●以前から不思議だったんだけど、「好きな歌曲」みたいなアンケートを採ると、必ずといってもいいほど第1位がシューベルト「冬の旅」になるんすよ。もちろん名曲なんだけど、なにしろ描かれているのが孤独と絶望、死じゃないですか。作曲者が生前、友人たちに聴かせたところ、曲のあまりの暗鬱さにみんなドン引きしたっていう話があるけど、それも当然だと思う。恋に破れて疎外感とか孤独を味わっているうちはまだ「この世」側にいるけど、幻に襲われたり、墓場をうろついて安らかに眠る死者と出会ったりするのは「あの世」側なわけで、心躍る作品とはいいがたい。でもなんか琴線に触れるところがあるってことなのか、日本人には。
●いや日本人だけじゃないか。孤独を突きつめると詩が生まれる。ってことなのかもしれん。
●もっとも孤独な物語といえば? フリオ・リャマサーレスの「黄色い雨」だろうか。一人また一人と人々が村を去り、廃村となりつつあるアイニェーリェ村にたった一人だけ留まった男の物語だ(背景としてスペイン市民戦争があるのだが、具体的には何も言及されない)。主人公以外には死人と犬一匹しか出てこない。いや、主人公すら生きていないかもしれない。孤独と沈黙、忘却、幻想と狂気のなかで静かに死を待つ男の姿を描く。すると詩になる。「冬の旅」が「冬」であることに疑問を持つ人はいないが、「黄色い雨」を読むと、冬を終えてやってくる春こそが孤独と喪失にふさわしいと気づく。
雪は三、四日で完全に溶けた。その後、雪解け水が村に近い傾斜地の最後に残った側溝を破壊し、通りを泥水で覆い尽くした。それと同時に、家々がその切断された手足や骨をむき出しにしはじめた。あたり一面が雪に覆われている時は、昔のアイニェーリェ村と変わりないように思えたが、陽射しが以前の亀裂や荒廃ぶりだけでなく、この冬が無残にも破壊した家々を白日の下にさらけ出した。(中略) 私は以前住んでいた人たちのことを思い返しながら、そうした建物のあいだを歩きまわり、キイチゴの茂みに覆われた玄関から家の中に入り、荒れ果てた台所や部屋の中を見てまわったが、その姿はおそらく兵隊が全員脱走したか、死体に変わってしまった塹壕にひとり戻ってきた狂った将軍を思わせたにちがいない。
凄絶な春の到来である。もっとも雪が融けて、埋もれていたものが出てくるからこその春であって、積雪しない土地ではこの光景はピンと来ないかもしれない。春になって泥水から出てくるのは何かといえば、それは幽霊なのだ。