠ざかっていたにもかかわらず、どこかで「クライバーがまた指揮してくれたら」といった希望を抱いていた人も多かったと思う。これで「伝説的指揮者」の時代が終わったように感じる。
●クライバーは現役の頃だってなかなか指揮台に立たなかった。指揮者が指揮をするのは当たり前のことであるはずなのに、クライバーの場合は「×年×月、×××で指揮をする」ということだけでニュースになった。一頃、夏ごろに発表される世界各地の主要オーケストラの来季スケジュール表のなかに tba (= to be announced) と印刷されているだけで、「これはもしやクライバーと交渉中なのでは!」と囁かれる時代があった。結局クライバーではなかったとしても、「これはクライバーとギリギリまで交渉したけど、それがダメで誰それになったのではないか」などと根も葉もないんだかあるんだかわからないようなウワサが跋扈していた。
ベートーヴェン:交響曲第4番●録音・録画も少ない。追悼セールなんかされても買うものがない。特に自分にとって強烈だったのは、ベートーヴェンの交響曲第4番。曲そのものの印象がこれを聴いてガラリと変わった。それくらい鮮烈だった。

July 19, 2004

反芻クロスボール@リアル・サッカー

すべてのゴールは奇跡である……ゴールなかったけど●またまた草サッカー。場所は世田谷の砧公園。ここはちょっとサイズが正規のものより小さめなのがいいんだな……と思っていたら、連日気温35度、湿度100%(推定)の日々、しかも通り雨の後、豊かな緑に囲まれた公園はもう完璧に蒸し風呂状態。現地に着いただけで汗ダクダク。したがって、場所が小さいとはいえ、かつてないほど体力を消耗させられる環境だったのだ。10分×4本で試合したのだが、最初の1本ですべての体力を使い果たして、後は人間サンドバッグ状態。屈辱感ありすぎで、泣ける。0-4で負け。
●ていうか、ホント、悲惨だった。空振りするし(毎試合してるが)。自分のミスでボール奪われてシュートまで持っていかれたし(入らなかったけど、入ってたら瞬間的に切腹したくなる)。絶好のチャンスにゴールできない、シュートできない。図々しくもまたもフォワードに居座っていたのだが、ワタシが監督だったらもうオレなんか使わないね。ベンチだ、ベンチ。
●しかし、一瞬、たまらなく幸福な瞬間が訪れたので、それだけは強調しておこう(また始まったか)。やや右サイドに開いた状態で、後ろからボールをもらって、これを前へ運ぼうとするが、トラップが長すぎてライン際に流れた。「あっ、もう出たかな」と思ったのだが、たぶんライン上で追いついて、それをもうワンタッチ前に運び、無我夢中でボールを中に蹴りいれた。相手ディフェンスがいたにもかかわらず、このボールが実に柔らかくも美しい軌道のクロスボールになったのだ。走りこんだ味方選手とタイミングもほぼドンピシャ、ヘディングを狙ってくれたが、惜しくもゴールならず。だが「おお、今のはキレイな形だ!」と相手から感嘆の声があがったし、味方も「わー、ホントのサッカーみたいだ」って言ってくれたし(笑)、もう気分的には一瞬フィーゴが降臨してた。
●いいプレイができた瞬間って、まったく無心で蹴ってることが多くて、練習でやろうとしても絶対にできなかったりするんだよね(←なぜなら「まぐれ」だからだよっ!)。もう今日一日で脳内リプレイ100回くらいやって、牛並みに反芻してる。明日も30回は反芻する、きっと。

July 17, 2004

沈黙する完全主義者デュカス

デュカス:「魔法使いの弟子」他●デュカスの名曲といえばまず挙げられるのが「魔法使いの弟子」。「ゲーテのバラードによる交響的スケルツォ」という副題が添えられ、快活な曲調と華麗な管弦楽法で人気が高い。
●しかしその簡明な作風からは想像がつきにくいのだが、作曲家デュカスは非常に厳格で妥協を許さない完全主義者だったようである。若くして成功した割には寡作家なのだ。あるとき調べものをしていて気がついたのだが、シベリウスと同様、この人も晩年には沈黙している。1910年(46歳)にバレエ曲「ペリ」を書いて以来、1935年に70歳でこの世を去るまでの間、ほとんど作品らしい作品を残していない。この間、デュカスは作曲をしなかったわけではなく、友人たちには作品を見せていたものの、その多くが破棄された。1910年にパリ音楽院の教授になっているので、社会的に隠遁していたわけではない。
●ちなみに、有名なシベリウスの沈黙と比較してみよう。シベリウスの場合は、1926年(61歳)に交響詩「タピオラ」を書いたあたりから筆が鈍り、1929年(63歳)から1957年に92歳で死去するまで作品がない。30年弱の沈黙ということになるので、デュカスよりも少し長い。時代的にはシベリウスのほうがやや後ということになるが、ともに20世紀前半ではある。時代が難しかったのか、創作意欲の減退なのか、容易には結論付けられないが。
●デュカスが出版した最後の作品、バレエ曲「ペリ」ですら、賭けのために書かれたもので、危うく破棄されそうになったものを友人たちが説得してゴミ箱行きを免れたという。作品を書いては捨てる管弦楽マスター。こうなると残された曲はどれも大切に思えてくる。まちがっても「魔法使いの弟子」が有名な一発屋作曲家などと思ってはいけない。「ペリ」や交響曲はもっと聴かれたっていいだろう。
●デュカスは「ペリ」の完成後、初演の舞台を効果的に開始するために「ファンファーレ」を作品に付け加えている。完全主義者にしてはずいぶん即興的なことをするではないか。たぶん「ペリ」本体よりもこの「ファンファーレ」のほうが現在耳にする機会は多い。芸術家は自らの作品をいくらでも破棄できるが、破棄しなかったものの運命を制御することはできない。

CD: デュカス:管弦楽曲集[「ラ・ペリ」へのファンファーレ、一幕の舞踏詩「ラ・ペリ」、交響曲ハ長調、魔法使いの弟子]
ジャン・フルネ指揮オランダ放送フィル

July 17, 2004

舞城、芥川賞を逃す

●芥川賞はモブ・ノリオ。いやー、舞城王太郎じゃなかったか、残念(ファンなのだ)。しかしモブ・ノリオが受賞記者会見で開口一番「舞城王太郎です」とか言ったらしくて、もうしょーがねーなーである、おもしろいけど。
●舞城王太郎は公の場に顔を出さない覆面作家なんだけど、この人、女性じゃないかなあ。違う?

July 16, 2004

五輪代表選出選考会

●一昨日のU-23日本対U-23チュニジア、ビデオで観たんだけど、強化試合ではなくて五輪代表選出選考会だったのだな。山本監督はトルシエ流に選手を呼びまくっているが、いっこうに選手が絞られてこない、つうかヘタすると拡大してて大変である。キーパーなんてオーバーエイジの曽ヶ端呼んでいて、それでいてベンチにあと4人くらいキーパーいなかった? 本番で必要なのは2名っすよ。
●で、間の悪いことにその曽ヶ端が「ポロリ」やって0-1で負けた。どーすんのさ。U23の他のGKからすれば、「これでも曽ヶ端が正GKなら、オレたちの今までのテストはなんだったんだよ!」と怒るかもしれん。しかし、山本監督は「ポロリ」やっても曽ヶ端を使うだろうし、実際それが正解だと思う。
●あ、そうだ、公募しておいて「なでしこジャパン」はないだろよ>女子代表。だったら、男子代表は「ますらおジャパン」でどうか。どう見ても強そうだし。

July 15, 2004

ブラボー紫外線

こんなに暑いのに太陽は働き者だね●ヴィヴァッ! 灼熱!(ウソ)。ていうか、あちーよ、35度とか夏の野郎、ペース配分考えずにぶっ飛ばしやがっておかげで猛暑気分満喫、しかもアントニ・ヴィット指揮ポーランド放送交響楽団のマーラー:交響曲第4番のCDを、PCのCDドライヴに入れたんすよ、そしたら今デフォルトのWindows Media PlayerじゃなくてiTuneが立ち上がるようになってるんだけど、その親切なiTuneさんが起動して、ネットワーク経由でアーティスト名を自動取得してくれるわけだ、ほれ。

曲名:Mahler -Symphony No.4 in G major
アーティスト:Herbert von Karajan; Berliner Philharmoniker

 ぬがっ。機械だって暑いとボッとしちゃうんだって。アントニ・ヴィット指揮ポーランド放送響がカラヤン/ベルリン・フィルに聞こえるってよ、ブラボー紫外線。

July 14, 2004

ニッポンvsセルビア・モンテネグロ

●「セルビア・モンテネグロ」っていわれても一瞬「ん?」とつまるわけだが、旧ユーゴスラヴィアである。ストイコヴィチがサッカー協会会長を務めている。
●で、今回のキリンカップ、スロヴァキア戦は退屈な試合だったが、こちらはずいぶんおもしろい! 何が違うかといえば相手が巧い。たとえベストメンバーに遠かろうが、コンディションだめだめだろうが、ユーゴといえば足技が巧いんである。それにあわせるかのように、ニッポンも細かくパスをつなぎつつ、個人技も見せてくれたりして楽しかった。
●ニッポンは玉田と鈴木タカのツートップがよかった。玉田はたしかに速い、しかも前へ前へという突破力もあって、好感度ナンバーワン。鈴木はバイオレンスな悪役フォワードだが、この日のように体を張って献身的なポストプレイをすると、やっぱりパワーがあるんだと納得。
●唯一のゴールを決めた遠藤ヤスもいい。シュートシーンの落ち着いた切り返しとか、いかにも得意そう。遠藤にはこういう一対一をまず失敗しないという印象がある。アレックスもよかったし、俊輔もまあ楽しかった。しかしシュート打つ気はないのか、俊輔は。ゴールを決めて、脱いだユニを振り回しながら雄たけびを上げる俊輔を見てみたいぞ(そりゃムリか)。1-0で快勝。

July 13, 2004

さらば冬のかもめ (ハル・アシュビー)

さらば冬のかもめ●あー、テレビつけたらたまたま映画「さらば冬のかもめ」(ハル・アシュビー監督、1973)が放映されてて、すっかり見入ってしまった。アメリカン・ニューシネマの傑作(とどこにでも書いてある)。この写真、若い頃のジャック・ニコルソンなんだけど、ほぼ同時期の「ファイブ・イージー・ピーセズ」でムンムンとフェロモン出しまくってたのと同じ人とは思えない。口も品行もよろしくないけど情の厚い海兵隊員って役柄。
●どういう話かというと、万引未遂という小さな罪で8年の実刑をくらってしまった気の毒な若い水兵がいる。そいつをジャック・ニコルソンはじめ二人の海兵隊員が遠く離れた刑務所まで護送するというロード・ムービー。
●万引水兵はまだ18歳で、ろくに人生の喜びも知らない。こんな無垢ないいヤツが18歳からの8年を刑務所で失うとはなんたる不条理、三人は旅をしながら、友情を深め、ハチャメチャに遊ぶ。刑務所に入る前日には売春宿にまで連れていって、女を教えてやる。気の毒だ、できるもんなら逃がしてやりたい、でもそんなことできるわけない。なんとかしてやれんのか、募金箱から40ドル盗もうとしただけだぞ、この若造は……。
●で、最後にどうなるか。これはもう結末は決まっている。今の大作映画だったら、ご都合主義でハッピー・エンドもありうるかもしれないが、これは古いシンプルな映画なので、主題に沿った結末しか訪れない。つまり、理不尽にも刑務所に入れられてバッド・エンドを迎える。これは旅をして酒を飲んだり女を知ったりしながら、最後には不条理を受け入れる(=コドモが大人になる)という物語だから、これ以外の結末はありえない。護送中はあれだけ葛藤していたのに、刑務所での引渡しはあっさり事務的に終わるところなんて絶妙。

July 12, 2004

オルテガが勝つと

●逆選挙速報参院選2004、つづいて東京都です。開票率0%時点で××××さん、落選確実です。
●テレビで選挙速報見てたら絶叫してる当選者の図、次々と。操られているのか。
●で、関係レスに近頃見かけて感心したページ。

こいつはマジで驚いた → ドラクエ3 オルテガvsキングヒドラ
http://aom-g.hp.infoseek.co.jp/game/fc_dra3/fc_dra3.html

検索君
http://pya.cc/pyaimg/pimg.php?imgid=4681

July 10, 2004

ニッポンvsスロヴァキア@キリンカップ

スロヴァキア。体格は強烈だが技術が……●いやあ、近年の代表戦でこんなに印象の薄い試合もないっすね。ニッポン 3-1 スロヴァキア。実質、今回のキリンカップはアジア・カップに向けた調整試合だろうが、メンバーがそろわない。つうか、そんなことより。
●昔のワタシらは「世界のサッカー界」のこと、知らなかったよね、ホントに。だってキリンカップを本気で大会と思って、フランス代表やらユヴェントスやら(昔はクラブチームを呼んでいた)の豪華メンバーを相手に、ニッポンがどれだけ戦えるかワクワクしてたわけだから。順位とか得失点差にまでこだわって見てた。今ならわかる。欧州クラブはシーズン・オフのまっただなか。シーズンの疲れを癒すために休暇をすごし、肉体はすっかりお休みモード。嫌々ながらも割りのいいバイトだから地球の裏側まで来てくれてた、と。
●だからフランスとかじゃなくて、スロヴァキアみたいな代表マッチの少なそうな国を呼ぶのは正しい。正しいんだけど、もう熱くなれない。選手もたぶん同じだ。集中力を欠いたプレイも増えるさ、そりゃ。

July 9, 2004

ニイガタ現象(サッカー批評叢書)

ニイガタ現象●最近の野球界のニュース聞いてると、すごいっすね。合併だとか1リーグだとか、オーナーの話し合いで何でも決まるところが。ファンの幻想なんてものを受け入れる余地がまったくない興行の論理で物事が進む。Jリーグだって興行にちがいないんだけど、野球に比べるとサポーターに幻想を持たせてくれる(ビジネス規模が小さいから可能なのかもしれんが)。
●で、新潟である。昨季、2部リーグにいながらJ全チーム最高の集客力を誇ったアルビレックス新潟は確かに「現象」だった。スタジアムだけでなく、新潟市内いたるところがオレンジ色に染まっていた。ホームタウン幻想が強固な現実を生み出した一例だと思う。
「ニイガタ現象 日本海サッカー天国の誕生をめぐって」(「サッカー批評」編集部/双葉社)はそのアルビレックス新潟という現象をさまざまな角度から論じている。大学の先生の分析よりも、断然、現場の人間の話のほうがおもしろい。たとえばゴール裏の住人。

H:ウチと(ベガルタ)仙台には、いろいろとあるんです。
A:99年も、00年も新潟より下だったんです。なんで、こいつらがJ1に上がるのかという意識もある。(中略)以前、仙台サポーターとサッカーやったんです。結果は、ウチらの圧勝だったんですけど、向こうは全然認めない。
H:「木澤カップ」だね。木澤っていう選手は、仙台戦で何かと因縁があってね。退場も何度かあった。それで、向こうが「木澤カップ」やろうって提案してきた。呼んでくれた人は、物腰柔らかだったんだけど、実際の試合には武闘派が出てきて大変だった。声と態度のでかさで勝負してくるんだから! さらに向こうは天童よしみのCD持ってきて、試合中にガンガン流す。一昔前のイラン対イラクの試合みたいな雰囲気でしたよ。

●プロ野球のオーナーには想像もつかない世界だと思う、このサポーター間で試合して決着つけようみたいなロジックは。
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五輪を前に「山本昌邦備忘録」が文庫化。トルシエ・ジャパンを振り返るために必読。

July 8, 2004

祝、ポルトガル優勝!

●祝、ポルトガル優勝! おめでとう、ポルトガル!ワー、ワー!

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決勝戦でも圧勝、怒涛のゴール・ラッシュを見せてくれた!

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選手たちの活躍を称える監督。

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ディーゴ、ロイ・カスタらの黄金世代がついに大舞台での優勝を成し遂げた……ゲーセンで。

●つうか、バーチャストライカーのエンディング画面をケータイで撮影している自分はイタすぎ。

July 7, 2004

「アムステルダム」イアン・マキューアン (その2)

「アムステルダム」 イアン・マキューアン 「アムステルダム」 イアン・マキューアン。(一昨日のエントリーからつづく)若き日の思い出を部分的に共有する男たちが集まって、元恋人の死を嘆く。そこから彼らの人生の諸相が浮かび上がってくる。イギリスの良き時代に育ち、時代が悪くなった頃にはすでに社会的な地位と財を築いている。才に恵まれ、成功して余裕があり、古い恋人の死を悼む。主人公といえる作曲家と新聞編集長はそれぞれに今やそのキャリアでもっとも大きな成功を得ようとしている。つまり、ここにあるのは「美しい瞬間」である。
●にもかかわらず、彼らはその「美しい瞬間」に「醜悪な行動」をとってしまう。善人で成功者で成熟しているはずの人々でも、彼らが築き上げたものなどほんの一瞬で脆くも崩れ去る。皮肉とユーモアが同居したタッチで、人の美しさが易々と醜さと同居可能であることが描かれる。同時にこれを逆側から見れば、いかなる凡庸さからでも人は高潔で厳粛な瞬間を紡ぎだすことができることも示唆している(この対称性が秀逸)。
●規模や才能の大小はあっても、ものを「創る」経験のある人なら、ある種の創造の熱狂、霊感が舞い降りて独特の熱中状態から興奮を経て、最後に満足と達成感を獲得するまでの過程を思い浮かべることができると思う。作曲家クライヴ・リンリーは、自作の交響曲の難所を書き進めた後、こう感じる。

朝早く、日の出どきの軽い興奮が鎮まり、ロンドン全体がすでにどやどやと仕事に向かいはじめ、創造のための奮闘がついに疲労に征服されるころに、ピアノから立ち上がってスタジオの電気を消しにドア口まで足を引きずってゆき、ふり返ってみずからの労苦をとりかこむ豊かに美しい混乱を目にするときなど、クライヴはふと考えることがあったが、それは世界の誰にも打ち明けられることのないほんのかすかな思い、日記につけられることさえない思いで、そのキーワードは心のなかでもごくためらいがちにしか形にされなかった。ごく簡単にいえば、それはこういう思いだった。誇張のないところ自分は……天才ではないか。

●崇高である。だが、同時に彼は醜悪なのだ。その辛辣な真実というか諸相の一つを、最後にこの小説は唖然とするほど見事に描いているのだが、ここでそこまで書いてしまうわけにはいかない。ぜひご一読を。読後に再度、じっくりと味わってほしい。
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P.S. 山尾さんのご指摘によれば、この作曲家像はジョン・タヴナー。なるほど、納得! マキューアンはタヴナーを意識して書いたにちがいない。

July 6, 2004

マイスターと忠実な徒弟たち、新チャンピオンはギリシャ@ユーロ2004

レーハーゲルは監督業のマイスターだ●試合前、あらゆるドラマが開催国の優勝という、もっとも劇的でハッピーな瞬間へと向かっていたように見えた。これでポルトガルが優勝しなくてどうする。フィーゴ、ルイ・コスタら黄金世代の最後の大会、しかも開催国、チャンピオンズ・リーグのポルト優勝に続く偉業「ポルトガル・フットボール・イヤー2004」……。でもダメだった。サッカーに予定調和はない。楽しくて美しいサッカーは散った。

ポルトガル 0-1 ギリシャ

●新欧州チャンピオンのギリシャは、これまでユーロでもワールドカップでも一度も本大会で勝利がない。誰一人ギリシャの優勝なんて予想できなかっただろう。ギリシャを率いるのは大ベテランのドイツ人レーハーゲル。奥寺さんブレーメン在籍時代の名監督で、ワタシはこの人がまだ現役だとは知らなかった。で、レーハーゲルは20年位前のサッカーを今でもやっている。参加国中唯一、マンマークの守備を敷く。マーカー+ひとり長身のデラスをあまらせる。攻撃はシンプルで、サイドからクロスボールをしつこく何度でも入れる。まいったね、こりゃ。モダン・サッカー、くそくらえみたいな古典派である。偉大なドイツ人マイスターが教えてくれたのはこういうことだ。「サッカーはスタイルで勝ち負けが決まるのではない」。優れたものはいつの時代でも(それを極めさえすれば)優れている。
●「いま世界で勝つためには×××が必要」みたいなキーワードを呪文のように繰り返してきた人たちは、どうすりゃいいのさ。現にギリシャが勝っちゃったんだから。レーハーゲルなんて、下手したらこのままドイツ代表監督に呼ばれちゃう。
●ギリシャは優勝に値するチームだった……そりゃ優勝したんだから。楽しさ、美しさはない。規律と根性、情熱がある。ギリシャこそ現代の「ドイツ」だ(涙)。

July 5, 2004

「アムステルダム」イアン・マキューアン (その1)

「アムステルダム」 イアン・マキューアン 「アムステルダム」(イアン・マキューアン著/新潮Crest books)を読んだ。99年に出た本なのでいまさらだが、今年読んだフィクションのなかで最高におもしろく、エレガントな一冊。主人公の一人が現代イギリスを代表する保守系作曲家という設定で、音楽ファンにも強くオススメしたい。
●音楽面と小説面でそれぞれご紹介したいところがあるのだが、先に音楽面を。奔放で魅力的な女性が、退行性の病気がもとで40代にして亡くなる。彼女の若き日の元恋人たち(にして現在の友人たち)と夫が登場人物。元恋人に有名作曲家、高級紙の編集長、英国外務大臣の3人。みな社会的に成功した人たちばかりで、年齢と経験、成功を重ね、人生の収穫期にある。この作曲家、名前をクライヴ・リンリーというのだが、西暦2000年を記念する交響曲を国から委嘱されるほど著名で、しかも調性と機能和声に基づく明快な作風を特徴としている。
●イアン・マキューアンはかなり音楽に造詣が深いらしく、この作曲家の描写におかしいと思うようなところが一つもない。クライヴ・リンリーが自作について、こんなふうに自問する場面がある。

自分は若い世代の批評家がいうような飼い馴らされた才能、グレツキをインテリ向けにしたような作曲家なのだろうか?

 イギリスでのグレツキの位置付けがちょっと垣間見えるわけだが、それにしても「飼い馴らされた才能」とは実に便利な批評言語かもしれない。これは安易に使うとタチの悪いコトバだ。
●クライヴ・リンリーは西暦2000年記念の交響曲を書くにあたって、自分のメロディ作家としての才能を最高に発揮しようと考える。サッカーにおける(プッチーニの)「だれも寝てはならぬ」のような、公式行事に組み込めるような名曲を書こうとしている。

クライヴは自分をヴォーン・ウィリアムズの後継者とみなし、「保守的」といった評語は政治用語を盗用した不適切なものと考えていた。だいたい、クライヴが注目されだした70年代には、無調音楽、偶然音楽、音列、電子音楽、ピッチをサウンドに解体する手法、ありとあらゆるモダニスト的企てが大学で教えられる正統なものとなっていた。 (中略) がちがちのモダニストたちが音楽を学界に閉じこめ、そこで音楽はひとにぎりの専門化のものとされ、孤立・不毛化させられたのであって、大衆との不可欠なつながりは傲慢にも断ち切られてしまったのだ。 (中略) 狂信者の狭い心にとって、大衆的成功というものはいかなる形であれいかに小規模であれ美の妥協と失敗のあかしになるのだ、とクライヴは主張した。20世紀西洋音楽の決定的な歴史が記されるあかつきには、栄冠はブルース、ジャズ、ロック、そして絶えず進化しつづける民族音楽の伝統に与えられるだろう。

●ね。この作曲家に共感できる人もできない人も、小説の舞台設定、登場人物の造詣が非常にしっかりしていることはわかるでしょ。このクライヴ・リンリーって、現実にはだれに似てるんだろう。英国で国家行事に委嘱される人でクラシック畑、でも保守といってもたとえばピーター・マクスウェル・デイヴィスとかよりもっと保守ってことになる。うーん、だれだろ。日本なら特定できる。調性と機能和声による明快な作風、国家行事に委嘱されるくらい偉い、一般向けにも有名ときたら、そりゃ團伊玖磨だ。
●亡くなった女性の葬儀のために、この作曲家や新聞の編集長、外務大臣らが集まったところから小説は始まる。 (この項、明後日に続く)

July 3, 2004

「上司は思いつきでものを言う」 橋本治

上司は思いつきでものを言う「上司は思いつきでものを言う」(橋本治著/集英社新書)。とても売れているらしく、読んで納得。著者名を見なければサラリーマンの愚痴を並べたくだらないビジネス書かと思ってしまいそうだが、もちろんそうではない(そもそも著者に勤め人の経験などない)。仕事場としての会社の仕組と本質をこれほど明快に教えてくれる本はなく、組織で働く人なら少なくともうすうすと感づいていることを、あきれるほどわかりやすく論理的に説明してくれる(「埴輪製造業者」のたとえ話なんぞ実に鮮やか、しかも抱腹絶倒!)。さらに絶望して天を仰ぐだけではなく、書名のような事柄を構造的な必然と分析した上で「ではどうすればよいか」まで一応は踏み込んでくれている。
●だから、読んでよかった、でも人にはオススメしない。だってこれ読むと、「みんながこれを読んだら世界はもう少し生きやすくなるにちがいない」と思うじゃないっすか。でもそんなのもちろん幻想だ。幻想だってわかってるのに、そうじゃないと思いたい自分。これにとどめの一撃を食らわせたくなったときには、amazonあたりに寄せられた読者レヴューを読めばよい。なんじゃいこりゃ……。ぜーんぜん伝わってねー。

July 2, 2004

実直という罪、ギリシャvsチェコ@ユーロ2004

ギリシャの守備は厳しかった●ギリシャのマンツーマンのマークはすごかったっすよ。コラーなんてずっとカプシスにマークされてて、競ってもほとんど頭を振れない。なにしろコラーが朝、ホテルのベッドで目覚めたら、もうカプシスがそばに突っ立ってマークしてたって話だから(ウソ)。
●あ、それで思い出した。昔、U17のニッポンvsガーナだったかで、長身フォワードとして船越がいたですよ、少年時代の。でかくて、頭一つ以上余裕で大きい。で、だれかケガしたかなにかで試合がちょっと止まったときに、船越がライン際でベンチの監督から指示を聞いてるわけっすよ。その隣でガーナ人も一人並んで一緒に立っている(笑)。たぶん「船越をマークしろ、なにがあっても離れるな」とか指示されてたから、文字通りずっと船越のそばにいてベンチ脇までピタリと付いて来たと。さすがU17、素直だ。
●試合の話に戻ると、開始早々にロシツキのシュートがバーを叩いて、あっという間に点が入りそうだったんである。なのに、90分経っても0-0。ゴール前のロシツキ、コラーのワンツースリーなんて、最後はコラーはドフリー、しかも目の前からキーパーもほぼはずして後はまっすぐ蹴るだけだったのに。どうして入らないかなあ。
●ギリシャは忠実な守備をていねいにずっと続けていた。攻撃も徹底してシンプルで、サイドに出たらゴール前にクロスボール。ほとんどそれ。で、延長前半が終わる頃、まさしくコーナーキックのクロスをヘディングでゴールした。そのままキックオフに至らず試合終了の笛。1-0でギリシャが決勝進出。正直に言うけど、ワタシは落胆した。チェコのほうが楽しいサッカーだったから。ギリシャは尊敬に値するけど、楽しくはない。ブリュックナー監督の敗戦の弁を。これはサッカーの不条理であり、条理でもある。

「なんというパラドックスだ。これまでの3年間、30試合にわたって、CKから失点したことは一度もなかった。しかもこんな最後の瞬間に。最後の1分間が本当に危険な時間だということを証明してしまった」(チェコ代表監督カレル・ブリュックナー)
July 2, 2004

睡魔よ、立ち去れ。ポルトガルvsオランダ@ユーロ2004

今年はCLもEUROもポルトガル・イヤーだな、こりゃ●し、しまった。時差調整に失敗して、すんごく眠い。今大会屈指の好カード、準決勝という重要な試合になんということか。いかん、いかにサッカー好きといえどもこの眠気には……。不覚なり。
●ポルトガルvsオランダ。開始早々からお互いに厳しくプレスをかけあっていた……と思うがもしかしたら夢かもしれない。オランダはファン・デル・メイデではなくベテランのオフェルマウスを右サイドに置いた。ただでさえ高齢化しているのに、オフェルマウスとは。しかしオフェルマウスは好調で、むしろ左の若手ロッベンがもう一つだった……と思うが夢かもしれない。ポルトガルもフィーゴがすばらしく、なんどか決定的なクロスを供給していた……夢でなければ。
●試合は偉大なる予定調和へと向けて進んでゆく。デコのコーナーからフリーのクリスティアーノ・ロナウドが頭で先制ゴール。その後、パウレタが決定機を外しまくったが、マニシェが左45度ペナ外から完璧なミドルを叩き込んで2-0。ポルトガルはアンドラーデが不運なオウン・ゴールを入れてしまい1点差に追いつかれる。オランダはマカーイ、ファン・デル・ファールト、ファン・ホーイドンクを投入して押し込もうとするが、ほとんどの攻撃がシュートにまで至らない(夢でなけりゃ)。
●スペクタクルよりも攻守のバランスを優先させて、開催国優勝へと向かうポルトガル。オランダはあと1点が遠い。終了間際、ゴール右の極めて浅い角度から、オランダのファン・バステンが神業的ボレーで後世に語り継がれる伝説のゴールを決めた!……というのはもちろん夢だ。

ポルトガル 2-1 オランダ

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