●上野でバレンボイム/ベルリン国立歌劇場のシェーンベルク「モーゼとアロン」。今回3公演あるんすよ、「モーゼとアロン」だけで。ほとんど席は埋まっている。こんな来日オペラの公演が成立するってスゴいっすよね。どれだけ東京の聴衆がシェーンベルクを大好きかがわかる……。のか。
●人間ワザとは思えない合唱をはじめ、オーケストラもすばらしくて音楽的な充足度は大変高かった。もうライヴでこれ以上の水準の「モーゼとアロン」を聴く機会はないだろう。が、やっぱり舞台になると演出にどうしても目が行くわけで、しかもこれがかなり特異なんである。ペーター・ムスバッハ演出。もともと旧約聖書の「モーゼとアロン」があって、その上の層に微妙に異なるシェーンベルクの「モーゼとアロン」があって、さらにその上に全然違うムスバッハの「モーゼとアロン」があるっていう三層構造はなかなか手ごわい。ワタシはうまく咀嚼できなかった。以下ネタバレあり。
●登場人物は全員が黒スーツに黒サングラス、オールバックという「エージェント・スミス」スタイル。「マトリックス」の記憶は急速に古びているけど、この演出は2004年のプレミエだから、まだエージェント・スミスのインパクトはあったと思う。でも民衆だけじゃなくて、モーゼもアロンも若い娘も病人も裸の男も(裸じゃないじゃんそれ)全員エージェント・スミス。モーゼには言葉がない。だからアロンを代弁者にして民衆に語らせる。これをシェーンベルクはモーゼにはシュプレッヒシュティンメで発声させ、アロンには朗々と歌をうたわせるという形で表現している。モーゼのシュプレッヒシュティンメは民衆には通じないけど、アロンの歌なら通じるわけだ。でもアロンは求める民衆に抗しきれずに、モーゼの不在の間に戒律を破って偶像(金の子牛)を作ってしまう。これにより民衆は熱狂し、(モーゼから見れば)愚かしい放縦と狂乱へと駆られ、モーゼの逆鱗に触れる。と、いう筋に対して、この演出は「そうはいってもモーゼもアロンも民衆も全員エージェントスミスにすぎないよ」と頭から見せている。そうか、じゃあエージェントスミスってなんだっけ。彼らには実体がなく、個人としてのスミスはいない。そしてエージェントにすぎない。誰の? さあ、モーゼは神のエージェントかもしれんが、民衆はなあ……。
●と思っていたら、第2幕でスミスたちが「スターウォーズ」に出てくるライトセーバー状のものを持ち出してきた。これ、事前に写真で見てたから、きっと第2幕の騒ぎで民衆はこれでジェダイばりの殺し合いをするのだろうと思うじゃないっすか。ま、一瞬局所的にセイバーとして使われるものの、でも違ってた。全員、このライトセーバーを盲人の杖のように使う。床をトントン叩いて右往左往しながら歩く。ええっと驚く。きわどい。
●で、金の子牛は出てこなくて、代わりに頭部がもぎ取られた金の人型の像が出てきちゃう。これとフセイン政権崩壊の光景は、2007年のワタシには結びつかない。あと民衆がみんな小型のモニター状の光源を持ってきて、モーゼ一人がそのモニター状物体に囲まれて語るシーンがあったけど、あれってテレビ? テレビって言いたいなら、画面になんか映さないと伝わらない気がする。
●ていうか、全般にとても抽象化されているんである。第1幕のアロンが奇跡を起こす場面、杖が蛇になったり、病人が癒えたりとか、身振り手振りだけだし、第2幕の民衆の狂乱も、スミスたちが転がってうねったりするのみで、具体的な表現はほとんどない。
●カーテンコールで、みんなエージェントスミスで順々に出てくるってのは、「モンティパイソン」のネタとしてありうると思った(笑)。さすがにモーゼ(ジークフリート・フォーゲル)とアロン(トーマス・モーザー)は識別されたけど。最後にバレンボイムがスミスになっているというオチを一瞬期待してスマソ。
●ニッポンvsエジプト戦の翌日に「出エジプト」。いや、意味レス。
October 19, 2007
シェーンベルク「モーゼとアロン」@ベルリン国立歌劇場来日公演
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