●レコード屋でモートン・フェルドマンの「弦楽四重奏曲」(1979)のCDを見かけ、これを猛然と聴きたくなり、右手でCDケースをグワシッとつかむその直前、脳内エスケープ・ボタンが押下され、ワタシは逡巡し、そして思い直した。「ウチにあるモートン・フェルドマンのディスクと、このモートン・フェルドマンはなにか違うのか」。そもそも似たような曲があったような気がする、そして帰宅してからワタシは何年ぶりかでこの曲をかけた。似たようなものと思ったけど、違っていて、これは「ピアノと弦楽四重奏」(1985)だった(クロノス・クァルテット、高橋アキ/Nonesuch)。
●フェルドマンの極端に音の数が少なく空間に音符をポツポツと点描するかのごとく音楽が、延々と1トラック80分間続く。フェルドマンを聴くときはワタシは漫然と聴く、というか漫然とすら聴いていないというか。意識の裏側遠くでなにかが同期して、ああ、なんて静謐な音楽なんだろう、この悦びに1時間でも2時間でも浸っていたい、そう思いながらいつの間にか音楽を聴いていることすら忘れて風呂に入ってメシ食ってフェルドマンは忘却の彼方、繊細な箱庭宇宙は日常に収斂してゆく。
●もしなにも予備知識なしで、音楽のみからモートン・フェルドマンの人物像を描くとしたら? ワタシは武満徹みたいな風貌の人を想像すると思う。だが、実際には全然違う。人物写真を載せたいがために、冒頭で述べた「弦楽四重奏曲」のジャケット写真を掲げる。フェルドマンは大柄で饒舌、人なつっこい男であり、騒々しいユーモアのセンスの持ち主だったという。そんな男がこんな曲を。「ピアノと弦楽四重奏」の解説にマーク・スウェドが書いていたフェルドマンの言葉を一つ引用。
われわれニューヨーカーは、モダニティに対してなんの感情も抱かない第一級のモダニストである。