●デュカスの名曲といえばまず挙げられるのが「魔法使いの弟子」。「ゲーテのバラードによる交響的スケルツォ」という副題が添えられ、快活な曲調と華麗な管弦楽法で人気が高い。
●しかしその簡明な作風からは想像がつきにくいのだが、作曲家デュカスは非常に厳格で妥協を許さない完全主義者だったようである。若くして成功した割には寡作家なのだ。あるとき調べものをしていて気がついたのだが、シベリウスと同様、この人も晩年には沈黙している。1910年(46歳)にバレエ曲「ペリ」を書いて以来、1935年に70歳でこの世を去るまでの間、ほとんど作品らしい作品を残していない。この間、デュカスは作曲をしなかったわけではなく、友人たちには作品を見せていたものの、その多くが破棄された。1910年にパリ音楽院の教授になっているので、社会的に隠遁していたわけではない。
●ちなみに、有名なシベリウスの沈黙と比較してみよう。シベリウスの場合は、1926年(61歳)に交響詩「タピオラ」を書いたあたりから筆が鈍り、1929年(63歳)から1957年に92歳で死去するまで作品がない。30年弱の沈黙ということになるので、デュカスよりも少し長い。時代的にはシベリウスのほうがやや後ということになるが、ともに20世紀前半ではある。時代が難しかったのか、創作意欲の減退なのか、容易には結論付けられないが。
●デュカスが出版した最後の作品、バレエ曲「ペリ」ですら、賭けのために書かれたもので、危うく破棄されそうになったものを友人たちが説得してゴミ箱行きを免れたという。作品を書いては捨てる管弦楽マスター。こうなると残された曲はどれも大切に思えてくる。まちがっても「魔法使いの弟子」が有名な一発屋作曲家などと思ってはいけない。「ペリ」や交響曲はもっと聴かれたっていいだろう。
●デュカスは「ペリ」の完成後、初演の舞台を効果的に開始するために「ファンファーレ」を作品に付け加えている。完全主義者にしてはずいぶん即興的なことをするではないか。たぶん「ペリ」本体よりもこの「ファンファーレ」のほうが現在耳にする機会は多い。芸術家は自らの作品をいくらでも破棄できるが、破棄しなかったものの運命を制御することはできない。
CD: デュカス:管弦楽曲集[「ラ・ペリ」へのファンファーレ、一幕の舞踏詩「ラ・ペリ」、交響曲ハ長調、魔法使いの弟子]
ジャン・フルネ指揮オランダ放送フィル