こっそり手紙を見てしまおう、どうせ誰も見ていない……いや、自分が見ている!(ドン・カルロ)
●金曜夜は新国立劇場でヴェルディの「運命の力」。レオノーラ役のアンナ・シャファジンスカヤ、ドン・アルヴァロ役のロバート・ディーン・スミス、ともにすばらしかった。いつでも通える地元の劇場でこれだけのものが聴けるんなら満足。もっともワタシは「声の魅力」とは全然無関係のところでオペラを楽しんでいるのだが。井上道義指揮東響、エミリオ・サージ演出。
●で、「運命の力」、この作品を劇場で見るのは初めてだったんだけど、これまたヘンな話である。本来18世紀初頭のスペインを舞台に、自分の意思や信念に反して運命に翻弄される人々を描いており、これがサージ演出では20世紀前半のスペイン市民戦争へと舞台を置き換えている。そこまではよい。でもなー、妹をたぶらかして親父を殺した男を復讐するのはともかく、どうして自分の妹まで殺さなきゃいかんのかね。親父が死んだんなら、せめて妹は大切にしろよ。
●とはいえ、この背景にはたぶらかした男(ドン・アルヴァロ)の血が卑しいという背景がある。ドン・アルヴァロはインカの血を引く混血児で、スペイン側には民族的な差別感情がある。でもさ、それ途中でドン・アルヴァロが独白するところでやっと知ったんだけど、かなり唐突であってそんな設定があるならもっと先に言ってくれー。っていうかそれより重大なのはドン・アルヴァロが「逃げるときに離れ離れになったレオノーラはもう死んじゃった」って早合点するのが不自然すぎるわけで、気になってしょうがないぞ、そっちの説明をちゃんとしろよ。等々、明らかにオペラにふさわしくないツッコミを内心で次々と入れてしまうのであった。もちろんラストシーンもつっこむ。瀕死の兄貴に殺されるのかよ、妹は。ササッとよけろよ。ていうか君ら、全般に血生臭くてどうかしてるよっ!
●「運命の力」はやたらと陰惨な話なのに、コミカルな場面、役柄(行商人トラブーコ、修道士メリトーネ)があって、これは大変興味深い。不気味でブラックなユーモア、シニカルな笑いがある。これを道化的な仕草のコミカルさなど安い笑いに収めてしまうと、かなりつまらないことになるなと勝手に解する。
●レオノーラはどうして女子修道院じゃダメなのかと不思議に思うワタシは、きっとなにか基本的な事柄を了解していない。なにも岩山にひきこもらなくても。