●「ブリテンの音楽は本当は得意じゃないんだけど、これを逃すとこの作品を見る機会もないだろうから」くらいの気分で出かけたのだが許せ。作品、演出、演奏、あらゆる面で期待をはるかに超えた公演で、ラスト・シーンにはウルウルと来るものあり。ブリテン「アルバート・ヘリング」@新国立劇場オペラ研修所研修公演。9日(金)、タイトルロールが中川正崇のほうのキャスト(8日、10日だと助っ人?のイアン・ペイトン)。
●「アルバート・ヘリング」がどういう話か、一言でいえば上流階級版教養小説みたいなものであって、ドラクエや桃太郎や指輪物語と同じように、主人公の少年が町を出て旅することで大人になるという話。舞台はイギリスの田舎の小村ロックフォード。ここでは毎年5月に村を代表する娘を「5月の女王」として選出する。その選出基準は? 美しさでもなければ賢さでもない。それは貞節と純潔。ビロウズ令夫人に言わせれば村の娘たちは誰一人として女王の資格がない。「あの娘は男友達と森に出かけたから、邪淫の虜になっている」といったモラルを振りかざす夫人にとって、もはやロックフォードは淫欲と飲酒と賭事で堕落した人々の村なのだ。
●もうまともな娘はいないから、今年は男を選んで「5月の王」にしようという話になる。街のフツーの若者たちは、男も女もフツーに若者らしく人生を謳歌しているんだけど、一人、純潔な存在がいる。それが八百屋の息子アルバート・ヘリング。アルバート・ヘリングは働き者で好ましい。少々トロいんだけど、女友達も一人もいないし、酒も賭け事もやらない。彼は厳格な母親にきちんと管理されており、恋人も賭けも酒もダンスも全部禁じられているのだ。このあたりからして相当これは可笑しい話なんである。ビロウズ夫人のように極端な道徳水準を要求すると、自然とそれを満たせるのは、無垢というよりは、ヒキコモリ的未熟さにとどまる社会性のない若者ということになってしまう。アルバート・ヘリングは「5月の王」として、その純潔を称えられ、賞金25ポンドを手にする。これはそこそこの金額なのだ。
(以下、筋を割ります。古典だからいいと思うんだけど、万一ネタバレがヤだという人はここでおしまい)
●もしこれがハリウッド映画だったら、異常なまでに厳格な母親に育てられた若者は、大きくなったら猟奇的連続殺人犯になったりするわけなんだけど(笑)、ブリテンのオペラではそうはならない。そしてすばらしく冴えた物語になる。
●アルバート・ヘリングは「5月の王」の式典で、悪いお友達からレモネードにお酒を入れるっていう悪戯をされちゃう。アルバートは酔っ払って考える。「ボクの人生、このままでいいのかなあ。財布に25ポンドがある。村を出て自分の人生を歩もうか、それとも母親のもとでこれまで通り暮らそうか」。夜、アルバートはコインを投げて決める。
●翌日、村からアルバートが消えたことで大騒ぎになる。行方不明だ、死んだのか。帽子が落ちている。皆が追悼の挽歌を捧げる(笑。若い男が一晩帰ってこないってだけで!)。そこにアルバートがひょっこりと帰ってくる。なにをしていたかと問い詰められて答える。お金がたくさんあったから、あんなことやこんなことに使いましたよ、楽しかった、でも自分の村はやっぱりいいよね。母親もビロウズ夫人も怒り心頭。アルバートは村を出て、大人になって帰ってきたのだ……。
●と紹介すると、アルバートはオトナの遊びを覚えて帰ってきたから成長したのか、と勘違いされるかもしれない。そうではない。音楽的にも物語的にもクライマックスはそのアルバートの帰還に続く、小さな最後の場面にある。母親やビロウズ夫人たちが去った後、アルバートを子供たちや若者が囲む。アルバートは店の商品である桃の入った木箱を担いできて、こう言う。「さあ、みんなで桃を食べようぜ。これはオレのおごりだ」(!)。これって鋭くない? 桃の原資は「5月の王」の賞金の残りだろう。つまり、この物語はこう言っている。「大人になること、それは贈与の応酬である」と。ドラクエなら大ボスを打倒してクライマックスとなるところが、「アルバート・ヘリング」はビロウズ夫人からもらった賞金をみんなに桃として分配するという場面がクライマックス(笑)。ちゃんと伏線も張ってあった。村を出て、街でいろんな体験をして、経験値をためてレベルアップした結果、アルバート・ヘリングは半ヒキから共同体の一員になったともいえる。
●この作品はグラインドボーン音楽祭のために書き下ろされた。丘陵地帯にある裕福な地主ジョン・クリスティが、自分の奥さんのためにカントリー・ハウスの庭に小劇場を建てたことではじまった音楽祭である。ブリテンのこの風刺が効いたオペラに対して観客は熱狂したが、ジョン・クリスティは眉をひそめたという。いいっすな。
●演出はデイヴィッド・エドワーズ。細部まで凝っていて、アイディア豊富、手際鮮やか、予算よりも知恵上等という印象。あと歌手陣が研修公演だからリアル若者が多いんだけど、それが物語と合致していてとてもよかった。というか気がついたんだけど、若者ってすべてにおいて動きがシャープだ(笑)。自分もそうなったからわかるけど、ほんのちょっとした動作でも40歳以上の人間は動きが「もっさり」している。もっさり小走り、もっさり座り、もっさり立ち上がる。だからオペラの舞台は標準的に「もっさり」してて、それにすっかり慣れきってた。でもこの舞台だと歌手も役者もみんな体にキレがある(マジで驚くよ)。それって舞台(ともしかしたら音楽も)の印象を決定的に変えてしまうくらいの大事なんだなと。
●あと、シーズンオフにやってくるロナウジーニョがいるバルセロナの花試合よりも、J2の小クラブの昇格争いのほうが全然おもしろいっていう、サッカー経験則を思い出した。
●本日にもう一公演残ってます。
March 11, 2007
ブリテン「アルバート・ヘリング」@新国立劇場
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