February 26, 2006

君のチャクラは開いたか。スクリャービン/「プロメテウス」@アシュケナージ/N響

●ありえないようなプログラムだったのでNHKホールへ(アシュケナージ指揮NHK交響楽団。本日もう一公演あり)。曲はスクリャービンの交響曲第1番と交響曲第5番「プロメテウス」。後者はあの「色光ピアノ」を本当に再現しちゃおうというトンデモ系快挙。これまでにも同様の試みは行われているが、キーボードからMIDIデータをPCに取り込み、ステージ上のLEDスクリーンにCG(?)を上映、これに会場の照明が加わって、スクリャービンの求めた神秘体験を追体験できるかもしれないという、画期的な本格オカルト企画である(余談。神秘学というのはオカルティズムの訳語だ。でも神秘学とか神智学という用語はオッケーでも、オカルトはNGっていうことになってる気がする)。
真っ赤だな、スクリャービン●この交響曲第5番「プロメテウス」に限らず、スクリャービンの管弦楽作品が描いていることはいつも同じで、魂と肉体、物質と精神を揚棄して、至高なる存在(神)との合一に至るというもので、いずれもが究極的にはインドに大寺院を建ててそこで観客参加型の儀式的舞台作品である未完の自作「神秘劇」を上演するという終着点へとまっすぐに向かっていたように思える。神秘体験のためには聴覚だけでなく同時に視覚にも訴えかけなければいけない。共感覚の持ち主だったと言われるスクリャービンでなくてもそう考えるのは自然だ。
●そこで色光ピアノである。色光ピアノによる光や映像を舞台上にどう再現するかというのは作曲者によって具体的に指定されているものではないので、実際の上演には解釈が必要になってくる。今回の照明は成瀬一裕氏。で、具体的に舞台上でどんな映像が繰り広げられたか。パンフレットに「CG」なんて書いてあるからうっかりするとミスリードされるのだが、そこにあったのはわれわれがハリウッド映画などで知るCGではない。原色の光、抽象的な模様を重ねたもので、たとえばキューブリックの映画「2001年宇宙の旅」終盤に出てくるサイケデリックで啓示的な場面のようであり、あるいはWindowsのために無数に作られている幾何パターンによる一昔前のスクリーンセーバーのようなものでもある。つまり、何も知らずに見れば「ちょっとショボい」。でもスクリャービンの意図を忠実に汲み取ろうとしたらそうなるのは必然だろう。20世紀初頭のロシア人が想像した視覚効果なんだから。
●今、ワタシたちは想像しうるものならどんなものでも映像体験できると知っている。それを思い知ったのが、先日のピーター・ジャクソン監督による「キングコング」。ここでは人類が誰一人見たことのないもの、ブロントザウルスの群れが暴走して将棋倒しになるなどというシーンが描かれていた。並みの人間では「そんな場面があるかもしれない」と想像することすら不可能な場面だろう。ワタシたちはもっとも豊かな想像力を持った人間が創造した映像を、チケット一枚で自分の体験であるかのごとく簡単に楽しむことができる。
●一方、スクリャービンが期待した神秘主義的映像では、おそらく何ひとつ具象は想像されていなかったと思う。なぜなら最終目的は神との合一なんである。ハリウッドではあるものを描くことによって目的が成されるが、神との合一はなにかを描かないことによってしかその到達を示唆することができない。神秘体験のためにはなにが必要だろうと考える。それは壮大なものだから、大編成のオーケストラが必要だろうな、ピアノもあったほうがいいだろう、合唱も置いておこうかな、色光ピアノを使おう、インドに寺院を建てよう……そうやってありとあらゆる必要と思われるものを用意しても、絶対に再現することのできないものが神秘体験であるはずで、神との合一に十分条件があってはならない。自然科学では再現性が必要だけど、神秘体験に再現性があったらそれはインチキである。あれも必要、これも必要、それを全部そろえた、でも到達しない、それは神との合一にはなにかがまだ欠けているから。といったロジックが必要であり、色光ピアノがサイケデリックな抽象映像を表現することで、まだ描けてない何かを示唆するのは正しいはずだ。
●かつてオウム真理教団がサリンを撒く前、まだ危険なカルト集団ではなく珍奇な新興宗教とみなされていた頃、ワタシはそれと知らずにオウム真理教経営の定食屋さんに通っていた。安くておいしく、繁盛していた。だが、メニューをはじめあちこちに教団色が滲み出ていて、ワタシはこれがオウムの店であることを知った(それでも食べてたけど)。たとえば、「アストラル・ドリンク」みたいなのがメニューに載っている。既存のオカルティズムからの借り物の概念をホイと300円くらいで提供してしまうところが、新興宗教だなと思った。これを飲んでアストラル界を体験しよう、というのならうさん臭い。これを飲んであれを食べてあんな修行をして、それでもやっぱり神との合一は遠いよ、といわれたら本格オカルト(どっちにしろインチキだろう、なんていう視点はこの際忘れる)。
●だから、このNHK交響楽団定期演奏会でも、たぶん聴衆はだれも神秘体験に至らなかったと思う。ワタシもダメだった。これは正当な結果である。神との合一がチケット一枚で実現してはいけない。あ、また須栗屋敏先生のコーナー作ろうかな♪

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