●フリオ・コルタサルの短篇「クローン」はこう始まる。『愛しのグレンダ』所収(野谷文昭訳/岩波書店)。
何もかもがジェズアルドを中心に回転しているみたい。あの人にあんなことをする権利があったのかしら、それともあれは妻に対する逆恨みだったのかしら。リハーサルの合間に一息つこうとホテルのバーへ降りる途中、パオラがルーチョとロベルトを相手に議論を繰り広げ、他の連中はカードゲームに興じたり、自分の部屋へと上がっていく。当然のことをしたまでだ、とロベルトが主張する、あの当時だろうと今だろうと同じこと、妻に裏切られたので彼は妻を殺した、まさにタンゴだよ、パオリータ。
●登場するのは8人の合唱団員たち。「ジェズアルドを中心に回転しているみたい」というだけあって、この不貞の妻を殺した作曲家にちなんで、合唱団員には不協和音が生まれ、男が女を殺す。それだけの物語だ。話がはじまってすぐに、たどりつくべきゴールは見えている。
●しかしこの音楽小説にはもう一つ仕掛けがある。コルタサル自身が本編の直後に種明かしをしてくれるのだが、この短篇はバッハの「音楽の捧げもの」を鋳型として厳密に構成されているというのだ。8人の合唱団員はそれぞれフルート、ヴァイオリン、オーボエ、チェンバロ……といった8つの楽器にそれぞれ一対一で対応している。三声のリチェルカーレ、無限カノン、同度カノン、反行カノンと、「音楽の捧げもの」に沿って登場人物があらわれ、物語が進行する。したがって、冒頭に引用した一節、これが有名な「フリードリヒ大王のテーマ」ということになるわけだが、どうだろうか。
●しかし短篇そのものが21ページに対して、作者による作品解説は7ページほどある。説明してもらわなければ作者以外には絶対に誰一人としてわからないという「音楽の捧げもの」仕様。そりゃわかるわけない。だって「音楽の捧げもの」には一意の楽器指定がないから、5人でも6人でも演奏できるし、8人っていうのはたまたま作者コルタサルがお気に入りのレコードがそんな編成だったというだけのことなんだから。楽屋落ちもいいところだが、でも晩年のこの作品を書いた時点ではすでにコルタサルは大家だったから、なんでもありだ。選んだ作曲家がジェズアルドとバッハというあたり、技巧の人だったんだろうなと思う。