●「敵意」を生きがいにしている人っているじゃないですか。いつも見えない敵と戦ってる人。
●J.G.バラードの「楽園への疾走」(創元SF文庫)のドクター・バーバラもそんな人だ。40代の元医師で、ホノルルでたった一人の環境保護運動を始める。タヒチ沖のサン・エスプリ島から消えつつあるアホウドリを救え、そしてフランスは島での核実験を中止せよと叫び続ける。16歳の主人公ニールは彼女にひきつけられ、確固たる意思もないままに環境保護運動に加わる。全世界にあらんかぎりの憎悪をぶつけるようなドクター・バーバラの姿は、やがて賛同者を集め、メディアの注目を浴びながら、ニールたちとサン・エスプリ島にたどり着く……。
●読みはじめて、怪しげな「環境保護運動」を揶揄するような話なのかと一瞬思ったが、バラードがそんな平凡な話を書くわけがない。彼の旧作において度々登場するモチーフとして、外界から孤絶した閉ざされた社会の中で人々はその本性をあらわにして狂気に蝕まれていくというものがあるが、この物語もそのひとつ(その社会が高級リゾート地なら「コカイン・ナイト」だし、高層マンションなら「ハイ・ライズ」だ)。当初、希少種の保護を掲げていた南国の楽園の環境運動家たちは、次第にその姿を変容させ、意外なものをある意味で保護しようとしていたのだということがわかる。戦慄させられる。島で孤立した集団生活を営むという点では、大人版ゴールディング「蝿の王」と言えなくもない。
●倒錯したグロテスクな強迫観念をすくすくと育てる舞台として、南国の楽園ほどふさわしい場所はないだろう。16歳の少年と40代の元女医という設定も実にうまい。ドクター・バーバラへの被支配的関係を求める少年の欲望や愛、憎悪というのも、案外常識的な人ほど共感できるんじゃないだろうか。バラードは「クラッシュ」の序文の中で、現代の人々があらゆる虚構(大量消費、広告、テレビなど)に支配されていると指摘した上で、「われわれは巨大な小説の中に住んでいる。作家は小説の中で虚構を作り出す必要はなくなりつつある。虚構はすでにあるのだから、作家の仕事は現実を作り出すことだ」と言っている。その回答ともいうべき「現実」が、この歪んだ楽園にある。
April 17, 2009
「楽園への疾走」(J.G.バラード著)
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