January 19, 2009

ラザレフと日本フィルと「青春」と

●週末は日本フィル定期へ(サントリーホール)。新たに首席指揮者に就任したアレクサンドル・ラザレフの就任披露演奏会。3年間にわたってプロコフィエフの交響曲全曲シリーズを敢行するということで、まずはその第1回としてで交響曲第1番「古典」と第7番「青春」。間にモーツァルトのヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲(漆原朝子vn、今井信子va)。擬古典的な交響曲と最後に書かれた比較的平明簡潔な交響曲を、本物の古典で橋渡しするというプログラム構成。交響曲第7番のほうは終楽章のエンディングを2バージョン演奏してくれるというサービスぶりで、最初に静かに終わるプロコフィエフ本来の意図通りの版、続いて冒頭主題が帰ってくる楽天的な「書かされた」エンディングの版(これがアンコールみたいな感じ)。
●「ラザレフのリハーサルはオシムの練習みたい」っていうウワサを耳にして、一度見学させてもらったら、なんと楽団員がみんな5色のビブスを着ていた、っていうのはウソだが、時間ぴったりにスタートして終わるまでは休憩時間も指揮台を離れずにずっと立ちっぱなしでトイレもいかない(いつでも団員とコミュニケーションが取れるように)とか、大変に熱のこもったもので、しかも効率的かつていねい。オーケストラのほうも期待にこたえられるように力を尽くしているのがよく伝わってくるものだった。本番でも交響曲第7番終楽章の第2バージョンを演奏する前にメモを見ながら日本語で曲の案内をしてくれるサービスぶり。特にこの第7番は見事な演奏で、お客さんも大満足だったんでは。満喫。
プロコフィエフ●昔から気になってたんだけど、プロコフィエフの交響曲第7番って「青春」っていう標題が付けられるじゃないっすか。こうして第1番と並べて演奏するとますます強く感じられる、「青春」とは交響曲第1番「古典」のほうにこそふさわしいタイトルだと。あれこそ「青春」、生まれながらの音楽家が若くて瑞々しい感性で書いた曲って気がする。一方、第7番のほうは、第2番から第6番に比べれば尖ってはいないというだけで、内容的には「老いた人の音楽」っていう印象が強い。冒頭からして大人の哀愁が漂ってるし、終楽章のロンド主題なんかのグロテスクな浮かれ方って、これほど若者から縁遠いものものもない。この交響曲第7番の初演に出席したのが、プロコフィエフにとって生涯最後のコンサートとなって、その後スターリンと同年同日に息を引き取ったという史実から遡って眺めるからかもしれないんだけど、第7番は痛ましくて悲劇的な音楽だと思う、たとえ終結部が楽天的なほうのバージョンだったとしても。

トラックバック(0)

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.classicajapan.com/mtmt/m--toraba.cgi/1082

このブログ記事について

ひとつ前の記事は「新国立劇場2009/2010シーズンラインアップ発表」です。

次の記事は「ここほれニャンニャン!」です。

最新のコンテンツはインデックスページへ。過去に書かれた記事はアーカイブのページへ。

ショップ