●地下鉄でイスに座ってぼうっと女性誌の中吊りを眺めていたら、目の前に立つ男も中吊りのほうを向きながら、なにかブツブツと呟いているのに気がついた。60歳前後、服装はラフ、しかし体つきはがっしりとしている。そう小声でもない独り言である。「……青酸カリウム……日本刀……」。二つ単語が聞き取れた。昼間から酔っているようだ。
●こっそりと視線を反対側に移動し、なるべく男に気がついていない振りをする。ワタシだけじゃない。車両内の人、全員がそこに男がいないかのようにふるまっている。読書する人、眠る人、ケータイをいじる人。明らかに全員気にしてるけど、全員見事に男を透明化している。都市の作法。
●2分ほど危険な言葉を呟き続け、そして男は歩き出した、前の車両へと。電車が停止し、ワタシはそこで降りた。ホームから前の車両の様子をうかがうと、男はそちらでも中吊りのほうを向いて、なにかを呟いていた。男はきっと最後尾から順に、一両一両ていねいに彼の独演会を開いているのだ。どの車両でも乗客は徹底した無関心を装っただろう。これはなにかの試験なのか。男は探査ポッドかなにかなのか。
July 24, 2007