January 6, 2006

厄払いでGO!

●正月に帰省し、今年は大厄だというので実家の近所の神社で厄払いをしてきた。クソガキの頃に遊びまわっていた神社に何十年ぶりかで出向く。両親にいわれるがまま、連れられてきたのだが、恐るべし伝統文化の断絶、ワタシは厄払いといってもなにをするのかが全然わかっていない。これが東京でするというのであれば、ワタシは事前にググるなり厄払いドットコムへ行くなりして、徹底した予習をするわけであるが、故郷に帰るとそのようなネットワーク上にプールされた知識にアクセスしようなどとは思わないもので、ただ親任せになってしまう。父母は地元のだれもが知る常識に従うかのように、奉納するお酒と紅白の大鏡餅を用意し持参したのだが、そういう知識はどこから共有されているんだろうか。ワタシは玉串の持ち方ひとつ知らず、どこで玉串料を渡すものかもわからずオロオロし、そもそも数え年ってものをわかっておらず、神様を前にして2礼2拍1礼するというのを何度聞いても覚えられない。放っておくと文化はちっとも伝承されない。が、御祓いをしてもらうとなぜか嬉しく、気分はちょっぴりスピリチュアル。神主さんは太鼓を叩いた。ストラヴィンスキーの「春の祭典」を想起させるような、原始の大地を感じさせるワイルドな独特のリズムだった。
●神主さんは言う。「厄年の厄というのは、厄介者の厄ではなく、本来は役である。すなわち厄年の者は普段よりも気をつけて神様の世話をしなさい。ふと思いついたときに神棚の水を取り替えるとか、そういった小さなことでも結構です」。厄払いの後、厄除けの神符をいただいた。お札は神棚に祭るのだろうが、東京の賃貸マンションにそのようなありがたいものは設置されていない。代替案としてワタシはウチでいちばん立派な収納具である3段スライド式CD棚にお札を飾っておくことにした。
●帰り際、神主さんは2月の節分祭にもいらしてくださいとプロモーションを忘れない。先代の神主さんは実に威厳のある立派な風貌をされていたものの、営業活動には熱心ではなく、正月でも夕方5時を過ぎれば門を閉ざすような方だったが、今度の神主さんは大変才覚があるという話。正月の夜間営業はもちろんのこと、左義長なども規模拡大されて書き初めはより力強く炎に舞い、節分祭では地元の芸妓など呼んで踊らせ、自ら豆を勇壮に撒き、人が集まり、となればローカルTV局も絵に描いたような節分行事を撮るために取材に訪れ、そしてますます人が集まるという好循環で地元での神社プレゼンスを急上昇させている。ダイレクトな集金活動より、イベントとプロモーションを重視する方法論はきわめて現代的であり、事実、街のあちこちで4色刷りの節分祭のポスターを見かけるのだ。
●もちろん神主さんがビジネスに長けていたからといって、そのありがたみは少しも減じることはない。一通りの儀式を終え、ワタシは安堵し、呆けた頭で「腹減ったなー、昼メシはなんだろなあ」とマックス世俗的な気分に浸っていると、バリアフリーではない神社に罠のように仕掛けられた段差に足をとられ、危うく厄払い直後に転倒してケガというワタシも神主さんも面目丸つぶれの事態に陥りそうになった。が、ワタシは転ばなかった。バランスを失っても転ばない。つまり、これ厄払いのおかげであり、ここに神様の庇護をワタシは強く感じたんである、ビバ厄払い。

このブログ記事について

ひとつ前の記事は「ニューイヤー・コンサートでテレビ正月」です。

次の記事は「粘着オヤジ@スーパーエクスプレス」です。

最新のコンテンツはインデックスページへ。過去に書かれた記事はアーカイブのページへ。

ショップ

国内盤は日本語で、輸入盤は欧文で検索。