●人間の記憶力っていうのは何歳くらいから衰えはじめるものなんだろか。全然医学的な話ではなく日常的な実感からいうと、大人になった頃にはもう衰え始め、以降は加速度的に劣化していく気がする。なんてことを顕著に感じてしまうのが「度忘れ」の瞬間。よく知っているおなじみの超名曲を耳にして、「あれ、これなんていう曲だっけ」と曲名が出てこなくて狼狽してしまったりする。
●曲が流れている。「飯尾さん、これ、ドヴォルザークの交響曲第8番でしたよね」。人からこう尋ねられた。ええっと、このメロディ、いやあ、これ昔は大好きで毎日のように聴いていたこともあったなあ、あれれ、でもこれって8番だったっけ。うーん、よく知っているはずの8番がすぐに思い出せないぞ。落ち着け、作風からしてドヴォルザークなのはまちがいない。第9番「新世界」ではない、第7番とも違うのは確かだ。第6番でもないし、それより以前の作品にこんなに人口に膾炙したメロディがあるとは思えない。そうだ、やっぱり第8番だ。なんだか懐かしいなあ。
●「そう、第8番だったよな……確か」とイマイチ腑に落ちないままムリヤリ納得していると、そのうちにチェロの独奏が入ってきてチェロ協奏曲だったと気がつく(おいおい)。もはや末期的だな、これは。
●こんなことはよくあって、特にドヴォルザークとかチャイコフスキーとか、親しみやすいメロディを作る天才のような人が書いた名曲が危ない。あれ、これ何だっけと思って、必死に頭の中で曲の続きを先行早送りさせていくと、そのうちに記憶が大砲の音を鳴らしてくれて序曲「1812年」だったと思い出すとか。つまり曲は憶えていても曲名とつながってくれないわけだ。
●だからコンサートのアンコールが危ない。曲名も知らされずに、誰でも知っているような小品が演奏され、そしてその曲名をどうしても思い出せないという罠。ああ、いま「今日のアンコール、なんでしたっけ?」なんて人から聞かれたら恥ずかしいぞ。ある日、終演後、帰ろうとすると知人とばったり出会った。「どうも、ごぶさたしてます」。だ、大丈夫だ。今日のアンコールは「フィガロの結婚」序曲だ。これはさすがに思い出せる。「ああ、お久しぶりです」と挨拶を返して絶句。うーん、出てこない。思い出せないのだ、この昔からよく知っている知人の名前が……。
2007年2月アーカイブ
たしか、この曲は……
確定申告に「フリーランスを代表して 申告と節税について教わってきました」
●またこの本を引っ張り出してきて、銀河一地道かつ零細感漂う(笑)帳簿付け作業を乗り越えて行ってきた、税務署へ。税金のことなどなーんにもわかっていなかった自分にとってはバイブルみたいな存在である→「フリーランスを代表して 申告と節税について教わってきました。」(きたみりゅうじ著/日本実業出版社)。去年までは白色にしてたけど、今回から青色申告。しかし帳簿仕事が苦手でしょうがない自分が、まさか会計ソフトを使って複式簿記をやる日が来ようとは。信じられん。
●原稿書きであれ編集であれ、個人が企業を相手に仕事をすると、売上(≠利益)の原則10%が源泉徴収される。だから会社員時代と同様、税金は最初から引かれている。確定申告は払いすぎている税金を還付してもらうための仕事。会社員なら会社が年末調整という形でやってくれる。それを自前でやるために悪戦苦闘する。慣れないせいもあるだろうけど、膨大な時間を費やしてしまった。ま、でもしょうがない。フリーランスにとってはこれって税金の精算書っていうよりも、自分の仕事を公的に証明してくれる唯一の書類だから疎かにできない。最初はよくわかってなかったんだけど、ちゃんとしておかないといろいろと社会生活が大変。
ヨダレを垂らして聴くアリア
●テレビから突然おいしそうな映像と音が。いつも妙に欲望を刺激するハーゲンダッツのCMであった、それはアフォガート篇。オペラのアリアっぽい歌声をバックに、ラテンな男が女の持つバニラ・アイスに濃厚で熱いエスプレッソをかける。アイス命なワタシの目と耳は釘付け。そしてこの曲、なんだか聴いた曲だと思うけど思い出せないワタシはオペラ命とはいえない、降参してあっさりと調べてみた、ハーゲンダッツのサイトを。
●曲はジョルダーノのオペラ「フェドーラ」より「愛さずにはいられぬこの思い」。そう、愛せずにはいられない、アイス命。歌うのはユッシ・ビョルリンク。ハーゲンダッツ、偉い、ここでフルバージョン聴くことができるのです。
●ウチにどれかCDはあるだろうと思って探してみたら、あった、カレーラス/パタネの「フェドーラ」が。棚から出して食卓のそばに待機させた。次にアイスクリームを食するときのために。
王様と私 - 友人、時には敵そしてマネージャーだった私が栄光の王座に就いたパヴァロッティの私生活を修正なしで公開する
●いかん、翌日予定が詰まっているというのに、止められなくて朝まで本を読んでしまったー。「王様と私 - 友人、時には敵そしてマネージャーだった私が栄光の王座に就いたパヴァロッティの私生活を修正なしで公開する」読了(副題長いよ)。ハーバート・ブレスリン&アン・ミジェットの著、相原真理子訳(集英社)。パヴァロッティのマネージャーが、まだ初々しい好青年だった無名のパヴァロッティとの出会いから、35年間ともにキャリアを築き、そして契約を解消するまでを綴っている。というと暴露本かと思われるかもしれないが、そんなんじゃないんだよなー。非常に優れた読み物。
●本のなかでパヴァロッティはたくさん醜態を晒している。スターになるにつれてワガママが度を越してきて、マネージャーとの関係はまさに「王様と私」。ほとんどガルシア=マルケスが書きそうなラテン・アメリカの小国の独裁者みたいなふるまいをする。気まぐれで、迷信深くて、でも気前はいい。そのあたりのエピソードは無数に出てきて、どれもおもしろい。しかも、読んでるうちにだんだんパヴァロッティが好きになってくる。書き手がとにかく上手い。
●お金の話もずいぶん開けっぴろげに書かれている。アーティストとマネージャー、オペラ・ハウスの関係がどんなふうになってるか、よくわかる(たとえばマネージャーの受け取りはオペラなら出演料の10%、リサイタルなら20%だとか、毎月の依頼料をアーティストから受け取るとか受け取らないとか)。メトの出演料は上限が1万5000ドルって決まってて、パヴァロッティだろうとドミンゴだろうと、大スターはみんなこの金額上限張り付きになるっていうんすよ。「一公演でそんなに稼ぐのか」と思ったらおおまちがい。この金額はパヴァロッティ側としては諸経費も考えるとあってないようなもの。稼ぐのはオペラじゃなくて圧倒的にコンサートのほう。2回目の三大テノールのときは各人各社入り乱れての壮絶な契約交渉の末に、おそらくギャラは200万ドルには達したとか。金額のスゴさっていうより、仕事の仕方、仕組みっていう点で興味深かった。
●そもそもこれは「パヴァロッティの本」じゃなくて、「音楽マネージャー、ハーバート・ブレスリンの本」。興行主視点で見たビジネスの世界が魅力的なのであって、ある意味「プロジェクトX」。この種の本には悪徳マネージャーみたいな著者像が期待されるかもしれないけど、ワタシは職業人としての純粋な情熱みたいなものを感じて、しまいには「あー、オレも音楽家のマネージャー、やってみたかったな!」とか思ってしまうくらいだった(←きっと一日で音を上げる)。ハーバート・ブレスリンはいっしょに仕事したらきっと耐え難いほどヤなタイプだと思うんだけど、でも「本気で自分のアーティストを売る」ってのはどういうことなのか、あちこちで目ウロコだった。やっぱり「仕事とは他人の需要を満たすもの」だな。あとブレスリンが根っからのオペラ好きだったからありえた関係だったってこともよくわかる。
U22ニッポンvsアメリカ@親善試合
●いやー、久々だけどいいっすね。代表ユニ着た選手たちの試合を見ると、アドレナリンがドクドク分泌される気がする。バルセロナとかもいいんだけど、やっぱり自分のところは違うなと。
●3バックに3トップという3-4-3の布陣。トップ中央で平山がボールを受けて、カレンと李忠成が裏に抜ける形。ディフェンスを率いるのはキャプテンの伊野波。
GK:松井謙弥
DF:伊野波雅彦、水本裕貴、青山直晃
MF:本田拓也(→谷口博之)、水野晃樹、梶山陽平、本田圭佑(→家長昭博)
FW:平山相太(→森島康仁)、カレン・ロバート(→増田誓志)、李忠成(→苔口卓也)
●こちらはシーズンオフでコンディションは低めだが、相手もそれほどでもない。アメリカは欧州組不参加で下のカテゴリーからも選手を多く呼んでいる模様。後半の序盤を除けば、終始ニッポンがゲームを支配していた。平山のポストを叩いたゴールと、水野の神ドリブルから打ったシュートがバーに跳ね返ったのを合わせて1点としたいところだが、結果は0-0。でも枠をとらえたシュートが多かった。お互いビルドアップはやや雑。
●平山相太は体が切れていた。見ていてもどかしい選手ナンバーワンだけど、確かに平山が前線にいると他の選手がやりやすそう。日本国籍を取得したばかりという柏の李忠成(知らなかった)、近い将来大化けするかも。カレン・ロバートはもう少し馬力を活かしてガツガツ前に行ってほしい感じ。本田圭佑の左サイドは機能せず。対面のアメリカの選手に押し込まれてしまった。アウトサイドで使うべきか、中央で使うべきか悩む(←ワタシが悩んでも意味レスだっての)。水本裕貴は決まってたら伝説という華麗なトラップ→シュートを見せてくれた、センターバックなのに(笑)。
ケータイに足し算/引き算
●先日のGmail転送大作戦によって、ケータイでもPCメールを読めるようになった。おかげで外出中でもPCメールが読めると喜んでいたのだが、しばらく使ってるうちに気づいた。なんだか、電池の減りが早いぞ。ケータイって、メールだカメラだ音楽だブラウザだお財布だとどんどん進化してるけど、その割には電池って変わってないかも。「肝心なときに通話のための電池がない」っていう事態を心配をしなきゃならんようでは、一つの端末にみんな集約させるのはムリなのかもなあと思いはじめた。
●携帯電話は通話とケータイメール用と割り切って、PCメールとブラウザと音楽プレーヤーの機能を別の端末に任せるという発想もありかもしれん。そう考えると、SONYのmyloみたいなのが魅力的になってくるのかも。しかもカッコいいし。ま、無線LANでしかネットにはつながらないんだけど。
●おっと、告知するのを忘れてた。sheetmusicplus.comでヘンレ原典版全点20%OFFセール開催中。3月2日までなのでご注意を。
「のだめカンタービレ」第17巻
●読んだですよ、「のだめカンタービレ」第17巻。もう第17巻なのかあ。千秋父が登場して、ドラマ的にエンディングの盛り上がり直前を予感させる展開。息子が気がついたらオヤジの後を追いかけていたという、男子永遠のテーマに加えて、ニールセンの「不滅」とか、バッハのピアノ協奏曲第1番とか、選曲面でもかなりツボに来てて吉。そうだよなあ、千秋真一っていう設定からして、そりゃ弾き振りやってもなんの不思議もないかもしれん、でもそこでバッハ弾くのかあとドキッとさせられたのだ。あと、本編がシリアスな分、4コマの笑いに和む。
●ずっーっと前の段階、たぶんパリ編が始まったくらいだと思うんだけど、ワタシが漠然と勝手に想像していたエンディングはこんな感じ。のだめは千秋を追いかけながら、どんどん成長して世界的なピアニストとして活躍する。一方、千秋真一は日本に帰国して小学校あたりの音楽の先生になる。ていうのが王道かなと。でもそういう話じゃなくて、もっと大きくて普遍的な物語に収束していきそう。
●さー、バッハのピアノ協奏曲第1番ニ短調、聴くぞー。バッハのコンチェルト中、最強に強まってカッコよさげな一曲。チェンバロのほうなら選択肢は豊富にあるけど、ピアノならいまだにこれ。しか、自分には。
筋肉痛四重奏
●ミシミシ、腕、腿、ふくらはぎ、背。と全身筋肉痛、なぜなら先週末に草サッカー。20分×4本、しかし途中1本は休憩。もうシャレにならないヘッポコぶりで、またも無力感を味わい右往左往する、ていうか体力レスで右往も左往もできず止まってる感じ。もう疲れたよ、パトラッシュ。みんな最後まで走るし。ボールを受けたら3秒くらい周囲がゆっくり待っててくれる、爺さんの日向ぼっこみたいなのんびりしたサッカーがしたい(←そんなサッカーはない)。音を立てて崩れ去るオレの妄想サンチャゴ・ベルナベウ。あんなでっかいボールなのに、足に当たらないことがあるって謎すぎ(笑)。冗談かと思うほど衰えるな、運動神経って。
●一つ演奏会案内を。明後日の21日(水)、パシフィカ・クァルテット@第一生命ホール。このホールが月イチくらいのペースで開催している「クァルテット・ウェンズデイ」というシリーズの一環。ヤナーチェクの弦楽四重奏曲第2番「ないしょの手紙」、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番(「大フーガ」付)他。これだけハイクォリティな演奏会をこの価格で提供し続けてるのってスゴい、と思えるシリーズ。今回はプログラムも間口が広いので「室内楽はあんまりなじみがない」って方にもオススメ。いいっすよ、ヤナーチェク。あと、ホールが入っている晴海トリトンスクエアはこぎれいな街っぽくて、時間があれば食欲とか物欲も適度に満足可能な快楽度高いエリアで吉、と思いつつも、実際にはギリギリにしかたどり着けないんだが。
●しかしこういうときに、演奏会やアーティスト・プロフィールの固定のURLがあってほしいなー、リンク用に。これがあるとないではネット上のプレゼンスは雲泥の差(対検索エンジン的にも)。コマーシャルなあらゆる事象に参照可能な固定URLを。CDなんかもレコード会社にそれがあったりなかったりするから、みんなamazonとかを代理に使っちゃうんだろう。演奏会は「ぴあ」やイープラスのデータが完備されてるから一瞬そっちを使いたくなるけど、チケット販売が終了しちゃうとページが用済みになってしまうので、そうはいかない。
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2007公演プログラム発表!
●ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2007の記者会見へ(東京国際フォーラム)。今年の公演プログラムが発表された。例によってプログラムはすごい情報量なので、詳細&全貌を知りたいという方はPDFデータをプリントアウトしちゃうのが吉かも。写真はルネ・マルタン氏@アーティスティック・ディレクター。
●今年のテーマは「民族のハーモニー」。昨年から発表されていたものの、当初は「国民楽派?」とか、日本語タイトルをどう落ち着かせるかでいろいろ言われてたけど、結局この形に。つまり19世紀後半から20世紀にかけての、東欧、北欧、中央ヨーロッパ、フランス、スペイン他の、諸国の民族色豊かな音楽が集まると。だからプログラムは多彩。「ボレロ」とか「モルダウ」とか「新世界より」といった超ウルトラ名曲も入る一方で、たとえばヤナーチェクのピアノ曲とか、バルトークの弦楽四重奏曲とか、シマノフスキやらマルティヌーやらもたくさん聴ける、ストラヴィンスキーの「結婚」なんかも聴ける。去年だったら、どれを聴いてもモーツァルトだったけど、今回はふらっと子連れで有楽町に来てアルベニスのイベリア第1集と第2集を聴いた、なんていうヨソじゃありえない出会いが可能なわけだ。ステキである。
●お子様対応について。夜6時半以降の公演は6歳以上入場可、昼の公演は3歳以上入場可、ホールAの朝イチ公演は0歳以上入場可。
●去年「ジュノム」の演奏が評判を呼んだ小曽根真さんは、井上道義指揮都響と共演でガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」&「ヘ調の協奏曲」。パッと見、人気が高そうなのはこの公演かなと。5000人収容のホールAで2公演ある。
●東京国際フォーラムでの演奏会は5月2日(水)午後から6日(日)夜まで。初日2日は暦上はまだ平日なんだけど、でもきっとロケット・スタートの予感。5日間200公演、1500円~3000円で、一公演平均45分。出演アーティスト約1700人、見込み来場者数のべ70万人、総チケット枚数23万枚。クラシックのお祭りがまたやって来る。今年も楽しみだなあ、屋台村(え、違う?)。
ねにもつタイプ(岸本佐知子)
●し、しまったー! 昨日、バレンタインデーだったのにCD通販のヲタ話を書いてしまってる。昨日の記事を「チョコ食いすぎて腹痛い」に訂正します。(←このネタ毎年やってる気がする)。
●「ねにもつタイプ」(岸本佐知子著/筑摩書房)を読む。ワタシと同じ道筋をたどった方は少なくないと思うんだけど、まず「おもしろいよ」と耳にして、ニコルソン・ベイカーの小説を読んだ。で、ニコルソン・ベイカーもおもしろいけど、この翻訳をされている岸本佐知子さんもおもしろいらしいと知って「気になる部分」を読んだ。そしたら、翻訳者のほうがある意味で超ニコルソン・ベイカーな存在であって、そのあまりのおかしさに抱腹絶倒したのである。
●そんなわけで待望のエッセイ集第2弾「ねにもつタイプ」。大人がうっかり忘れがちなコドモ視点で日常を観察する話が多いのだが、その一つ一つが鋭くて、ヘンで、しかも共感度が高い。たとえば「星人」の章。自分が「気がつかない星人」であるという話。ものごとの隠された意味が読めないから、「気がつかない星人」は人生にしっくりこない感じを抱くことになる。
「気がつかない星人」には言葉のレトリックが通じない。八百屋のおばさんに「はい、百万円ね」と言われて凍りつく。写真屋のおじさんに「鳩が出ますよー」と言われて、いつまでも待ちつづける。『さっちゃん』という童謡を、冗談で「あれはあなたがモデルよ」と大人に言われたのを真に受けて、大きくなるまで信じている。
●あ、自分も「気がつかない星人」かも、と思った方はぜひ。なんつうか、空いてる電車がホームに入ってきて「余裕で座れるかな」と思って乗り込んだら、いつも自分の一つ前の人で席が埋まっちゃうようなタイプのあなたには特にオススメしたい。あと、こういう「天然」な感じの味わいって、技術が生むんすよね、文章の。
通販ブローカー、じゃなくて
●CDのお買い物ってのはリアル店舗でも通販でもそれぞれに違う楽しさがあるので、ワタシの場合は比率的には半々くらい。本日は通販の話。
●近頃見かけるアレ、総称としてなんと呼べばいいのかなあ、amazonの輸入盤で「マーケットプレイス」っていう形で外部業者が大規模に販売してたりするじゃないですか。たとえば caiman_america (caiman_com)とか import-cd_specialists (importcds_com) とか。これ、米国のamazonでも同じ販売者が同じ商品をドル建てで売ってて(ていうか、そっちが本家か)、どうせ商品は海外からSAL便とかで送ってくるので、日本のamazonだろうがアメリカのamazonだろうが、どこで買っても価格(通貨)以外は同じことなんだと思う。オールジャンルで大量に商品を出してるから、なんらかのデータベースを使ってシステマティックにやってるはず。
●これらの販売者にはきっと実店舗なんてないだろうから「レコード店」っていうのもヘンだし、かといって「通販ブローカー」ってのもなんか必要以上に怪しいし(笑)、なんつうか、とにかく販売店として新しい業態っすよね。彼らを称する適切な名前がわからない。
●で、ワタシはその「彼ら」を何度か利用しているんすよ。近所のリアル店舗やamazon本体に在庫がない場合とか、価格差が無視できないほど大きくてかつ入手まで何週間待っても構わない場合に(概して「彼ら」は安価だが遅くて不確実なのだ)。先日、アメリカの某店から、あるバロック・オペラを取り寄せたところ、なんと箱に「TOWER RECORDS $**.** 」の値札が(笑)。うわ、こんな値段だったのか。これって、なくなった米国タワーの店頭在庫を引き取ったってこと? 「彼ら」の通常の商品仕入先ってどういうところなんでしょか。
紅梅、リーガ・エスパニョーラ
●とても2月とは思えない暖かさ。近所の公園で梅。さらにカモ、ガチョウ、アヒル、猫、鯉などを眺める。ここはケダモノ度が高くて飽きない。今年はこのまま冬らしい冬が来ないのかもしれない。
●録画しておいたレアル・ソシエダvsレアル・マドリッド@スペイン・リーグをちらちらと。おお、ベッカムが久しぶりに試合に出ている、しかも先発、そしてフリーキックからゴールを決めてしまうとは。とはいえ、レアル・マドリッドにはかつての「銀河系軍団」の面影すらない。端的に言ってジダンがいなくなっただけでもギャラクティコじゃない、もうロナウドっていう伝説もいないし。今季でベッカムはアメリカに去る。銀河系解散によって、むしろチームがよみがる可能性も十分あるんだけど、結局ワタシはここ何年かジダンとロナウドを見るためにレアル・マドリッドを見てたんだなと気づいた。
●この試合はちがったけど、最近スペイン・リーグの試合で、やたらキックオフ前に故人を悼んでの黙祷が多い気がする。でもこれが他の国と違ってて、いつも音楽を流すんすよ。「鳥の歌」とか(←バルセロナだけではない)、バーバーの弦楽のためのアダージョとか、各地それぞれ。で、しかも短い。フツーは1分だと思うけど、絶対1分も黙祷しない。想像だけど、1分もみんな待ちたくないタチの人々だから、曲をかけつつ短めに切り上げるんじゃないだろうか。
寿司カレー伝説
●ガキを寿司屋につれてくるな。あなたはそう思うかもしれない。子供は寿司の味なんかわかりゃしない。「ワサビ抜いて」とかふざけたことを言ったりするメンドくさい存在である。では寿司屋にとって宇宙一迷惑なガキとはだれか。おそらく、それは35年ほど昔のワタシである。
●両親に連れられて近所の寿司屋に行った。日曜日である。寿司屋のカウンターに座って、このガキは不満を抱いていた。
「こんなはずではなかった。今日はカレーを食べる日なのだ」
●当時わが家では日曜の夜はカレーライスと献立が決まっていた。子供はカレーが好きである。今にして思えば、このルールは日曜に母親の負担を軽くしようとして定められたのだろうとわかるし、もっと積極的に日曜夜を「家事の休日」とするために寿司屋で外食という選択肢が採られたのだとも推測できる。
●だがそんな親の都合を子供は絶対に理解してくれない。ガキはトロにもウニにもイクラにも目をくれず、ひたすらカレーのことを考えいてた。
「なんと悲しいことであろうか、日曜にカレーが食えないとは」
思考を反復させることで、バカガキ特有の作用として自己憐憫が増幅され、これが理不尽なまでに高まった。「自分はかわいそうな子供だ」、そう思い始めたらキリがない。悲嘆にくれ、ついに高ぶった感情が体の中で収まりきらなくなり、爆発した。
「うわああーん、ボク、カレーが食べたいよ~」(滂沱)
●家族で寿司屋に来たら、カレーを食いたいと泣き叫ぶガキ。川に捨てられないだけでもありがたいと思わねばならぬ。寿司屋の大将とその奥さんに、両親は平謝り。それでもガキは泣き喚く。寿司がイヤかといえばそうでもないだろうが、もはや泣くことが自己目的化したガキに論理は通用しない。他の客におかまいなしに、延々と泣き続けた。
●ところが、不意にあるはずのない解決が訪れた。大将の奥さんが店の奥から、カレーライスを持ってきてくれたのである。これにはさすがにガキも驚いた。どうして寿司屋にカレー。疑問を抱きつつも、急におとなしくなってカレーを食べた。ウチのカレーとは少し違う、でもおいしいカレー。あのカレーは奥さんが慌てて作ってくれたのだろうか、それとも寿司屋の家でも日曜はカレーと決まっていたのだろうか? 今でも寿司を食べるとワタシは思い出すのだ、あの辛くて甘いカレーのことを。
バルトってなんだっけ
●ウチから近くの映画館では時間が合わず、しょうがないので歌舞伎町の映画館で「それでもボクはやってない」(周防正行監督)。痴漢冤罪を題材に、刑事裁判の99.9%が有罪になってしまうという日本の裁判制度のあり方を問う。「硫黄島」に続いてまたも加瀬亮のどんより曇った表情を眺めていたら、ワタシもつい気が付くと同じような顔になっていた。ああ、もう怖くて電車乗れない。だれにでも起こりうることを描いているのだから、どこも笑えない。冤罪の被疑者となる恐ろしさはもちろんのこと、視点を変えて裁判官や弁護人、検察官、だれの立場となったとしても、そこには暗鬱とした現実しかない。自分だったらどの職務であれ、それを全うすることはできないだろう。見終わるとどっと疲労が。これはなんだっけ、記憶にあるんだけど……。そうだ、正論疲れ、かな。
●新宿はシネコンがないのが残念、と思っていたら、なんと明日から新たに一つオープンするというではないか→「新宿バルト9」。場所は新宿三丁目。そういえば、あっちのほうに大きなビルが建ってたっけ。画質も音響もよさげな雰囲気。全席指定定員入替制。これで歌舞伎町からはかなり足が遠のきそうな予感。
出来
●重版出来。拙著「クラシックBOOK」(三笠書房・王様文庫)。週末なので、また書影を出しちゃうけどお許しを。今回は小さめにしておこ 。[amazon/bk1]
●「ほぼ日」の「声に出して読めない日本語。」でも取り上げられていた、「重版出来」の読みは「じゅうはんしゅったい」。読めない日本語っていっぱいあるっすよね。ていうか、あの連載、フツーに読めない熟語も出てくるけど、「LAFORET HARAJUKU」とかそういうネタも多かった。
●「LAFORET HARAJUKU」は「らふぉーれ・はらじゅく」。まあそりゃそうなんだけど、こうなると、あえて堂々と「らふぉれっと・はらじゅく」と発声してみたくなる。いや、クラヲタらしく「HARAJUKU」もフランス語読みすべきと主張するのも一手かもしれん。
●「『涼宮ハルヒの憂鬱』谷川流」とかも出題されてた。鋭い。書店行くと必ず目にするもんなあ。で、涼宮ハルヒってなにか気になるでしょ。でも気にしない(えっ)。
●あとスゴいと思ったのは「関ジャニ∞」。読めるか、それ。絶対読めない、「かんじゃにえいと」。「かんじゃに」もわからんけど(セリエCくらいでプレイしてるアフリカ系選手のイメージだな、カンジャニ)、「∞」を「エイト」って読むんすよ! 無限大の立場はどうなるのか。もう今にもゼロで割っても無問題な感じのカンジャニ=エイトさん。セリエB昇格目指して、がんばってください。
「今夜は星が出てるなぁ、明日はきっと天気だろう」
●電車の中は込んでいた。前に立っていたサラリーマンがケータイを取り出して、麻雀を始めた。そうなのか、ケータイ用アプリってのはここまで進化していたのか。きちんとした本格四人麻雀ゲーが、ケータイの狭い液晶画面の中で動作している。牌が小さい。み、見えない……いや、なぜ見る必要がある、しかし気になる、見てしまう、どうやらピンフ・タンヤオ系の素直な手作りをしている。
●うわ、あんた、そこでそれ切るのか。あー、そっち捨てておかないと危険牌だよ、好牌先打、聴牌まで持ってちゃダメだろう。ワタシは心の中で熱くコーチングを始めてしまう。男のツモのリズムとシンクロしていちいち麻雀格言をそっと呟きたくなる。
「おっと、もうリーチか。早いリーチは一四索」
「ポンかよ。鳴いて飛び出る危険牌」
「しまった、キル・クールの法則か」
「またか、一萬去ってまた一萬」
「やられた! 泣きっ面にインパチ」
●駅に着いた。男はケータイを閉じて降りた。せっかく気持ちよく人の麻雀に無音アテレコをして楽しんでいたのに。それとも気配を察知したのか、背中に。
P.S. 誘われてもやりません。
体内カレー濃度に注意すれ
●カレー。最近、ワタシの体内ではカレー濃度が足りていない気がする。別にカレー断ちしてるわけじゃない。でもうっかりして(特に冬はカレーの存在を忘れがちだから)何週間もナチュラルにカレー断ちしてる。じゃあ明日カレー食えばいいのかっていうとそんなものじゃなくて、より体験として総合的にカレー強度が高くなければいけない←これ意味不明。そしてカレーを食する代わりに、ワタシがブックマークしているカレー・レシピを案内し、これをみなさんと共有することによって、ヴィヴィッドかつスパイシーにカレー2.0を体験することにしたい。
その1. チキンカレー@カレーの穴
このレシピのポイントは「カレー粉」を使用している点にある。個別のスパイスをそろえるほど気合を入れたくない、しかし簡単にインドカレーを作りたいという方にベスト。ヱスビーの赤い缶でもオッケ。カレー入門。オイルはソースのごとくたっぷり使いたいので、胃にもたれないようにオリーブ・オイルを使うのも吉(パスタ用に常備しているとすれば)。
その2. スパイシーチキンカレー@Woman.excite
ここはページが美しい。レシピは「カレー粉」を使用しているにもかかわらず、カルダモンパウダーだのターメリックパウダーだのコリアンダーだの要求していて、重複的というか、「簡単に作りたいのか、本格で作りたいのかどっちなのか」という謎なノリであり、ワタシはもっぱら眺めて楽しむ。
その3. インドカレーレシピ@インド家庭料理RAANI
本格。インド人によるスローフードとしてのカレー。「カレー粉」なんて使わない。だがむやみと多種類のスパイスを使うわけでもなく、チキンカレーはパプリカ、ターメリック、カイエン、ガラムマサラのみ。ただ、このスパイスの分量を受け入れられるかっていうのが微妙であって、場合によっては要ジャパナイズ控えめに。「たまねぎを小一時間弱火でじっくり炒める」を気持ちよく否定してくれているところには共感度大。
●どうだろう、カレー濃度は高まってきただろうか。
「2001年宇宙の旅」と「一つ目の巨人」
●たまたまテレビをつけたら、NHK-BSで映画「2001年宇宙の旅」が放映中。HALがわけのわからんことを言い出したので、乗組員がスペース・ポッドのなかでマイクを切って「あいつ、おかしくなったんじゃないの」と会話する場面。ついそのまま最後まで見てしまった……。もう何回見たことやら。すぐにHALの叛乱の場面、そしてリゲティの音楽に乗ってサイケデリックな抽象アナログ特撮画像のシークエンス~エンディングへと向かう。
●なんど見ても鳥肌が立つシーンってのがいくつかあって、たとえば糸の切れた凧のように宇宙空間に投げ出されたフランク・プール、それから続く冷凍睡眠中の乗組員の生命停止。叫び声も恐怖の表情もなにもない、もっとも静かな死の場面。それと、やはり最後のボウマン船長が、そしておそらく人類が進化の階梯を昇ることを示唆するスターチャイルド誕生の場面。R・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」冒頭が再現する場面である。当初、映画にはアレックス・ノースの音楽が使われるはずで、曲もできていたんだけど、キューブリックはこれをシュトラウス(両方)やリゲティらの音楽に差し替えた。おかげでワタシらはこれを音楽映画としてすら楽しめる。あ、「失われた宇宙の旅2001」とか、おもしろかったっすよ。原作者クラークと監督キューブリックの共同作業の様子が書かれていて。
●映画のなかで、HALは赤い非常灯みたいに描かれてて、この光の具合がなんとなく感情表現をしているように見える。ボウマンとプールの会話を読唇するときは興奮したような赤い光、乗組員の生命維持装置を停止させる場面では冷酷な赤い光、ボウマンに機能をシャットダウンさせられる場面では恐怖に慄く赤い光、といったように。ワタシは自分じゃ気づかなかったけど、「HAL=サイクロプス(一つ目の巨人)」という読み解き方をしている方がいて、あっそうだったかと思った。赤い単眼といえばサイクロプス(キュクロプス)。ギリシャ神話で……えっと、なにした人、じゃないや神様だったっけ。
●音楽の世界にもサイクロプスはいる。ラモーのチェンバロ曲集のCDにはたいてい入っている、3分ほどの小曲「キュクロプス(一つ目の巨人)」。チェンバロ一台で弾かれるんだから、ずいぶん小さな巨人ではあるが、これはこれで激しく荒々しい音楽なんである。ワタシが聴いてるディスクはクリストフ・ルセのとケネス・ギルバートのだけど、トレヴァー・ピノックのは写真のように一つ目がジャケットに描かれている。
ゲームは一日一時間(©高橋名人)
●「熱狂の日」音楽祭、ラ・フォル・ジュルネの本家ナントでの公演の模様がレポートされている→日本版公式ブログ。5月の日本での音楽祭への期待を高めつつ読むが吉。
●Jリーグがシーズンオフだと、やっぱり寂しい。で、なんかそのせいか、テレビCMで三浦カズが「日本だって世界だろ!」って叫んでるのを聞くと「おお、そりゃそうだぜ、さすがカズ~」と頷き、つい欲しくなってしまうのである、「サカつく5」。本来ならサッカー育てゲーは Football Manager (旧Championship Manager)シリーズが究極の存在だと思うんだけど、あれはゲームの中にもう一つの人生を抱え込んじゃうくらい強烈な中毒性があって危険なのだ。でも「サカつく」ならもう少しほのぼのとやれるんじゃないかなと。そんな気がしてた、さっきまで。
●でもなんかレビューを読んでると、みなことごとくセルジオ越後状態の辛口モードで、これで逡巡しないわけないんである。ビミョーに萎える物欲。ただその代わりに気になるものを見つけた。いったいこれは何だろう、そしていつスタートするのだろうか→プロサッカークラブをつくろう!ONLINE。
新刊平台伝説
●拙著「クラシックBOOK この一冊で読んで聴いて10倍楽しめる!」(三笠書房・王様文庫)、お求めいただいた方々には深く感謝。
●写真を送ってもらった某書店の光景。書店の平台に並べられるなんて、一生に一度の体験だろうから載せておこ。マジ焦る永遠の弱気派の自分。
●ちなみに、写真の右隣でもっとすごい山になってるのは、文庫化された三崎亜記の「となり町戦争」っすね。これは単行本で読んだけど、いい小説だったなあ。今度映画になるみたい。主人公は、あるとき町役場の広報紙によって、自分の町と隣町が戦争状態に入ったことを知る。役場要請によって与えられた任務は「敵地偵察」。ところが戦争といっても、町の風景は昨日までとなにも変わらない。どう見ても平穏な日常が続いているのに、広報紙には淡々と戦死者の数が報告されていく。戦争というものが不可視の存在として描かれているのがおもしろい。常に世界中で戦争は起きてるけど、ワタシらはそれを町役場の広報紙のように、ニュース上での数字や文字としてしか感知していない。ならばワタシら自身が参戦しても、最前線以外では相変わらず紙の上のものとしてしか戦争を実感できないんじゃないかという、恐ろしく希薄な当事者意識も想像可能だろう。徹底した役所の論理とルールで進められる戦争っていう描写はかなり笑える。しかもちゃんとロマンスもある。何年か前の小説すばる新人賞受賞作。オススメ。
●うお、いかん、自著の宣伝をしようと思ってたのに、違う本の紹介をしてしまった!お、落ち着け。
遠巻きにマン喫とブリテン
●昨日、午前中から昼間、打ち合わせが続いて、夜にコンサートというパターンがあって、その間、何時間かぽっかりと空いてしまった。こういうときだなー、なんかモバイル機が欲しくなるのは。もっとも小型のPCがあっても、無線LANが来ていてなおかつ電源が使える場所ってのはそんなにないので(ルノワールしか知らない。図書館も意外とダメ)、現実的には手ぶらでマンガ喫茶に飛び込んだほうがよっぽど仕事環境が整っているのかもしれん。とかいいつつ、入るとマンガ読んでぐうたらする予感、デンジャラス。
●夜はクァルテット・エクセルシオへ(第一生命ホール)。エルガーの弦楽四重奏曲、ブリテン:弦楽四重奏曲第1番、ディーリアスの弦楽四重奏曲(去りゆくツバメ)というイギリス音楽プロ。エルガーはともかく、あとはたぶん初めて聴く曲。このブリテンはすばらしいっすね。なにかCD探しておかねば。ブリテンはあまりなじみがないから、去年のプチ・アニバーサリーを機会にもう少しお近づきになれないかなと思ってたんだけど、これまで空振り気味だったのだ。あ、新国立劇場研修公演「アルバート・ヘリング」って3月なのか。どうしよ、行くか、これは。