●出たっ! モーツァルト・イヤーの掉尾を飾るにふさわしいマスト・アイテムが。なんと、「えんぴつでモーツァルト」(スタイルノート刊)。ああ、鋭い、鋭すぎる。そう、モーツァルトのピアノ・ソナタ第15番ハ長調、このシンプルなソナタをえんぴつで一字一句、いや一音一音なぞってみることで、あなたは時空を超えた旅人となって、モーツァルトと心を通わせることができる。ゆっくりと穏やかな心で、カンタービレになぞってみよう、えんぴつで。これは「えんぴつで奥の細道」を超えた。
●続編として、「えんぴつでマタイ受難曲」「えんぴつで神々の黄昏」の刊行が予定されています、ウソです、されてません。
●「えんぴつでHTML」ってのはどうか。一タグ一タグ、手書きでHTMLを打っていきます。忙しい現代人、ブログにばかりページ生成を任せてると、なにか大切なものを見失っているような気がしませんか。WWWの精神に立ち返って、基本からHTMLをえんぴつで書いていきます。はい、まずは<head>タグから。目指せ、WEB0.2。
2006年12月アーカイブ
「えんぴつでモーツァルト」
リゲティ、グラン・マカブル、デスノート
ネクロツァール:「うわばみピート、お前の時は尽きかけている、オレの無情な知らせを聞け、この世の者はみな死ぬと!」
ピート:「そんなことはどんなバカだって知ってるぜ!」
ネクロツァール:「だがいつ死ぬかは知らぬ」
(リゲティ:オペラ「グラン・マカブル(大いなる死)」第1場より)
●共通の話題が訃報ばかりという状況は避けたいもので、なるべくそういうエントリーは控えたいのだが、でも白血病だったカンニングの中島忠幸氏(享年35)の死は衝撃的だった。あまりに若い。お笑いコンビ、カンニングが全国区になる前、中野区のケーブルテレビが制作する「東京ビタミン寄席」なる大変ローカルな番組で、彼らを知った。作りこんだネタで勝負する若手芸人たちのなかで、カンニングは異彩を放っていた。脈絡もなく相方の竹山がただブチ切れる。それを中島が宥める。ネタもなにもない。おもしろいけど、これは絶対に一般の視聴者にはウケないだろうと思ったワタシは本当に見る目がなくて、大ブレイク。超ローカルな番組だから、中島が中野北口駅前の惣菜屋さんでバイトをしているっていうのがネタになったりして、ワタシはその惣菜屋を気に入っていたからきっと何度か遭遇していたに違いない。故人のご冥福をお祈りします。
●リゲティのオペラ「グラン・マカブル」のなかでネクロツァール(死神)の言ってることは正しい。いずれ死ぬのはわかっていても、それがいつかはわからない。「グラン・マカブル」は最初のバージョンが1975-77年、改訂版が1996年。リゲティは1923年生まれだから、少なくとも人生の後半を生きているという自覚のもとで、このオペラを書いていたはず。ある架空の国家を舞台に繰り広げられるスラプスティック調のオペラで、どす黒いユーモアも含んではいるが、これは愛と生の喜びを称えた作品だと思う。ネクロツァールにああ言わせておいて、そのまま死神に死を弄ばせたままストーリーを終えることなんて、なかなかできないと思うのだ。死すべき運命だから、日々を大切に生き、生を称える。だから「グラン・マカブル」のラスト・シーンでは、アマンダとアマンドの恋人たちが愛を賛美し、続いて合唱がこう歌う。
死を恐れるな、良き人々よ!
いつ時が尽きるかなど誰にもわからない!
そのときが来るなら、来るがまま、
さよなら、楽しく生きよう、そのときまでは!
もっとも舞台を観たことはなくて、ただCDを聴いて、台本を読んでるだけなんだけど。「グラン・マカブル」なんていうタイトルがついているから、おどろおどろしい音楽かと思われがちだが、そうでもない。第1場と第2場はクラクションによる前奏曲、第3場はドアベルによる前奏曲で始まる。普通、笑う。
●ではリゲティと違って、死神に死を弄ばせることができる者が書いた作品はなにかといえば、それは「デスノート」(原作大場つぐみ、作画小畑健)。漫画のほうは未読だが、現在放映中のアニメ版を見ている。死神が落としたデスノートを拾った人間は、そこに名前さえ書けばだれの命でも奪うことができる。主人公はこのノートに犯罪者たちの名前を次々と書いて、この世を善なる者だけの世界にすべく大量殺戮を行う。「グラン・マカブル」と違って、ここではなんのためらいもなく作者は人の命を奪ってゆく。こんなのを書けるのはきっと若者だろうと思って、原作者の名前をググってみたら、なんと覆面作家というか、正体は不明なんだそうである。
●「グラン・マカブル」を日本で上演する機会があったら、ネクロツァールに「デスノート」の死神リュークのコスチュームを着せるというのはどうか。あ、それじゃ歌えないか。
低気圧vs自分
●昨夜は荒天。北風がワタシを激しく削ってくれて、強固にディフェンス、降水確率に見事に100/100とストライクなスコアを並べて得意げな空模様、しかも最高気温が10度という十進法コンシャスな一日、それでいて本日東京の気温が19度まで上昇するというのは本気なのか、天気の神様。
●その雨の中を白寿ホールに向かって、「打楽器奏者加藤訓子演奏会」三夜連続公演の第一夜、クセナキス、バッハ~権代敦彦、即興他。公演開始時にもっとも多数の楽器が舞台上に並び、先に進むにつれて楽器がどんどんなくなっていくというチャーミングな演出付き。コンテンポラリーな「告別」。音楽に身を委ねて忘我。ソロ・パーカッショニストってアーティストでありアスリートなのだなあ。プレトークならぬアフタートークというのが珍しい。今日明日も公演あるので関心ある方はどぞ>Kuniko-Kato.Net。
●水を吸わないアスファルトで固められた都会の悪辣な水たまりを、ジャブジャブとゴム長並の機動力で突き進み、頑丈で手入れ不要で、しかも履いているのが楽しくなるような靴が欲しくなった。ていうか、それはひょっとしてトラディショナル黒ゴム長?
「の」の付くドラマ最終回
●「の◎だめカンタービ◎レ」第11回、これで最終回、テレビドラマとしてはおしまい。今回みたいに泣かせの演出が入るのがワタシは苦手なんだけど、でもこんなに楽しんだドラマもない。民放のゴールデンタイムに、本物のサントリーホールで千◎秋真一(←進化してた)をはじめ役者たちが「ベト7」を演奏している光景が映っている、それだけでも画期的。「テレビ」という限られた明快な表現しか許されない環境の中で、制作陣は最善を尽くしていたと信じられる。偉大。視聴者の期待が高いだけに重箱の隅も突付かれるけど、物作りを仕事にしてこれだけ多くの人に喜んでもらえるってのは大変なことにちがいない。
●2006年はクラシック音楽界的には、91年バブル末期のモーツァルト・ブーム以来の活況だったんじゃないだろか。もともと東芝EMIのベスト・クラシック100がシリーズ累計100万枚突破という昨年からの流れがあって、そこに再びモーツァルト・イヤー、さらに「のだめ」効果。「ラ・フォル・ジュルネ」もあった。この1~2年でクラシック音楽を親しんだ人の数はまちがいなく膨大で、彼ら/彼女らの存在を肌で感じる機会も多かった。彼ら/彼女らが来年も引き続き聴いてくれるといいんだけど。なるべく楽しそうに聴こう。ていうか、実際楽しいんだし。どう考えても。
●追い風の存在はそれがなくなったときに感じられるんだろな~。
今シーズン終了。再生に向けての偉大なる停滞、かも
●あっさり天皇杯も敗退>マリノス。弱い。これでシーズンが終わった。今季はリーグ戦9位。大分の一つ下、広島の一つ上。開幕時点で一瞬夢を見させてくれたのだが……。ホントは優勝も降格も無関係でも試合を楽しめなきゃ、ファンとしちゃマズいんだよなー。
●季刊「サッカー批評」33号(双葉社)をゲット。この雑誌、見事に復活している、いったんは終わったかと思ったのに。特集「オシムを殺すな」も悪くないけど、おもしろかったのは鬼武Jリーグチェアマンのインタヴューと長沼健回顧録(こちらもインタヴュー)。
●前者は、たとえばJリーグの秋冬シーズン制問題について、チェアマンがきちんと課題を認識してくれているのがわかって、少し安堵。座席にヒーターもないのに、1月や2月に2時間も座ってられない、東京でもそうだけど北国ならなおさら。同じ野外でもスタジアムでの2時間って、街中の2時間とは全然違う。11月ですら夜のゲームは体がとことん冷える。「積雪地帯のホームゲームは秋に集中開催する」という案についてもチェアマンは「ありえない」と一刀両断。すばらしい。
●長沼健回顧録では「加茂かネルシーニョか」とか、ワールドカップの日韓共催決定劇の話だとか、目新しいわけではないけど今だから力を抜いて話せる話題がいくつか。「え、それ変でしょ?」みたいな部分も含めて、いろいろ滲み出てておもしろかった。
さらば、アマデウス
●さらば、アマデウス。モーツァルトの葬儀はシュテファン大聖堂にてごく近親者のみで行われたとのこと→アマデウス・ブログ。もう彼の新曲が作られないというのも残念だし、機知に富んだ日記を読めなくなるのも惜しい。誰か代わりに作曲してくれないか、モーツァルト作品を。
●あっという間にやってくる。今週末はクリスマス・イブ。
「俺に言わせればだなあ……」スクルージは息巻いた。「クリスマスおめでとうなんどと戯けたことを口にする脳足りんは、どいつもこいつも、プディングとごった煮にして、心臓にヒイラギの杭を打ち込んで埋めてやりゃあいいんだ。ああ、そうだとも!」(『クリスマス・キャロル』ディケンズ/池央耿訳/光文社古典新訳文庫)
●プディングとごった煮にされるのはヤだし、ヒイラギの杭を打ち込まれるのはもっとヤだ。でもメリークリスマス。祝福を。
●地下鉄に乗っていたら、突然スーツ姿の男性がズドンッと前のめりになって倒れた。ドキッとしたが、単に酔っ払って立ったまま寝ていたら、バランスを失って倒れた模様。すくっとそのまま立ち上がってなにごとも起きなかったかのように見事に照れ隠しリカバー。むしろ大変だったのはその男性の前に背中を向けて立っていた若者のほうで、彼は「ウワッー!」と叫んでダッシュで立ち去った。そりゃ焦るよなあ、電車に乗ってて、いきなり後ろから人がのしかかってきたんだから。なにされたかと思う、年の瀬の夜。
ザルツブルクでこんなことが起きていたとは
●かなり低めのイスが欲しいんだよねーというあなたに朗報。ゴロウ日記さんで知った、グレン・グールド・チェアー・ドットコム。ステキである。990ユーロは高すぎるけど。ユーロ高だし。ていうかそうじゃなくても。
●あ、ユーロ高ってことは欧州クラブから見た日本人選手も相対的に安くなっているってことか。ザルツブルクへガンバ大阪の宮本が移籍決定。さらに浦和からアレックスもザルツブルクへ。一年早く移籍してればモーツァルト・イヤーだったのに、ていうのは関係ないか。欧州の中でもかなりローカルなオーストリア・リーグへ、しかもザルツブルク。どうしたの、と思ったら、ここはかつてのSV Austria Salzburgが買収されて Red Bull Salzburg となったようで、親会社がずいぶん潤沢な資金を持っている。なにしろトラパットーニとマテウスとW監督を雇ってるみたいだし。
●選手名を見てもローカルな感じはなくて、ドイツやチェコ、旧ユーゴから実績のあるベテラン選手をそろえている模様。おそらくオーストリア人選手はほとんど先発に入れないんじゃないだろか。ブランド名をクラブ名に入れてしまうところとか、手っ取り早く有名選手&監督を買ってしまうところとか、どうなんだろうなあ……。祈る健闘、宮本&アレックス。
帰ってくるバーガー王
●や!久しぶりだねっ!とニッコリ微笑んで両腕を大きく広げながら歓迎してやりたくなったのが、米「バーガーキング」が日本再進出なるニュースであって、すでに来年夏に向けて、ワッパーをほおばる瞬間を想像しているのである、済まないね、そこの黄色と赤の服でなれなれしくベンチで待ち構えるミスターM。ジャンクな喜びは対象物の変化によってのみ継続するのだよ。ワッパー、でかくなくていい。ミニでオーケー、レタス、オニオン、トマトが入っていれば。あのとき、なぜ撤退したのか、いつも空いていたバーガー王、今でも謎。負けてはいけない、ミスターMに。ビバワッパー、ビバポテト、王よ、飛翔せよ、そして日本列島にサラダオイルの繁吹き雨を降らせよっ!
最後から2番目の「の」の付くドラマ
●「の◎だめカンタービ◎レ」第10回、早いものでこれが最後から2番目。年明けからアニメ版がスタートするとはいえ、そっちは深夜枠だし、「月9」のように広く共有される話題ではないよなあ。でもきっと見る。
●で、マラドーナ・コンクール、曲目はシューマンのピアノ・ソナタ第2番とストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」からの3楽章。「ペトルーシュカ」は、着メロの「今日の料理」テーマ音楽を耳にしてしまったばかりに、本番の演奏で両曲が渾然一体となって、の◎だめオリジナルの即興音楽に変わってしまうというシーン。ただ予想していたのと少し違っていた。「ん?」と思って、初めて原作を開いて確認した。
●テレビドラマではこの「今日の料理」のシーンで「失笑が漏れる」という描写だったようだが、原作にそんなニュアンスはない。「おおっ!」と審査員先生が驚く。コンクール出場者としては失格とはいえ、ストラヴィンスキーと冨田勲の両主題による壮絶な即興がはじまって、「ついに、の◎だめ覚醒なのかっ」的な盛り上がりがあった。それがどんな音楽か、想像するのも難しいけれど、とにかく恐ろしくスゴい音楽が鳴ってるんだっ! てな感じで、コミックだと読者の想像と妄想が暴走させられる場面。まあ、テレビだと全部具体化して描写しなきゃならないからなー。
●ドラマの大河内クンはいつもかわいい。千秋様より大河内クン。いつか君の時代が来る。まだ来てないけど。
インテルナシオナルvsバルセロナ@旧トヨタカップ
●えーと、ホントは「FIFAクラブワールドカップ ジャパン2006」という大会の決勝で、各大陸の王者が参加しているのだが、予定調和的に決勝が欧州vs南米になっているおかげで、「旧トヨタカップ」と呼んでしまえる、インテルナシオナル(ブラジル)vsバルセロナ(スペイン)。でもこれ、決勝がアフリカvs中米とかになったら、どうするの。
●「真の世界一を決める」なんていうのは空々しい宣伝文句であるが、それでもトヨタカップ時代はこの試合が唯一海外のクラブ・サッカーのトップレベルを知ることができる機会ということもあって、「伝説」であった。何試合か見に行ったし、サッカーショップで過去の試合のVHSなんかも買ったっけ。
●でも今はもう「伝説」じゃなくて「興行」。今回はインテルナシオナルに技術のある選手がいたおかげで、楽しいサッカーになってくれてよかったんだけど、試合水準としてはバルセロナが普段戦うスペイン・リーグのほうが高いのでは。結果的にインテルナシオナルが1-0で勝つという展開も、トヨタカップ的であって、落ち着くというかよくわかるというか。
●「開催国枠を再検討、FIFA理事会に」というニュースがあったけど、世界大会が毎年なぜか日本で開催されて、なぜか日本のチームが無条件で出場するんだったら、それはバレーボールになっちゃいそうでかなりヤだな。それでなくても試合前に華奢で美しい男のコたちが出てきそうで心配してるのに。
新モーツァルト全集、無料公開中
●これはスゴい→ NMA Online。NMA(新モーツァルト全集)のモーツァルト全作品、2万4000ページ分の楽譜(と解説)を誰でも無料で利用できる。楽譜はPDFで提供されていて、もちろん印刷可能。ためしに好きな曲を1ページだけ落としてみた。PDFといっても、どうやら元の印刷譜をビットマップでスキャンしただけのようで、美しくはない。それでもいつどこにいてもオンラインでありさえすれば、モーツァルトの楽譜を即座に利用できるのだ。モーツァルト取り放題。パブリック・ドメインってすばらしい。でもこれ運営費はどうやって賄ってるんでしょか。
●これでもうモーツァルトの楽譜は売れなくなるから出版社は困る……なーんてものでもないな。
ゴリホフ、シェーンベルク、アラーニャ
●ボロメーオ・ストリング・クァルテットの「シェーンベルク・プロジェクトvol.3」へ(第一生命ホール)。1曲目がゴリホフ(ゴリジョフ)の「テネブレ」。タネジと並んでシカゴ響のコンポーザー・イン・レジデンスを務める、アルゼンチン出身のアメリカの作曲家。すでにCDもたくさん出てる人だけど( Osvaldo Golijov@amazon)、聴くのはこれが初めて。きわめて心地よい音楽で、癒し系、頭からお終いまで不快なところは一瞬たりともない。大変美しい音楽だった。だから以後CDでも聴くかっていうと決してそうはならないから難しいんだが……。
●続いてシェーンベルクの弦楽四重奏曲第4番。圧巻。この曲はシリアスなんだけど、ユーモアがあるからすばらしい。ワタシの脳内では第1楽章はスケルツォってことになっている。「マジメにやるならマジメに付き合うからどこかで笑わせてくれ」という万事に対する欲求が満たされる、シェーンベルクにおいてすら。癒し系とか祈りの音楽に付き合えるかウサン臭く感じるかの分かれ目は「笑い」があるかどうかもしれん、と思いつく。バルトークでもベートーヴェンでも笑えるわけだし。いやゴリジョフ無関係で。最後にベートーヴェンの弦楽四重奏曲第16番。壮絶。スゴすぎる、タジタジ。
●昨日のアラーニャ退場事件。そのものズバリの瞬間を見れるイタリアのニュース映像、たぶん。不謹慎かもしれんけど、なんか「モンティパイソン」のコント見てるような気分になった。
凱旋しないラダメス
●ニューース、フラーーーシュ! ってことですでに各地で話題のように 「『アイーダ』公演中に主役歌手退場 観客のブーイングで」。スカラ座でのアラーニャ、まったく恐ろしいできごとである。それにしてもリンク先のアラーニャの写真なんだけど、クラシック者的にはどうということのない写真であるが、一般的にはこれ罰ゲームみたいに見えないかね→43歳、ラダメス将軍。
●舞台を投げたアラーニャに代わって、急遽登場した代役はアントネッロ・パロンビ(OperaNews)。ゼッフィレッリの豪華絢爛な舞台にジーンズ姿ってのもスゴい。
●スカラ座とアラーニャみたいなトップスターの世界だったらそういうことも含めてのオペラかもしれんが、地元のフツーの公演レベルでいうと、ブーイングっていうのは非常に心が痛む。ブーされる立場としてのワタシ/あなたというものを想像してみれば、0.01秒だってその場に立っていられない。ブーで許せるのは「ごっこ」としてのブー、マジになってブーは勘弁っていうか。「プロなら当たり前」みたいな論理に微塵も共感できない。営業で顧客のところに出向いたら、いきなりお客さんからいっせいにブーとか(笑)、取引先の担当者のブログに「今日の○×社の山田太郎は覇気がなく、客への奉仕の姿勢も希薄であった。このままでは山田太郎の未来は暗い。さらなる研鑽を積んでほしい」って日々書かれたりとか、職業人がみんなそんなふうに相互に評価しあう社会に住みたいかといわれたら、絶対にヤだな。他人の仕事や努力への敬意が低すぎて。
●でも舞台から勝手に降りるのはどうかと。代わりに歌手の側も対抗して客席にブーするってのはどうか。ダメか、ダメです。
●も一つ、やや旧聞。METオペラを歌舞伎座で上映 第1弾は大晦日「魔笛」。松竹がメトの公演を東京・歌舞伎座と京都・南座で上映(!?)する。題して「METライブビューイング」。ワタシのなかでの通称は「松竹歌劇」に決定。
「の」ではじまるドラマの第9回、がんばれ「喜びの島」
●「のだ◎めカンタ◎ービレ」第9回。この◎があるとないとで大違いであることをこの2週間で実感。いや、そんなのどうでもいいことだ。
●今週はマラドーナ・コンクール(笑)にのだ◎めがエントリーするということで、物語上登場する曲はわかっていた。で、「月9」にあろうことか、シューベルトのピアノ・ソナタ第16番とドビュッシーの「喜びの島」が鳴り響いたんである。もうワタシは猛然とドビュッシーを応援した。「がんばれ、ドビュッシー、絶対にシューベルトのソナタなんかに負けるなよ。お茶の間を制するのはクロード、キミだ」と。
●だが、完敗してしまった。圧倒的に目立っていたのはシューベルト。しかもピアノ・ソナタ第16番、第2楽章かと漠然と期待してたら第1楽章なのか……。なんつうか、この曲ってさ。えーと、シューマンにならってロマン的に言うとこれもまた「天国的に長い」っていうか(もちろん物理的にじゃない)、その冒頭主題がとことんシューベルト。って同語反復か(笑)。ドビュッシーのカッコよさとは正反対、なにをそんなにキミはジメジメとイジけておるのかねと声をかけたくなるのだ、これ聴くと。ほら、「喜びの島」は佐久間ミッチーのごとくキラキラとしてるのにさ。
●ま、そのイジイジしたところが本当は好きなんだけどね、シューベルト。みんなも嫌いなふりして、ホントは大好きでしょ、シューベルト。でもやっぱりシューベルトは「ハンス・ホッターと冬の旅」に尽きるな(←またかよっ!)。
●肝心のドラマは、今回久々に竹中直人シュトレーゼマンが登場。もちろんBGMはプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」。そして、かつて「どう見てもシュトレーゼマン」だったあの人は、数週間ですっかり「どう見ても竹中直人」。こんな無謀すぎるガイジン役をすんなり受け入れていた自分が信じられない。魔法にでもかけられていたのか、ワタシは。
ベートーヴェン「フィデリオ」@新国立劇場
●新国立劇場でベートーヴェン「フィデリオ」(9日)。この一ヶ月くらい、忙しくて自主的自宅軟禁状態になってたのだが、あらかじめ「この時期なら余裕だろう」と思ってチケットを取っておいたら、やっぱり進行が押して余裕どころではない。なんかこっちが疲れていたせいか、音楽にも疲労感を感じ取ってしまった上に、手際はよいにしても、フィナーレだけ突如としてリアリズムを捨てて集団結婚式に走るマレッリ演出には付いてゆけず。あと、序曲の間のレオノーレ→フィデリオの着替えシーンは歌手を選ぶなと。歌は秀逸だけど、着替えても差し支えない人が本気で着替えないと、昔のユニクロのCMを思い出してしまう。オバチャンがレジで服脱いで返品するバージョン。でもワタシは満喫した、完璧に。「あー、楽しかった」って言って帰宅できる。
●ベートーヴェンの書いた唯一のオペラ「フィデリオ」は、よく言われるように音楽がすばらしいのであって、オペラとしてはかなり不思議な構成だ。もし音楽の価値を無視して台本だけ見たら、一から十までうまく行っていないって感じるかもしれない。人物像とストーリーが噛み合っていないし、ハッピーエンドに向かうまでのプロットがあまりに弱い。
●主役レオノーレ=フィデリオ。夫を助けるために力を尽くす高潔な女性である。男装し、危険を冒して刑務所に潜入、最後の悪漢との対決場面では体を張って夫を守る。「この人を刺すんなら、まずアタシを刺してからにしなっ!」。ガバッ(と男装解除)。カッコいい。ていうか、カッコよくあってくれ。でも女性が男性のふりをするとか、女性が男性のふりをするとかってのは、コメディ、ブッファなら容易に受け入れられるけど、無実の罪で囚われて凄惨な死を迎えようとしている政治犯救出劇に使うアイディアなんだろか。
●ロッコ。この人が本当なら物語のキーパーソンになっててもおかしくなかった。1幕のなにかと評判の悪い「お金のアリア」も、理想論ばかり掲げているヒロインと違って、世間ってものを知っているフツーの大人、娘を育て上げた親の率直な心情を歌っているともいえる。人殺しをするほど悪人にもなれないけど、仕事を失う危険を冒して人道主義を全うするほど善人でもない、弱いどこにでもいる庶民……のはずなのに、「フィデリオ」を見てロッコに共感する人はいないと思う。ワタシたち自身と同じなのに。「オレ、こんな仕事やりたくてやってるんじゃないよー」っていう嘆きがないからか。
●フロレスタン。2幕から出てきて、唐突に「気高き人物」とか言われてもねえ。フロレスタンとドン・ピツァロとの前史が劇中に描かれていないのに加えて、大臣ドン・フェルナンドが来るといきなり「わが友」扱い。あんた、何者なのさ。こういう英雄を無条件に信頼しては危険だとワタシのなかで警鐘が鳴る。だいたいこれってドン・フェルナンドが「デウス・エクス・マキナ」をやってるわけで、「正義が勝つ」ためのいちばん大事なプロセスが抜け落ちている気がする。
●マルツェリーネ。気の毒にも「フィデリオ」に恋してしまう若い娘。こんなチャーミングな登場人物を配しておきながら、フィナーレに突入すると忘れ去られる人物。なぜそこでヤキーノとハッピーにくっつく愛の二重唱がないのか。
●ドン・ピツァロ。絶対的な悪役でなければいけないのに、劇中ではふんぞり返っているだけで、大した犯罪行為は見当たらない。フィデリオに向かって一瞬ナイフは持つけど、相手がピストルを持ってたから逃げたとか、大臣が来たらもう降参とか、お前には冷酷無比な悪の美学というものはないのかと問い詰めたい。
●どうしてこんな台本を受け入れちゃったんだろ。現状だと、レオノーレとフロレスタンが狂信的な電波夫婦で、ドン・ピツァロとロッコが社会秩序を守る市民の味方っていう解釈もありうる。と、ぐだぐだ言ってるが、このカオスな台本も含めてというか、そうだからこそ「フィデリオ」はおもしろいのかもしれん、ラブ「フィデリオ」。
今日も超師走
●金総書記、平壌の会員制ゴルフクラブで11ものホールインワン達成(AFP BB News)。「みんゴル」最強COMキャラでもそれはムリ。
●ピエール・ブーレーズは、「情報過多の世の中、物事は3倍くらい大げさに言わなきゃ伝わらない」って言ってはずなんだけど、出典はどこだったか。インタヴュー?
●3倍大きく言うのが常態化すると、今度はどれだけ大げさに話しても誰も聞いてくれなくなる。だから、今後は0.3倍とか-3倍して言うのがいいと思う。「オペラハウスを建造せよ!」とか。
「の」ではじまるドラマの第8回
●「の◎だめ」と書くことにしよう。今週も堪能した。最終回へのカウントダウンがはじまって以来、一回一回が貴重なものに思えてきた(笑)。というか、あと3回だとすると、原作から考えてストーリーの割り振りはこうなってああなってとか考えて、先走って「最終回が放映された後」を想起してしんみりしてしまう。これは前にも言った、コンサートが始まると同時に終わった瞬間を待ち望む欲望と同じだ。
●さ、今日からクラシックのコンサートは首を振ったり頭を揺らしたりしながら聴こう!(ウソ)。ある意味衝撃のシーンだった。
●今回は黒木クンのモーツァルト/オーボエ協奏曲も聴けたし、ブラ1も編集難しかっただろうけどなんとか第4楽章まで入れてくれたし、安堵。あとは原作にない選曲も冴えていた。マタイ受難曲とか。
●いちばんウケたのは、の◎だめが「スーパーひとしくん」(笑)にウナギを買いに走る場面で、ラフマニノフの交響曲第2番のアダージョ(たぶん)がかかったところ。黒木くんが後ろから必死になって走っている。そしてウナギはありえないほど安価である。千秋がお風呂で溺れるシーン挿入、日常的に覗きが繰り返されていることを示唆。スゴいシークエンスだ。偉大なものに触れた気がする。
U23シリア代表 vs U21日本代表@アジア大会ドーハ2006
●アジア大会第2戦。昨晩中継を見ようと思ったが寝不足のため睡魔に耐えられず。朝、録画再生してみると、そこには初戦に続いてアジア基準の主審判定に苦しむ若者ニッポンの姿が。J基準のタックルは全部ファウル、へたするとイエロー、でもシリアには甘い。ああ、やだやだ、ほら主審がニッポン選手のソックスだかすね当てだかを気にしている。官僚主義ってどこでも同じだなー、と悲観していたら。
●後半、シリアの運動量がぐっと落ち、ニッポンが攻勢に出るとともに、主審も徐々に「認めてくれた」気がする。平山のゴールラインを割ったかどうか微妙なヘディング・シュート、あれは入っていないかなと思ったら、スローで確認すると入っていた。そして主審もゴールと認めてくれた。1-0で完勝。
●シリアはパキスタンと違って全然上手いし、年齢差もあってフィジカルも強かったしコンディションもよかった。これは厳しい試合になるなと覚悟したんだけど、U21ニッポン代表は大人の態度で乗り切った。偉すぎる。
赤組に祝福を。青組は沈黙する
●優勝おめでとうございます>浦和レッズのみなさま。今シーズン、勝つべくして勝ったんだと思う。この数年にわたる着実な強化が実ったという感、大。選手層が厚くて、ベンチまで豪華、しかもチームとしての組織力もある。若い選手も多いし、これから数年は常に優勝を争うことになるんじゃないだろか。ブッフバルト監督退任しても無問題だと思うな。むしろワシントンがいなくなったときが問題。
●敬意を表して、今日のメンバー。GK:山岸-DF:内舘、トゥーリオ、ネネ-MF:鈴木啓太、長谷部、平川、アレックス、山田暢久-FW:ポンテ、ワシントン。ベンチがスゴいよ。都築、坪井、相馬崇人(←何年もベンチにいませんように!)、小野伸二、永井雄一郎、田中達也、岡野。
●レッズ、これが初優勝なんて意外なくらいだ。っていうか一度われわれマリノスがチャンスを潰したわけだが……こちらはわずか数シーズンで凋落してしまった。もうチャンピオン時代のことは忘れ、一から出直すしかない。だれか経験のある新しい監督の下で。
●そして、マリノスから去る人たち(涙)。GK下川健一、DF中西永輔、MF平野孝、DFドゥトラ、MF奥大介、MF田ノ上信也、MF後藤裕司、FW阿部祐大朗(山形へレンタル中)。
●ドゥトラはずっとマリノスの実質的なキープレイヤーだった。助っ人史に残る、陰のMVP。深謝。
●奥大介。ジュビロから移籍してくれたときはホントに嬉しかった。一時代を築き上げた。後は山瀬がいる。
●中西永輔。W杯フランス大会、アルゼンチンのディフェンダー二人の間をするすると突破した勇姿を忘れない。伝説だ。あの時ロペスが決めてりゃなあ……。ただし、マリノスっていうか、やっぱりJEFの人だけど。
●下川健一。この人も本来JEFの人。でも縁の下の力持ちだった、きっと。
●平野孝。好きな選手ではあるけど、あまり縁はなかった。いまだ印象としては名古屋の人、あるいはヴェルディの人。
●田ノ上信也。見ていない。出場試合数ゼロだし。
●後藤裕司、阿部祐大朗。高校を出てすぐマリノスにやってきてくれたのに、十分力を伸ばしてやれないまま、クビになってしまって、本当に申しわけない気分。どこだってそうだろうけど、新人選手のほとんどは数年で消える。阿部祐大朗なんてあんなに将来を嘱望されてたのに、リーグ戦じゃノーゴール。J2の山形でもポジションを失っている。厳しい世界である。どこかに自分の確固たる居場所を見つけられますように。
●ハーフナー・ディドGKコーチ。岡田前監督が連れてきてくれたのでしょうがない。S級ライセンスをお持ちなので、いずれどこかの監督に? おつかれさまでした。あの……、息子さんはこのままウチで預かってよろしいのでしょうか。
伏字の代わりに記号でも挟むか?
●先日ご紹介した映画「敬愛なるベートーヴェン」、期間限定で冒頭12分をネットで視聴可能→シネマスクランブル。よろしければ。
●一昨日、「のだ◎め」を伏字にしなかったら、来るわ来るわスパ×・トラバが次々と。さすが月9。さすが「の◎だめ」。妙な業者のをはじくためにこっちもそれなりに裏で対策を講じてるんだけど、全部は防げないからなー。あ、フツーのトラバはもちろん歓迎。
●しばらく前のガルシア・マルケスの「わが悲しき娼◎婦たちの思い出」もスパ×・トラバのターゲットにされているっぽくて、しつこくやってくる。やれやれ、娼◎婦に反応しちゃってるんだろか。ガルシア・マルケスの書評に風◎俗のトラバつけてもお互い全然メリットないと思うぞ。プログラムだから言ってもしょうがないけど。