●ウィーン・フィル来日公演へ。今日はブルックナー一曲だけと思っていたら、ヘルスベルク団長の挨拶に続いて、バッハ・コレギウム・ジャパンの声楽メンバーとの共演でモーツァルト「アヴェ・ヴェルム・コルプス」で開演。今年はモーツァルト、サントリーホールのアニヴァーサリーであり、同時に本日は佐治敬三氏の命日でもある、拍手なしでお願いしたい、と。
●で、ブルックナー。壮絶な演奏だった。鳥肌が立ったし、泣けた。同じ組合せでCDが出てて、それはリリースされた頃に耳にしてるはずなんだけど、なぜか印象が薄かった。謎。しかし今日は伝説。いかなる瑕疵の指摘も気にならない。帰ったらオレ的伝説日記帳に新たな1ページを書き加えよう。
●いつもコンサートがはじまった瞬間から、ワタシはすべての演目が終わる瞬間を待ち望んでいる。これはコンサートの中身の良し悪しはまったく無関係で、すばらしい音楽を聴いていてもそうなる。旅行に出れば帰宅する瞬間を、人と会えばさようならの挨拶をする瞬間を、レストランに入れば食後のコーヒーを飲み干した瞬間を、もっとも心地よい瞬間として待ち望む。どんな楽しみな曲だって、聴き終えた瞬間を待望しながら聴いているのだし、作曲家はそれを知っているから、曲のおしまいに力の入ったクライマックスを持ってきて、解放の瞬間の喜びを高めようとする。
●でもこの日のブルックナーは違った。第4楽章が始まった頃から、もうすぐ曲が終わってしまうことを残念に思い、できることならもう一度第1楽章の頭から聴きなおしたい、明日も明後日も明々後日も同じ演奏会を聴き続けるビューティフル・ドリーマーとなりたいと願い、どうしても終わってしまうのならもっと大切に聴けばよかったと悔やんだ。はっ、これはエロスがタナトゥスに優ったということなのか。
November 4, 2006
アーノンクール/ウィーン・フィル ブルックナー:交響曲第5番
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