●ときどき「Jリーグは少し激しいタックルがあるとすぐにカードが出る。ヨーロッパを見習え」的な意見を見かけて、しかもそれなりに共感もするんだが、しかし慌てるな。ヨーロッパ、そのなかでももっとも華麗でスペクタクルなスペイン・リーグはどうなってたっけ。以前、審判のイバニェスさんがわずか160試合にして96枚目のレッドカードを掲げたという、どす黒いスペイン記録を打ち立てた記念すべき試合をお伝えした。
●そして人材の宝庫が新たなタレントを輩出中の予感。昨日WOWOWでマジョルカvsバルセロナの試合を見てたら(ちなみに大久保嘉人先発!)、この日の主審メヒーア・ダビラさん、今シーズンはここまで9試合で10人の退場者を出して絶好調。一試合あたりの平均イエローカードも8.2枚と驚異的なんである。いつものように流れるような滑らかな動作でポケットからカードを出し続け、後半には見事マジョルカから一人をピッチ外に葬り去りノルマ達成。10試合で11人目の退場者と順調に記録を積み上げる。一試合平均一枚のレッドカードは譲れないぜー。選手たちよ、オレの色紙を見たけりゃかかってきやがれ。
●てな光景を見てると、誰だったかみたいに出されたカードを奪い取って主審に向かって掲げてやりたくなる気持ちもわかる。毎試合だれかいなくなるってのは、選手が悪すぎるのか、審判の基準そのものが狂ってるのか。あ、試合のほうは序盤マジョルカが押してたんだけど、終わってみりゃ0-3で完敗。大久保は結果は出せなかったものの、体が切れててワクワク度かなり高かった。ほんの少し隣の多元宇宙でゴール決めてた感じ。
2006年1月アーカイブ
みんなで分かち合おうじゃないか、この色紙を。リーガ・エスパニョーラの過剰
THE 有頂天ホテル(三谷幸喜監督)
●映画「THE 有頂天ホテル」(三谷幸喜監督)を見てきた。ヒットしているとは聞いていたけど、たしかに劇場は混んでいて、若者中心の観客層も笑うべきところでドッと笑い、ノリがいい。ていうか、これ映画館よりお茶の間って雰囲気かも。
●ワタシはテレビドラマも舞台も見ないから、三谷幸喜っていう人は朝日新聞夕刊に大変おもしろいコラムを連載している人っていう認識で、だから以下ことごとく世間からズレてるたわ言な可能性が高いんだけど、それでも十分楽しかった(ちなみにワタシは篠原涼子という名前すら知らなかった。役所広司と香取慎吾は知ってる)。大晦日の格式ある高級ホテルを舞台に、年越しカウントダウンパーティーの準備に追われる様々な人々を描いたハートウォーミング(かもしれない)コメディ。傑作。
●で、ほのぼのしながら楽しく笑って見てたんだけど、これ、最後のほうだけギクリとしなかったですか>見た方。ワタシは「ええっ」と驚いた。物語のテーマとして「みんな、もっと自分らしく自由に生きようよ」ってのを力強く肯定するんすよ。ホテルマンやりながらミュージシャンの夢を8年間追いかけて芽が出ないまま28歳になった香取慎吾に「まだまだやれる、夢をあきらめずにがんばろう」って応援し、不倫関係の男女に「自分の気持ちに正直になろう」って開き直らせ、地道に堅実な仕事をしてるホテルの筆耕係に「さあ、のびのびと自由に文字を書いてみよう」っていって前衛書道家みたいな字を書かせる。
●人が筆耕係っていう仕事に敬意を払うのは彼らが楷書体で1mmのブレも許さないような文字を求められて書くからで、自由でニセアーティスティックな字なんて誰だって書けるんだからそんなの価値ないよ、って思ってしまうワタシはなんだか罪深いものを見た気になった。みんなが言って欲しいことを、プロフェッショナルな大人たちが言ってあげているんだなと想像すると、なんか落ち着かない。「自分らしく生きる」っていう呪文の強力さを改めて思い知った気がする。ワタシごとき未熟者が言うのははばかれるんだけど、ウチのマンションにも「自分らしく生きてる」人がいっぱいいてさあ……。
極楽平日マチネの予感
●新国立劇場の2006/2007シーズンのパンフレットを眺めていて、「平日マチネ」っていうチケット・シリーズがあることに気がついた。各演目に一公演ずつ開かれるのかなと思ったら微妙にそうではなくて、10演目中7演目にある。ニュープロダクションには必ずあり。公演数ベースで数えると47公演中の7公演だから全体の約15%が平日マチネ。これはなかなかスゴいんでは。
●団塊世代の大量退職をビジネスにつなげようって話を最近よく耳にするけど、それを別にしても平日マチネって需要がある気がする。いや、たいした根拠はないんだけど、新宿とか渋谷とかって平日の真っ昼間でもいっぱい人がウロウロしてるじゃないっすか(おいおい)。映画館も人気作だと客席は埋まってる。リタイアした人はもちろん、曜日と関係ない仕事してる人とか。あと意表をついて、サボリーマン究極の憩いの場になるとか。「初台の客先に営業/直帰」。ほとんど先発完投型でダイナミックなり。上司に初台ってなんだっけとか聞かれたときは、「あー、オランダの船舶会社の船長さんが道に迷ってさまよってるからフォローしてきます」とかテキトーに言っとくと吉。
魔笛ホイ補遺~究極セレブにスタオベ
●(承前)「魔笛」に出てくるザラストロ教団のみなさんが着ているオレンジ色の長衣を見て思い出すものは何か。これはきっとワタシだけじゃなくてあの舞台を見たことのある多くの方が同じではないかと信じるのだが、ずばり、名作映画「猿の惑星」のオラウータンである(もちろん旧作のほう。ティム・バートンのリメイク版はどうだったか覚えていない)。
●「猿の惑星」に登場する猿には3つの種族がいる。それぞれに性格と職業属性を持っていて、器用で知性のある科学者チンパンジー、粗暴な体力バカの軍人ゴリラ、成熟した知恵を持つ政治家オラウータンの3種族。オラウータンはいつもオレンジ色の制服を着用していた。彼らはチンパンジーもゴリラも知らない世界の秘密を知ってるんだけど、保守的すぎて秩序をぶち破ってまでも前進しようっていうパワーに欠ける。「魔笛」の教団とイメージが重なる。ザラストロ=ゼイウス博士説(笑)。オレンジ色というのは叡智の象徴なのですね……っていうのはいま口からでまかせに言ってみただけなのでホントかどうかは知らない。
●東京のオペラ公演の客層には「なんちゃってセレブ層」っていうのもあると思うんだが(ワタシゃ嫌いじゃない)、一昨日の「魔笛」では第2幕から究極のセレブリティ、皇后陛下がお見えになった。おお、夜の女王vsリアル女王(違うけど)なのか。ご入場のときもご退場のときも、客席はスタオベ。このとき遠くから「かわいー」と小声を発した女子がいたことは忘れず書き留めておきたい。
新国立劇場で「魔笛」~ビミョーにモーツァルトイヤーその1
オレは自然児だから、寝て食って飲んで、あとはかわいい女のコでもいればそれでいんだよね。(パパゲーノ)
●新国立劇場でモーツァルト「魔笛」を観てきた。有名なオペラの中で「魔笛」くらいヘンな作品はない。このオペラには物語がない。あるけど、ない。「魔笛」のあらすじはどこにでも転がってるけどどれを読んでも意味不明で、実際書きようがないんだと思う。フリーメイソン云々って話は作品内には説明されてないわけだから脇に置いとくとして、もし予備知識レスにこのオペラに接したとしたら、どんなふうに受け取るんだろ。
●まずパパゲーノっていう、ごく常識的な欲望を持った、正気の人物がいる。世界では新興宗教の勢力が増してて、教団は小うるさい独り善がりなモラルを振りかざしながら、人を拉致して洗脳してて、娘を拉致された母親が助けようとするんだけど救出に失敗しちゃう。いいとこの見目のよい坊ちゃんはサティアンに監禁されてあっさり洗脳される。最後まで抵抗していたパパゲーノも色仕掛けで籠絡されちゃう。教団は完全勝利してバッドエンド。こんな感じかなあ。
●98年の演出に猛烈遅レスだけど、ミヒャエル・ハンペの月とか地球とか銀河が見える舞台ってのもスゴくない? ここから地球や月が空に見えてるってことは、これは火星が舞台ってことなのか(笑)。
●あと、これは昔はじめて「魔笛」を見たときからの疑問なんだけど、パパゲーノって「鳥刺し」っていうじゃないっすか。鳥刺しってのは竹竿の先にトリモチつけて鳥を獲る人って解してるんだけど、だったらどうして鳥っぽい格好をしてるんだろ。鳥を獲るから鳥人間になるってのは、鹿を撃つ猟師が鹿人間の格好をしたり、マグロ漁船の漁師がマグロ人間の格好をするのと同じくらいの意外性があると思うのだが、もしかしてワタシは根本的になにかをわかっていないのかもしれん。っていうかマグロ人間ってなんだよ。
●やっぱりオペラってすばらしいなあ。(←どうしてその結論なのか)
バックアップ天国~対衝撃ハードディスク編「象には踏ませるな」
●最近、「設備投資」という名の物欲を着々と満たしつつあるのだが、この木星の付近に浮遊するモノリス状の物体とも薄型弁当箱とも見えるシルバーボディがなにかといえば、なんとこれが対衝撃ポータブル・ハードディスクなのである。名はBUFFALO HD-PHS80U2/UC。長辺で12cm強、薄型。USBでつなげるだけの80GB。恐ろしい時代になったものである。PCに蓄積される日々のマイデータを手軽にバックアップするために購入。PCなんて元気のいいときは未来永劫動き続けそうな勢いだけど、ある日突然起動しなくなったりするから、転ばぬ先のe杖ゲットなんである。
●が、こいつの真の魅力は「対衝撃設計」であり、メーカー公式サイトによれば「高さ75cmから様々な角度で26回落下させ、水平に100回落下後も動作を確認」という頑丈ボディである。なぜ、こういう謳い文句にワタシらは異様にワクワクしてしまうのであろうか。ああ、落としてみたい。この買ったばかりの新品ハードディスクを高さ75cmから落としてみたい。ムズムズする男の子オリエンティドな欲望。だが杖があるから思いっきり転んでみたいかと言われれば本当は転びたくはないのであり、バックアップアイテムをいたぶってしまっては激しく本末転倒である。堪えよ、自分。
降格クラブの主力選手はどうなったか
●Jリーグはシーズン・オフ。週末に試合がないと、いろいろと平和だ。で、今の時期、最大の話題は選手の移籍話。J2に降格した2クラブ、主力選手がどうなるかと思っていたのだが、やはりかなり移籍してしまうようである。
●まず柏レイソル。目玉となる玉田圭司は名古屋グランパスへ。やっぱりそうかあ。しかし名古屋は資金力が豊富の割にはなかなかそれが成果に結びついていない。謎。新天地での玉田の活躍を祈る。ちなみに他の柏勢は明神がガンバ大阪へ、土屋と波戸は大宮へ、大野はヴェルディ、永田充と矢野貴章が新潟、増田忠俊が大分。
●ヴェルディも同様に戦力流出が激しい。なんと相馬崇人(近い将来の代表)とワシントンが浦和レッズへ。浦和は着々とビッグクラブ化してる感じ。もっとも、集客力の高いクラブがよそから有力な選手を買うのは自然なことである。小林大悟と小林慶行の両小林は大宮へ。大宮はほかにもガンバから吉原宏太を獲得したりと、着々と補強を進めている。長くヴェルディを支えてきた林健太郎は一部昇格した甲府へ(!)、ジーコ・ジャパン代表歴のある山田卓也はセレッソ大阪。米山篤志は川崎。ここまではすべて完全移籍、戸田和幸が広島にレンタル。
●両クラブとも容赦なくごっそり選手が抜けたという印象なんだけど、これで弱くなるかっていうと必ずしもそうとは限らないのがサッカー。新生ヴェルディには期待してるので、来季は応援するつもり。2部ならマリノスと利害関係が生じないから、安心して観戦できる。
都心で8年ぶりの積雪9cm
●雪である。ニュースによれば「8年ぶりの積雪9cm」。東京は雪に対して非常に脆弱なので、これでも大事。平日でなかったのがせめてもの救いか。寒いのでつい早足になりがちなのだが、これが危険、一見足元が大丈夫そうに見えてもズルルとすべったりする。ちなみに冬の雪国に靴屋に行ってみよ。PUMAとかadidasとかのブランドで底のぶ厚い雪国仕様のシューズがフツーに販売されている。あれ、名前なんていうんだっけ。
●シリーズ累計で100万枚を突破した東芝EMIの BEST CLASSICS 100、一昨日これにちなんだコンサート「BEST CLASSICS 100コンサート」に出かけてきた(NHKホール)。超名曲を少しずつ盛りだくさんで。なーるほど、これがあのシリーズの聴衆層なのか。この話は後日別の場所で改めて。
●amazon.co.jp クラシック・セール開催中。10~20%OFF。
pingしておくれ、ふるさとへ
●右側に載せてるMyBlogListのことでまだ迷っているワタシ(やれやれ)。未練がましく旧MyblogListをまだ使ってるわけだが、このままでは新規サイトを掲載できないのでいいかげんDrecomRSSに切り替えなければいけない。しかし相変わらずDrecomRSSはダメダメで、ローカルで確認したところじゃ何日経っても更新を拾ってくれないサイトがいっぱい。急に世界が静かになる。せっかく読みたいと思ってブログをリストに載せても、新着記事をいつも読み落としてしまうのではなあ。
●ちなみにリンク集のページではしばらく前から同じリストをBlogPeopleを使って掲載している。拾うものはDrecomRSSよりはちゃんと拾ってくれるが、拾わないものは一切拾わない。うーむ、一長一短。
●ともあれ、どっちに移行しても 記事更新時に ping をどこにも発してくれないブログについてはほとんど更新を拾ってくれないっていう印象だ。ある程度、あきらめるしかない。だから、ブログ持ってるみなさん、ping しておくれ、もしできるんなら。ping の送信先はDrecomRSSは http://ping.rss.drecom.jp/ 、BlogPeople は http://www.blogpeople.net/servlet/weblogUpdates 、これが指定できなければ ping.blogger.jp でも可。ワタシはこれらの他にもいくつかpingを送っている。
●プロバイダによっては ping できないところもあるのか。自分で ping が送れないって方は、更新PINGソフトウェア「ぶろっぐぴんぴん」ってのを使って手動で送る方法もある(要BlogPeople登録)。まあ本来手動ってはなんか違う気がするけど。
●ここまで読んで ping って何の話だかわからんって方、pingとはなにか、自由に想像しちゃってください。
「ところで、どう? ping は」
「かなりいいですよ」
「……。pingって飛びますよね!」
「飛ばんよ、pingは。飛ばんよねぇ、pingは」
♪ハーーー、ウーーーー
あっ、ping は飛ぶか(笑)。
ウワサのSkypeを使ってみた
●ひょっとして「今頃?」なのかもしれないんだけど、遠方の友人に勧められてウワサのSkypeとやらを使ってみた。インターネットにつながってれば、世界中の誰とでもオンラインで通話できる、場合によっちゃビデオ通話だって可能という、あのSkype。まあビデオ通話はいいから、音声通話だけでも。実質無料。
●本格的に使ってる人はこういうヘッドセットを使ってるそうだが、とりあえず今知ったワタシは今これを使いたい。っていうんで、スピーカーはPCについているから、後はマイクだ。たしかPCの裏側にマイクを差し込む端子があったよなあ。テレコにつなげたりする小型マイクを引っ張り出してきて、PCにつなぐ。Skypeのインストールは簡単。
●で、試してみた。ワーオ!(死語)すごい、これ。メッセンジャーみたいな感覚で使えるんだけど、チャットじゃなくて(チャットもできるが)、遠くの友達と音声で通話ができる! なんだかこれはスゴく新しい体験だぞ。文字じゃない、音声だ。ワタシ、PCの前で会話してる。ワハハ、おもしれーな、これ。みんなもやってみないか! ワクワクするぞっ!
●と猛烈にエキサイティングな長話を終えて、インターネットがいかにワタシらの世界を変貌させたかをシミジミと実感し、最後に気がつく、昔から電話使えば遠くの人と音声で会話できたじゃん。
●あ、でもやっぱりSkype、スゴい。無料だってことだけじゃなくて、なにかが電話と違う(ような気がする)。
おかえりなさいませ……
●メイド喫茶とメイドゲーセンだけでも十分にインパクト大なのだが、東京・中野ブロードウェイ4Fにまたなにかスゴいのが開店してるぞ。なんと、エルフ喫茶(笑)。メイドではなくエルフのコスプレってことらしい。いや、ワタシは行ったことないから知らないんだけど、入店時は「おかえりなさいませ、旦那さま」ではなく「いらっしゃいませ♪勇者様☆」で出迎えてくれるようで、まさに勇者レベル1から経験値積んでレベル2へGO!ってなものであり、そして直リンクする勇気がないのでURL書いておくと、http://www.geocities.jp/elfgard4f/ 、店名はエルフガルドなり。
●あ、こんなの書くとまた変なトラックバックが付きそうだな。
「虚数」(スタニスワフ・レム著/国書刊行会)
●音楽における「自然への回帰」ってどんなものかという話。
●ポーランドの作家スタニスワフ・レムといえば、「ソラリス」が映画化されていることで知られていると思うのだが、しかしタルコフスキーの「惑星ソラリス」はなにも起きていない時間が長すぎて最後まで通して見ることができたためしがなく(バッハの「主イエス・キリストよ,われ汝に呼ばわる」が流れる)、近年ソダーバーグがリメイクした「ソラリス」は完璧にハリウッド流に洗練されてしまい、スタニスワフ・レム的なものがどこにも見当たらない。
●で、そのレムの「虚数」(国書刊行会刊/文学の冒険シリーズ)だ。この前篇ともいえる「完全な真空」は存在しない架空の書物を論じた書評集だった。そして「虚数」はこれまた架空の書物に対する序文集である。「ありもしない本を述べる本などなんの意味があるのか」と思われてしまうだろうが、ではその架空の本とはなんだろう。「虚数」でいえば、たとえば2009年パリで刊行される「ビット文学の歴史」全5編である。ビット文学とは人間の手によらない文学を指す。あるいは2011年にヴェストランド・ブックスより刊行される「ヴェストランド・エクステロペディア」、すなわち未来予測コンピュータによる未来言語の百科事典だったりする。「虚数」でレムが執筆しているのは、これらの書への序文である。
●そして、序文を集めたこの本そのものへの序文もある。メタ序文である。このレムのメタ序文では「自然への回帰」というテーマが俎上に載せられ、音楽を例としてなにが自然への回帰かが論じられている。コンサート・ホールの聴衆は文化的なように見えても、実はせいぜい音楽に集中してみえるだけのことであると鋭く看破し、どんな聴衆も身を委ねてしまうような身体的な音楽を待望する、このように。
百のマイクロフォンによって盗聴されるこのシンフォニーは、内臓に特有の、暗く単調な楽器編成を持つだろう。なぜならば、その音響的な背景となるのは、増幅された空腸的低音(バス)、すなわち避けがたい腹痛に我を忘れた人々の腹鳴だからである。それは、ごろごろと落ち着きはらい、ぶくぶくと正確で、絶望的な消化の表情に満ちた腹痛だ。この内臓の声こそは、肉体(オルガン)の発するものであってピアノの発する音ではない以上、本物であり、生命の声なのだ! 私はまた信じている。示導動機(ライトモチーフ)は座席に腰を据えた打楽器の拍子に従って展開するだろう、と。そして、その打楽器は、椅子の軋む音でめりはりを付けられ、強く発作的に鼻をかむ音の挿入や、素晴らしいコロラトゥーラの咳の和音を伴うものに違いない。気管支炎が演奏を始める……そして、私には予感がする。まさにここで数多くのソロが、喘息持ち老人の名人芸によって演奏されることだろう。正真正銘のメメント・モリ・ヴィヴァーチェ・マ・ノン・トロッポ、断末魔の苦しみに喘ぐピッコロ。……(後略)
●マラン・マレは「膀胱切開手術図」という描写的で恐ろしげなヴィオール曲を書いたが、スタニスワフ・レムの吐く猛毒ユーモアも負けていない。「虚数」の日本での刊行は98年だが原著は73年。ちなみに「ソラリス」は61年。レムは約半世紀も昔から一貫して遠い未来に向かって絶望し続け、わたしたちはこれを読んで痙攣しながら哄笑する。
ドイツ大会チケット争奪戦不参加中
●ワールドカップ・ドイツ大会まであと半年を切った。6月9日開幕。日本国内での日本戦発売予定についてなにかニュースを見かけた気がするが、争奪戦は大会公式サイトでとっくの昔に始まっている。ワタシはドイツに行く予定はないので参戦してないんだけど、いくつか争奪戦関係の掲示板を見てみた。いやー、懐かしいっていうか、もう2002年大会の再現だ、ドイツなのに。
●売る側の定めた販売ルールと彼らの気まぐれな応対、不明瞭なグレーゾーンに対抗し、チケットゲットにかける情熱なら世界一の日本人たち(業者でのことではない)が知恵を絞って少しでも当選確率を高めるための戦いを繰り広げている。これは熱い。突然チケットが放出されてゲットできたり、支払いまで完了したはずのものが一方的にキャンセルされたり、意表をついたウラワザが開発されたり。FIFAの公式サイトの販売は、日本人的な常識では計り知れない対応をすることがあるから、みんな疑心暗鬼になってて、一方でもう取れてるのにもっと取りたい欲望に負けてインチキ申し込みしちゃうみたいなのもあったりとか。すごく楽しそうだ(笑)。なぜか猛然とチケット取りに参戦したくなっている自分がここにいるのだが、これはたぶんサッカーへの情熱というより、単にチケットゲットジャンキーなんだと思う。病なり。
キング・コング(ピーター・ジャクソン監督)
●今、映画館で上映中の「キング・コング」、こりゃ大変なことになってるっすね。「ロード・オブ・ザ・リング」のピーター・ジャクソン監督によるリメイクなんだけど、最初は食指が全然動かなかった。だって「キング・コング」なんだから、話はおもしろくもなんともない。しかしあまりに評判がいいので、映画館に行ってみて呆然。このCG、ありえない!
●「CGを駆使すればなんでも描ける」って簡単に言うけど、じゃあなんでも描けるならどんなスゴいものでも描けるかっていうと、そんなことはなくて、人口のものだからこそ人の想像力を超えるものは描けない。実写なら、たとえば南極の大自然を撮っていたらカメラがだれも想像もできなかったようなすばらしい光景をとらえたっていうことがありうるかもしれないが、CGじゃそうはいかないだろう。きっとクリエーターの想像力に依存する。
●で、「キング・コング」はその想像力の豊かさが尋常じゃなくて、「そんな光景、どうやって思いついたのか?」みたいな絵が次々と出てくる。一例を挙げると、ブロントザウルス(かな? 首の長い草食恐竜)の群れが、互いの巨体を擦らせながら狭い道をパニクって怒涛の勢いで走るシーン。狭いところを無理やり爆走するから恐竜たちが将棋倒しになる(笑)。そんなCGを描こうってどうやって思いついたんだろ。カーブが急なところなんか、外側を走ってるブロントザウルスが遠心力に負けて崖からゴロゴロ落ちていくんすよ。どこかで見たのか、それっ!的な深い感動あり、いたるところで。
●恒例、DHCのFROM 40にて「オトナのためのクラシック音楽入門」第12回掲載中。今回もまた見てね。フンガフッガ!
知らない邦題、見つけられない表記
●しまった、映画「Jの悲劇」って、とっくに(去年?)公開されてしまっていたのか。全然気がつかなかった。というか、つい最近まで「Jの悲劇」なるものが、イアン・マキューアンの「愛の続き」を映画化したものだってことを認識していなかった。知ってたら見に行ったのに。早稲田松竹か新文芸坐でやってくれないかなあ。ダメならWOWOW待ち。
●映画といえば「プライドと偏見」って題もかなりインパクトがあったが、原作が古典的名作の場合は、ワザと違った邦題にするのかもしれない。「高慢と偏見」や「自負と偏見」をamazonやgoogleで検索するとありとあらゆるものを拾ってきちゃうけど、「プライドと偏見」ってしておけばこの新作映画関連以外の商品を完全に排除できるから。なんかヤな感じだけど。
●ある意味その逆のパターンで、前に当欄で「サリエーリ」(水谷彰良著)って本を紹介したじゃないですか。記事の見出しに評伝「サリエーリ」(サリエリ)と二種類の表記をわざわざ併記したのは検索エンジン対策。書名が「サリエーリ」だから見出しは「サリエーリ」と書かなきゃしょうがないけど、一般的な表記は圧倒的に「サリエリ」。今Googleで調べると「サリエリ」が約80,400件、「サリエーリ」が約569件と比較にならない。GoogleもYahoo!もこの二種類の表記を別のものとして扱う(ついでに言えばamazonも)。もし書名にあわせてエントリー中の表記を全部「サリエーリ」としていたら、作曲家サリエリについて検索する人の99%以上を逃してしまう。それじゃあねえ。
●ちなみに「サリエーリ」は約569件だけど、「ベトベン」は861件もあるデスよ!
走りすぎても死なない。「オシムの言葉」(木村元彦著)
●なんか物足りないなと思っていたら、そうだ、日本のサッカー界は元旦をもってシーズン・オフに入ってしまったのだ。やっぱりJリーグがないと寂しいっすね。スペイン・リーグを見たからといって、その代わりになるもんじゃない。
●で、「オシムの言葉」(木村元彦著/集英社)を読んだ。日本のサッカー史上、こんな興味深い監督がいただろうか。オシム語録の数々はとても有名になった。「ライオンに追われた野ウサギが逃げ出すときに、肉離れを起こしたりしない」「ベテランとは、第2次世界大戦のころにプレーしていた選手」「大事なことは、昨日どうだったか、明日どうかではなく、一日一日を大切にすること」。
●並外れた監督としての実績、JEFの快進撃、ユーモアとアイロニーに満ちた語録などで、うっかりすると忘れてしまうのだが、オシムは90年代に祖国の終焉に立ち会ったユーゴ人である。生まれはサラエボ。ある日、サラエボで家族と過ごし、仕事場のベオグラードにもどろう空港へ向かった。すると騒然とした空気の中でセルビア系住民がチェックインカウンターに殺到していた。オシムは妙だと感じて、見送りにきた妻にいっしょにこのままベオグラードまでついてこないかという。でも妻は大丈夫でしょうといって、そのまま夫を見送った。これが運命の分かれ道、その2日後に爆撃が開始、サラエボ包囲戦が始まる。家族は離れ離れ、アマチュア無線のリレーなどで互いの生存を確認しながら、やっと再会できたのは2年半後。そんなバックボーンを知ってからオシム語録を眺めると、これまでとはまた違った光景が見えてくる。たとえば、「新聞記者は戦争を始めることができる」とか。
●プレーヤー時代のオシムが「シュトラウス」の異名をとっていたって話もおかしい。ヨハン・シュトラウスのワルツみたいにエレガントにボールをさばいたってことらしい。
粘着オヤジ@スーパーエクスプレス
●正月に郷里から帰京する際、ワタシは特急列車と新幹線を乗り継いで、計4時間ほどの旅をする。在来線から新幹線への乗り換えの間隔はほんの10分ほどしかないのだが、接続がうまく行かなかったことはない。が、今年はさすがに違った。正月としては異例の大雪で、途中の除雪がうまくいかなかったのか、在来線が急遽ルートを変更することになった。大雪の区間を迂回して、別の新幹線の駅へと向かう。1時間以上、余計に電車に乗ることになるが、まあその日の内に東京に着かないわけでもないんだから、慌てることはない。大雪だもん、それくらいしょうがない……が。
●一人、ワタシの座席のすぐ近くで、どうしても納得いかないオヤジがいたのである。通りがかった車掌さんをつかまえて、苦情をまくし立てはじめた。「行き先が変わるんなら、なぜ乗るときに行き先表示を変えないのだ。それに接続先の新幹線はどうなる。指定席をとってるのに、これじゃあ予約した電車に乗れないでしょ。これ、今ここで新しい指定席予約できるの? えっ、できないの。それじゃあ困るよ、あなただって旅行するときにこんなんじゃ不愉快だよね。JRのシステムはこういうことに対応できていないのか、そもそもね、国鉄が分社して東とか西とかになったから……」。この苦情が続く続く。5分経っても10分経っても苦情を言い続ける。
●見たところ50代半ば、スーツを召した一見立派そうな粘着オヤジは、JRの大雪対応の甘さに始まり、国鉄の分社化は誤りと主張し、さらに日本人の危機管理能力の低さにまで言及して大風呂敷を広げた。酔ってるようには見えない。ワタシも周囲の人々もそわそわし始めた。迷惑なのである。このオヤジは指定席をとった接続先の新幹線に乗れないことが許せないらしく、代替席に必ず座れるのかどうかと車掌を詰問する。車掌はおそらく大丈夫だと思うが絶対とはいえないと答える。粘着オヤジ、畳み掛ける。わずかでも自分は譲歩できず、JRには完璧な対応をする義務があるという態度。
●しかしどうせ大雪でダイヤはグチャグチャなんである。どこに着こうが、そこには本来の予約客を乗せられなかったガラガラの新幹線がいるわけで、臨機応変、そのときに到着した乗客が適当に空席に座ればいいんである。あとはJRでどうとでもするだろう(事実、問題なく空席に座れた)。仮に最悪それがムリだったとしても、大雪のような非常事態であれば、JR側だけじゃなく乗客だって少しくらいは不利益を分担して受け入れたってしょうがないじゃないか。と、このオッサン以外は納得してたと思うのだが、粘着攻撃は止んでくれない。まるで他の乗客の代弁者として、私が正義を振りかざす役目を請け負ってやったのだという態度でネチネチネチネチと車掌を責める。
●ワタシは大勢乗っている若者の誰かがブチ切れるんじゃないかと心配になった。「オヤジ、しつけーぞ、もう黙れ!」とか。が、みんな耐えた。JR西日本の車掌さんはひたすら低姿勢であった。偉い、偉すぎる。同じ苦情を30回くらいループして、ワタシがその場の空気に耐え切れず「走行中の特急列車から逃げ出すにはどうしたらいいか」を考えはじめた頃、ついに粘着オヤジの攻撃は終わった。しばらくして、終着駅に着いた。ワタシの目の前を、そのオヤジが出口へ向かって悠然と歩いている。この頃ワタシは堪え性がない。なにか一言いってやりたい。でも、まあ、ろくなことにならんだろう。ぐっと堪えた。しかし空想上のワタシは後ろから粘着オヤジの肩をグワシッとつかんでいた。なんだとばかりに振り向いたオヤジに対して、ワタシは冷徹にこう言い放つのである。「あんた、ひょっとしてクラヲタだろ?」
厄払いでGO!
●正月に帰省し、今年は大厄だというので実家の近所の神社で厄払いをしてきた。クソガキの頃に遊びまわっていた神社に何十年ぶりかで出向く。両親にいわれるがまま、連れられてきたのだが、恐るべし伝統文化の断絶、ワタシは厄払いといってもなにをするのかが全然わかっていない。これが東京でするというのであれば、ワタシは事前にググるなり厄払いドットコムへ行くなりして、徹底した予習をするわけであるが、故郷に帰るとそのようなネットワーク上にプールされた知識にアクセスしようなどとは思わないもので、ただ親任せになってしまう。父母は地元のだれもが知る常識に従うかのように、奉納するお酒と紅白の大鏡餅を用意し持参したのだが、そういう知識はどこから共有されているんだろうか。ワタシは玉串の持ち方ひとつ知らず、どこで玉串料を渡すものかもわからずオロオロし、そもそも数え年ってものをわかっておらず、神様を前にして2礼2拍1礼するというのを何度聞いても覚えられない。放っておくと文化はちっとも伝承されない。が、御祓いをしてもらうとなぜか嬉しく、気分はちょっぴりスピリチュアル。神主さんは太鼓を叩いた。ストラヴィンスキーの「春の祭典」を想起させるような、原始の大地を感じさせるワイルドな独特のリズムだった。
●神主さんは言う。「厄年の厄というのは、厄介者の厄ではなく、本来は役である。すなわち厄年の者は普段よりも気をつけて神様の世話をしなさい。ふと思いついたときに神棚の水を取り替えるとか、そういった小さなことでも結構です」。厄払いの後、厄除けの神符をいただいた。お札は神棚に祭るのだろうが、東京の賃貸マンションにそのようなありがたいものは設置されていない。代替案としてワタシはウチでいちばん立派な収納具である3段スライド式CD棚にお札を飾っておくことにした。
●帰り際、神主さんは2月の節分祭にもいらしてくださいとプロモーションを忘れない。先代の神主さんは実に威厳のある立派な風貌をされていたものの、営業活動には熱心ではなく、正月でも夕方5時を過ぎれば門を閉ざすような方だったが、今度の神主さんは大変才覚があるという話。正月の夜間営業はもちろんのこと、左義長なども規模拡大されて書き初めはより力強く炎に舞い、節分祭では地元の芸妓など呼んで踊らせ、自ら豆を勇壮に撒き、人が集まり、となればローカルTV局も絵に描いたような節分行事を撮るために取材に訪れ、そしてますます人が集まるという好循環で地元での神社プレゼンスを急上昇させている。ダイレクトな集金活動より、イベントとプロモーションを重視する方法論はきわめて現代的であり、事実、街のあちこちで4色刷りの節分祭のポスターを見かけるのだ。
●もちろん神主さんがビジネスに長けていたからといって、そのありがたみは少しも減じることはない。一通りの儀式を終え、ワタシは安堵し、呆けた頭で「腹減ったなー、昼メシはなんだろなあ」とマックス世俗的な気分に浸っていると、バリアフリーではない神社に罠のように仕掛けられた段差に足をとられ、危うく厄払い直後に転倒してケガというワタシも神主さんも面目丸つぶれの事態に陥りそうになった。が、ワタシは転ばなかった。バランスを失っても転ばない。つまり、これ厄払いのおかげであり、ここに神様の庇護をワタシは強く感じたんである、ビバ厄払い。
ニューイヤー・コンサートでテレビ正月
●正月になってほっと一息ついたらあっという間に4日。大晦日も元旦も秒速1秒の速度で彼方へと遠ざかっている(そりゃそうだ)。
●元旦のウィーン・フィル・ニューイヤー・コンサート、今年はマリス・ヤンソンスが初登場。だらだらとテレビを眺めながら満喫。昔はニューイヤー・コンサートなんてマンネリでつまらんと思っていたのだが、最近は違う。マンネリなほどいい。細々としたアイディア(携帯電話のネタなんてギクッとさせられた)だとか多少の選曲の違いだとか指揮者の個性の違いといったものはいいとして、あとはなにも変わらなくて吉。元旦にテレビをつけたら、去年と同様お約束だらけの演奏会がある。同じような音楽を聴く。変わらない正月があるってのはほとんど僥倖っていってもいいくらいのものだろう。逆にいえば、正月を重ねていけば、そのうち誰にだって必ずあんなことやこんなことがあって、変わりないとも無事だともばかり言ってられない(そんな必要はなかったと思うけど、実際昨年はスマトラ沖地震・大津波の影響でラデツキー行進曲が自粛され、「変わらぬ正月」は約束されたものじゃないことが示された)。だから変わらない今年の正月というものがあるならば、その喜びを分かち合おうってのが様式化されたニューイヤー・コンサートの趣旨であり、そのような新年を謹んで祝うに値するものとしてワタシらは毎年この言葉を繰り返している。あけまして、おめでとうございます。
●ケータイもそうなんだけど、「山賊のギャロップ」もドキドキ度が高い。あの鉄砲、本物だったらどうしよう、とか(笑)。日頃、鬼指揮者のことを腹にすえかねている団員が、この曲で指揮者を撃つ。が、指揮者も同じことを企んでいて本物の銃を持ち込んでおり、血の流れる銃創を手で押さえながら反撃する。山賊のギャロップ殺人事件、結果は引き分け。