amazon
April 27, 2006

ジダンの時代

ジダン引退ジダンがW杯後に引退。34歳なんだから不思議はないが、残念でしょうがない。
●サッカーに求めるのは「伝説」。その最大のものはマラドーナにあるのだが、しょせんワタシらはワールドカップなど、特別な機会でしかマラドーナを見ていない。リアルタイムで海外サッカーが中継されるようになって以来、ワタシらにとって初の伝説的なプレーヤーがジダンだったと思う。彼以上に上手くて強い選手は同時代に見当たらないが、上手さ強さだけでは伝説には不十分であって(誰もがアンリを讃えるが、誰もアンリを伝説だとは言わない)、プレーヤーとしてのリアリズムを超越したところから伝説性は生まれる。
●マルセイユの貧民街に生まれたアルジェリア系移民の子。フランス代表からカントナらのスター選手がはずれ、ジダンたちへと一気に世代交代が進んだのは、ジダンが内気すぎてあくの強いカントナとの共存が不可能だったからと伝えられている。成功してもシャイで寡黙なまま。そのくせピッチ上では短気で、汚いプレイも多かった。自身が熱烈なマルセイユのサポーターだったため、キャリアの最晩年はマルセイユでプレイしたいと語っていたが、現代のサッカー・ビジネスにそんなおとぎ話は成立しない。
●「マルセイユ・ルーレット」というトレードマークがあったのも、伝説のプレーヤーにふさわしい。子供たちは(いや大人たちも)みんなマネをした。Jリーガーだって器用にマネして見せてくれる。でもジダンは鮮やかで効果的なターンを毎試合のように見せてくれていた、かつては。昨シーズンあたりから、ターンの頻度はめっきり落ちていたように思う。自分のアイドルをウルグアイ代表のフランチェスコリと言っているのも、欧州のプレーヤーには珍しい。「マルセイユ」をはじめ古典的な足の裏を使うプレイが多かった。でもフィジカルの強さや左右両足とも正確に蹴れるところとかは現代的。
●フランス代表の10番を付け地元開催のW杯で優勝、フランスの民族統合の象徴のように讃えられた(すごい過去の話に思えてしまう)。イタリアのユヴェントスで成功。でもスペインのレアルマドリッドへ移籍して5番なんていうヘンテコな背番号をつけたとき、ヤな予感はあった。攻撃の選手がつける番号ではない。
●マドリッドでも後ろにマケレレが控えて守備をやってくれていたときはジダンはジダンだったが、マケレレがいなくなってから、なにかが狂いはじめた(と勝手に解釈している)。比較的最近のインタヴューで「レアルマドリッドの中心は僕ではなくて、ラウールだよ。僕は……うーん、フランス代表のほうじゃないかな」といったようなことを話してたっけ。ラウールはクラブの生え抜きなので当然のことを言ってるんだけど、寂しい気分にはなった。
●2002年日韓大会、優勝候補と呼ばれたフランスはグループリーグで敗退してしまった。ジダンはケガのため最初の2試合を欠場し、3試合目に無理に復帰。事実上ジダン不在の大会だった。で、2006年、フランスを優勝候補と呼ぶ人はいないだろう。しかし隣国の開催なんだから、案外チャンスはあるかもしれない。ジダンは最後の「マルセイユ・ルーレット」を披露してくれるだろうか。

トラックバック(0)

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.classicajapan.com/mtmt/m--toraba.cgi/608

このブログ記事について

ひとつ前の記事は「エスカレートする善意」です。

次の記事は「今日は電波の飛びが良い。無線LAN導入。」です。

最新のコンテンツはインデックスページへ。過去に書かれた記事はアーカイブのページへ。