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June 13, 2008

ヴェルディ 「椿姫」

新国●と、この調子でサカネタが延々と続くのか、EURO開催期間中は。いや、そういえば先週、見たのだった、「椿姫」@新国立劇場。上岡敏之指揮東フィル、ルカ・ロンコーニ演出、ヴィオレッタにエレーナ・モシュク、アルフレードにロベルト・サッカ。ジェルモンにラード・アタネッリ。満喫。特に雄弁なオケ。
椿姫●「椿姫」ってどうして「椿」なのか、ずっとワタシはわかんなかった。主人公の名前がヴィオレッタでスミレっぽいのになんでツバキなのかなー、とか。その後、デュマ・フィスの原作では主人公の名はヴィオレッタじゃなくてマルグリット・ゴーティエであり、彼女はいつも椿を携えていたことなどを知ってスッキリ。
●このオペラって第1幕はひたすら華やかで楽しいじゃないっすか、耳なじみのいい曲が続いて。舞台も(予算を意識させる舞台美術を幻視の力で補正するとして)ありえないほど豪奢にして極めて趣味の良い高級娼婦のお屋敷だし。で、第2幕からが「椿姫」がなぜ「トラヴィアータ」=「道を踏み外した女」となるのかという本編本筋本領に入るわけなんだけど、久々に見て思い出した、ワタシはあろうことに「椿姫」の第1幕だけが好きなのだった。もうずっと「乾杯の歌」で浮かれていたい。「花から花へ」と享楽的に過ごしたい。高ダメ度の世界のヴィオレッタは、アルフレードに「この花がしおれるころに再会しましょう」といって造花を渡し、遊蕩に耽ったまま、道を踏み外さない。
●第2幕以降、事件の主犯はジェルモンであり、これは実はジェルモンの物語だと気づく。ヴィオレッタとアルフレードの関係を勝手に引き裂いておきながら(しかもそれ相応のやむにやまれぬ事情があるところがヤになる)、死の床のヴィオレッタのもとに駆けつけて赦しを与えるという、このジェルモンの居心地の悪さ感。ワタシはどうしてもジェルモンに共感してこのオペラに接してしまうのであり、終幕まで仮想的な針のムシロに座り続ける。アルフレードよ、スマソ、ワタシが悪かった。ヴィオレッタよ、スマソ、ワタシが悪かった。
●しかもこの前の「ラ・ボエーム」に続いて、またも「病死オチ」だ。いや、でもこれは作者の実話に基づいてるんだからオチとか言っちゃいかんか。世界の中心で愛を叫びながら号泣すべき場面だ。でもジェルモンと化した自分にカタルシスは訪れない。
●ヒロインのモデルとなった実在のドゥミモンデーヌ、マリー・デュプレシーの言葉。「嘘をつくと、歯がきれいになるの」。今度ワタシも使ってみようかなあ。「ウソをつくと歯がきれいになるんすよ」(ウソ)。あ、今、虫歯治療で歯科医に通ってるんだけど。先生、ウソついたら虫歯治ったりしませんかね。