●一昨日の「知に働けば蔵が建つ」(内田樹著)のエントリーで、「仕事とは本質的にオーバーアチーブであること」「仕事とは他者からの社会的承認を得るためのものであること」といった命題をご紹介した。一方ニートについて、同書では「仕事を社会的承認を得るためのものとみなさず、賃金を得るためのものと割り切り、ならば親と同居することで経済的安定を得られるのであれば仕事は不要であるという合理的判断を下した、資本主義を追い越した存在である」とみなした。これを読んで、ワタシはある世界的サッカー選手のニュースを思い出した。
●先日現役を引退した元オランダ代表のウィンストン・ボハルデ。ん、誰それ、そんなヤツいたっけ、と思う方もいらっしゃるだろうが、彼はオランダ代表として20試合に出場した実績を持ち、アヤックス、ACミラン、バルセロナといったビッグクラブを渡り歩き、2000年にチェルシーに移籍した。ここからがスゴい。
●ボハルデは週給5万9千ユーロ(約850万円)を受け取っていたが、チェルシーでの4年間、彼はたった12試合にしか出場できなかった。1年平均で3試合。週給850万円だと年俸4億4千万円くらい? 普通はこうはならない。長期契約を結んだ選手が監督の構想外となって、出場機会がまったくなくなった場合、選手は移籍を求めるし、クラブも当然ムダに雇うよりはヨソのクラブに売却しようとする。契約が長く残っていたり給与が高額すぎると買い手がつきにくくなるので(先方の支払額が大きくなるから)、選手とクラブが合意の上で現契約を破棄して、より移籍しやすい条件の新契約を結ぶこともあるようだ。
●で、実際チェルシーはボハルデが移籍しやすくなるように、契約の変更を提案したのだが、ボハルデはこれを断ったという。つまり、出場機会なんかなくても、契約を盾に毎週850万円を受け取ったほうがいいというわけである。こうしてほとんどトップチームに帯同しないまま、元オランダ代表は4年間チェルシーに留まり(どんな気分で日々を過ごしてたんだろう)、そして契約が切れた35歳、引退を発表した。すなわち、ボハルデは仕事に社会的承認を求めなかった。偉大な才能の持ち主が報酬のみを仕事の対価とみなした場合、こんな生き方だって可能なんである。超ヤンリタに成功した新時代のフットボーラーとしてこれを賞賛すべきなのか、天賦の才をムダにした人物として嘲笑すべきなのか。引退時に「サッカーに対する情熱が全くなくなってしまったんだ」とコメントしたそうだが、そりゃまあそうだろう。年平均で3試合はワタシより少ないよ(笑)。
December 14, 2005
ボハルデ伝説、ニートとしてのフットボール・プレーヤー
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