●文庫化されたのを見つけたので、「フェルマーの最終定理」(サイモン・シン著/新潮社)を読む。傑作。今年読んだ本の中で最強。数学を扱ったノンフィクションだが、以前ご紹介した「暗号解読 - ロゼッタストーンから量子暗号まで」でもそうだったように、サイモン・シンが書くと驚くほどわかりやすく、しかもおもしろくなる。この取材力と筆力、並大抵のものじゃない。
●17世紀に発見されたフェルマーの最終定理はこんな感じ。
nが2より大きい自然数ならば,xn+yn=znとなる整数x,y,zの組は存在しない。
フェルマーは著書の余白に「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない」と書いた。が、以来この証明はだれにもできず、数学界最大の超難問となる。1995年についにアンドリュー・ワイルズが証明を成し遂げるまでの数学者たちの苦闘の歴史が描かれる。サイモン・シンはワイルズや個別の関係者のストーリーをただ並べるのではなく、ごく基本的な数学の歴史や自然科学の考え方といったところまで巧みに読者に伝えてくれる。
●「3世紀に渡る謎を解く」というのはロマンである。で、実際この本はロマンに満ちている。いくつかその理由はあると思うけど、たとえば数学者のピークがおおむね若いうちにやってくるっていうのもそのひとつじゃないだろうか(ホントにそうかは知らない)。たとえば、数学者アルフレッド・アードラーの言。
「数学者の数学的寿命は短い。25歳、30歳を過ぎてからの仕事が前より良くなることはめったにない。それぐらいの年齢までに大した成果を挙げられなければ、その後もまず見込みはない」
この本に出てくる歴史的な数学者には、若いうちにものすごい才能の爆発を見せる一方、まだ一個人としての成熟が才能に追いつかず、社会の中で自分の場所を見つけられないまま朽ち果てていく人が何人もいる。早死にする人も多い。フェルマーの最終定理の証明の最後の段階で、「すべての楕円曲線はモジュラーである」という「谷山・志村予想」を証明すれば、これをもってフェルマーの最終定理にたどりつけることがわかる。この「谷山・志村予想」の谷山豊も若き天才で、この予想の原型を1955年に発表している。まだ20代の若さっていうのも目を引くけど、1955年の世界の中心から遠く離れた日本で、大きな業績を残したってのも驚異。が、谷山は31歳で悲劇的な死を遂げる。これもとても印象的なエピソード。
●とはいえ、フェルマーの最終定理を証明したアンドリュー・ワイルズは全然若くない。研究内容を知られて他の数学者に先を越されるのを嫌って、秘密裡に独力で研究を進め、しかも周囲から疑念をもたれないよう、すでに成し遂げた自分の別の研究を小出しにしていたという執念の持ち主で、これもまたドラマティックなのだ。「博士の愛した数式」もいい小説だったけど、「フェルマーの最終定理」ははるかに強まってオススメ。