November 17, 2004

ラトル/ベルリン・フィル@東京文化

●ある頃から演奏中であれ休憩中であれコンサートを心置きなく楽しめないようになったので、ワタシはコンサートゴアーではなくCDリスナーなのであるが、いろいろ考えて今秋はベルリン・フィルとウィーン・フィルを一公演ずつ聴くことにした。激しいチケット争奪戦や高騰するチケット価格に打ち負かされそうになりながらも(笑)、フツーに固定電話、携帯電話、ネット上のチケット販売サイト、全部同時に必死にリダイヤル&リロードしてゲットしたですよ。
●で、ラトル/ベルリン・フィル、東京文化会館でドヴォルザークの「野ばと」とマーラーの交響曲第5番。存分に楽しんできたのだ。高所恐怖症には辛い文化会館の上層階、急勾配で、足が地面につかない。最前列の人はよく落ちないものである、あるいは年に何人か落ちてるんだろうか? 求む、命綱。5階のいちばん隅っこの座席を観察、そこからステージを見下ろしたときに感じるであろう想像上の眩暈。ロビーであちこちから発せされるクラヲタのオーラ。それを浴びてこちらも倍にして浴びせ返そうとしてみたのだが、うまく放射できたという実感はない。血走った目をした人たち。
●ドヴォルザークの「野ばと」は地球の反対側から持ってくる曲なのか、「謝肉祭」とかスラヴ舞曲のほうがよかったのにと思う俗物な自分。お約束の睡魔との戦い。休憩中にワインやコーヒーの置き場に困る人々。マーラーの5番を聴くのはこれで何度目なのか。事前に聞いていた通り、3楽章ではホルンがソリストの位置に立ち、ホルン協奏曲と化す。これが終わって楽章間とはいえ拍手が起きる自然な雰囲気。むしろ内容的に連続する1、2楽章間でラトルが棒を構えたままでいたのに、咳とざわめきで緊張感が失われたことのほうが惜しい。官能的ではない淡いアダージェット。近くから盛大に漏らされた咳。寛容であれ。隣に座ったクラヲタ風の女性がマーラーの終楽章に興奮を抑えきれず、曲にあわせて体が動いてしまうこと。カタルシスよりも洗練が優先されるという幸福、しかし曲が終わった途端に爆発的にブラボーと叫ぶ人が多く、意外なほど客席が熱いこと、それらすべてを楽しんだ。すべてを楽しみ尽くすというお客の特権を放棄する気はないので、粗探しにも評点付けにも関心はない。

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ラトル/ベルリン・フィル三連荘最終日。今回のベルリン・フィル来日公演で個人的に一番楽しみにしていたのが今日のマーラー。昨日に続いて、今日も上野へ。 続きを読む

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