November 10, 2006

「わが悲しき娼婦たちの思い出」(ガルシア・マルケス)その2

●(承前)。「わが悲しき娼婦たちの思い出」の主人公は新聞の音楽時評にも寄稿している。小説の舞台はコロンビアなのであるが、有名演奏家が来演したときなどには演奏会に足を運ぶ。

 美術会館のホールで催されたジャク・チボーとアルフレッド・コルトーのコンサートに特別招待客として招かれたが、そこではセザール・フランクのバイオリンとピアノのためのソナタのすばらしい演奏が行われて、休憩時間に信じられないような賛辞を耳にした。われわれの偉大な音楽家で巨匠のペドロ・ビアバが引きずるようにして私を楽屋まで引っ張っていき、演奏家たちに私を紹介した。私はひどくうろたえて、彼らが演奏してもいないシューマンのソナタはすばらしかったですねと褒めたのだが、誰かが人前であからさまに私の間違いを訂正した。音楽を知らないせいで二つのソナタを取り違えたといううわさが広まった。次の日曜日、自分が担当している音楽時評であのコンサートを取り上げて、うわさを打ち消そうとしたが、説明がまずかったのか事態はいっそう深刻になった。
 人を殺したいと思ったのは、長い人生でも初めてのことだった。

わが悲しき娼婦たちの思い出●ジャーナリストの記憶違いを正すときは命懸けで。っていうか、それあるあるある、っすよ。ありえないまちがいがありえないタイミングで出てくる、これは人間なら絶対ある。主人公の年齢は90歳。90歳だから忘れっぽくなってるかもしれないが、たとえ20歳だってこういう誤りはありえる。そして20歳では想像もつかないことだろうけど、90歳ではじめて殺意を抱く人生もあるってことだ(笑)。
●あ、ここはクラシック音楽サイトだから音楽関係の記述を取り上げてるわけだけど、この小説全編としては、音楽小説でもミステリーでもないので念のため。前回の記事に書いたように、老人小説の傑作にして、魔術的純愛小説だから。川端康成の「眠れる美女」にインスパイアされた小説でもある。

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