●あなたはマガジン派であるか、ダイジェスト派であるか。ってのはかつてサッカー・ファン向けに投げかけられた設問であり、ワタシはスタート地点ではダイジェスト派だったが途中からマガジン派に転向した。あ、サッカー・マガジンとサッカー・ダイジェストという(現在は)週刊誌となった雑誌の話。少年ジャンプか少年マガジンか、みたいなもの。
●で、なぜマガジン派かといえば、カメラマンの近藤篤による連載「木曜日のボール」があったから。フォト・エッセイっていうのか、ステキな写真に味わい深い文章がくっついてて、サッカー誌にはありえないようなクォリティの高い見開き2ページがあったから(過去形)。雑誌なんて「すごくおもしろい記事」が一冊に一つあれば、「くだらない記事」が100あろうが200あろうが関係ない。「すごくおもしろい記事」がないけど、「くだらない記事」もなくて、「おもしろくもつまらなくもない記事」がぎっしり詰まった雑誌を喜んで買う人はいない。む、脱線。
●だから本当は単行本化された「木曜日のボール」をここで紹介すりゃいいわけだが、あれは「品切」という名の事実上の絶版のようなんである。ワタシはしょうがないので図書館から借りて読んだ。「ああ、紙の本っていうのはこの軽快にコピー可能なコンテンツのデジタル化時代にあって、あいかわらず重版と言う名の十字架に磔刑に処されたまま身動きならないのだなあ。でもこのロジックは出版関係者にしかちっとも伝わらない運命なのである~」と本屋で詠嘆してたら、ポロロンと目に飛び込んできた、この一冊。「サッカーという名の神様」(近藤篤著/日本放送出版協会)。勝利のガッツポーズ、読む前に。読んだ後はワタシの脳内サンチャゴ・ベルナベウをビクトリー・ラン。愛せる、これは。
●たとえば著者はアルゼンチンに渡る。みんな「ブエノスアイレスはヨーロッパ以上にヨーロッパらしさが残された場所だ」とか言って讃えるじゃないっすか。でもブエノスアイレスを郊外に少し出て行ったら、そこに広がるのは貧困。ブラジルとも一味違う、陰気な貧困で、地元民だって行きたがらないような危険な地区がいくらもある。案内人は著者をカタン地区ってとこに連れて行って、こう言った。
「この辺りじゃ、ナイフ突きつけて人の履いてる靴をかっぱらってく若いのがたくさんいるんだ。その靴、いくらで売れると思う? 2ドルだよ、2ドル! その2ドルで何するかっていうと、好きな女にコーヒーおごるんだとよ。昔はいくらなんでもそこまでかっこ悪いガキはいなかったよ」
●そんな土地で草サッカーを取材して写真を撮る。するとそこからマラドーナやらリケルメやらテベスが生まれてきたってのがわかるじゃないっすか!……いや、そんなこと関係ないか。おもしろい人はなにをどう書いてもおもしろいし、この人は文がカッコいいってこと。