●アルフレッド・ベスターの「ゴーレム100」(渡辺佐智江訳/国書刊行会~未来の文学)を読む。ベスターは純然たるSF作家なので、ジャンル外ではたぶん名前を知ってる人は少ないと思う。寡作家であり伝説、クラシック好き向けに形容すればカルロス・クライバーみたいな存在。
●で、ベスターといえばまっさきに挙げられるのが名作「虎よ、虎よ!」(ハヤカワ文庫SF/なんと品切中)。これはストーリー的にはデュマの「モンテ・クリスト伯」に着想を得た復讐譚で、この分野では古典として知られている。タイトルのTiger! Tiger!はウィリアム・ブレイクの詩(虎よ!虎よ!あかあかと燃える……)から。ブリテン作曲の「ウィリアム・ブレイクの歌と箴言」にも出てくる詩っすね。ベスターの「虎よ、虎よ!」が書かれたのは1956年。もう半世紀も経っているのに、今読んでも新鮮でそのアイディアの豊富さや物語のおもしろさに感心する……と言いたいところなんだが、なにしろこれを読んだのは四半世紀くらい昔の話なので、薄情にもよく覚えていない。ただ、ベスターは寡作家で、その後、今はなきサンリオ文庫から「コンピュータ・コネクション」が出た。そして「とんでもない傑作」といわれる「ゴーレム100」(ゴーレム百乗)という作品が書かれたようなのだが翻訳されそうにない、という状況が1980年代からずっーと続いて、「ゴーレム100」は「名のみ高い未訳の作品」の頂点みたいな場所に君臨し続けていた。
●それがついに翻訳されたんである、1980年の作品が2007年になって。国書刊行会の「未来の文学」シリーズで。再度クラヲタ的言い方をすれば、カルロス・クライバー最高の名演と呼ばれた伝説のライヴが正規盤として日の目を見たっていうのと、同じくらいのインパクトがある(あるいはない)。で、読みはじめて驚いたのだが、「ゴーレム100」はとても1980年の作品とは思えない。どう見ても、1950年代。恐ろしく古い小説を読んでいる気分になってしまった。1980年だったら一応こういう未来がうっすら見えてただろうなっていう期待をねじれの位置で素通りして、変わらず1950年から未来を予見している。そして「虎よ、虎よ!」というのはとてつもなくカッコいい小説だとぼんやり記憶していたのに、おそらく同じセンスで描かれているであろうはずの「ゴーレム100」はどうしてこんなにカッコ悪いのか。激しく謎。
●舞台は22世紀の巨大都市。不可解で残虐な連続殺人事件が発生する。主人公の科学者とヒロインの精神工学者、そして敏腕警察官の捜査によって、事件は魔術的儀式により召喚されたゴーレムが起こしていることがわかる。3人はゴーレムを追いかけ、ドラッグによって集合的無意識下にあるサブリミナル世界へと向かう。ん、こうして書いてるとおもしろそうじゃないか。実際、読みはじめて半分くらいまでは一読みするほどには楽しんだのだ。オルフの「カトゥーリ・カルミナ」とか出てくるんすよ。あとこの時代の著名作曲家としてスクリャービン・フィンケルっていう人がいて、どんな曲を書いているかというと22世紀だからわけわかんないことになってる。こんな感じ。
男女平等産院では、二十人の裸の小人が胎児の<命の権利>バレエを踊っていた。陰茎を思わせる五月柱の先端にへその緒でつながれ、野蛮なコサック人が指揮する無音のオーケストラをバックに、全員で胎児合唱をニャーニャーやっていた。
スゴくない? あれ、やっぱりスゴいのか。2007年に見る、1980年に描かれた絢爛たる1950年代の懐かしい未来。