●ニコルソン・ベイカーの「中二階」(岸本佐知子訳/白水uブックス)を読んでいて、こんな描写にぶつかった。主人公がレコード店に入った場面を思い起こすところであるが、この情景、ピンと来るだろうか。
店に入ると、”二本の指でとことこ歩き”の動作でもって、アルバムを次々と繰っていく。たまに同じアルバムが何枚か続くと、まるで昔の五セント映画の原始的なアニメーションのように、<ドイツ・グラモフォン>の装飾的な黄色のタイトル枠の下で、ピアノに向かったアーティストが気取ったポーズのままじっと静止しているように見えた。ときたま二枚のアルバムの密封包装のあいだに軽い真空状態ができていて、そんなときには、一枚目を繰ると次のも一緒に身を起こし、途中でぱたんと倒れるのだった。
20代だと意味不明という方のほうがきっと多い。「二本の指でとことこ歩き」も「途中でぱたん」もアナログ・レコード体験のある方にはおなじみの光景。懐かしいっすね。この小説は微細な観察のみから成り立っている。
●ニコルソン・ベイカーは日常のきわめて些細な事象をミクロ的な考察によって描写するといった特異な作風を持っていて、この「中二階」などは一人のビジネスマンが昼休みからオフィスに戻ろうとして、中二階へ向かうエスカレーターに乗る瞬間からスタートし、エスカレーターを降りる瞬間で終わるというユニークな小説である。日常のディテールを掘り起こしていくと見えてくる真実やユーモアがある。ご存じなければ、ぜひ。
●ちなみにニコルソン・ベイカーは元作曲家志望で、イーストマン音楽学校で学んでいる。ニューヨーク州のロチェスター交響楽団で代理のファゴット奏者をしていたこともあるという。ファゴットというあたりが「らしい」気がする。