●最近、続けて演奏会で怖い場面に遭遇したんすよ。どちらもかなり年配の方なんだけど、大声で他のお客さんに怒鳴っている。ある人は、ロビーの本来なら腰掛けるべき場所に荷物を置いた若者に対して、「そこは荷物を置く場所ではない!」と激昂していた。ある人は、他のお客の座席の足元にカバンか何かが置いてあったのに足を取られたのか、「荷物はクロークに預けろ!」と怒鳴りつけていた。怖い。相手に小さな非があるとここぞとばかりに怒りを爆発させ、大声を発しながら襲いかかる。ワタシは気づいた、あ、これはレイジ・ウィルスだ。ワタシも感染すると憤怒のみに衝き動かされるにちがいない。
●ホントはゾンビ映画を見たいわけじゃないんすよ。そうじゃなくて、このゾンビ化せずには済みそうもない社会の中で、どうやって生き抜けばいいのか、それを考えるためのゾンビ映画。ぜんぜんダメかもしれないけど、もしかしたら予習が有効かもしれない。隣人がゾンビになったらどうするのか。街がゾンビであふれたらどうするのか。「砂漠に行けば助かるかもしれない。ただしガソリンスタンドの場所は事前に要チェック」とか先に知っておくと、少しは安心かもしれないし。いや、クルマ持ってないけど。あと、「窓のそばに立ってると死亡フラグが立つ」とか、知っておいたほうが知らないよりはマシなんじゃないか。
●基本的に登場人物が全滅しがちなゾンビ映画の中で、唯一、明るい結末が待っているのはどれだろうと考えると、やはりこれしかない。「ショーン・オブ・ザ・デッド」(エドガー・ライト監督)。「ホット・ファズ~俺たちスーパーポリスメン!」の人と同じ監督&役者なんだけど、こんなに可笑しいゾンビ映画はない。だって、これ、大人になりきれないダメ男がゾンビとの戦いを通して、真の大人の男になるという物語なんすよ。
●で、はっと気づいた。ゾンビと戦うためには何が必要か。「お前ら、全員ぶったぎる」とか言ってチェーンソーとか振り回すと、即座に死亡フラグが立って、そのチェーンソーが自分に向かってくることはこれまでのゾンビ映画の傾向から明らか。言うじゃないですか、「怪物と対決するものは自ら怪物になる」って。それが字義通りの意味で適用されてしまう。これは方法論としてまちがっているのだ。それに対して、「ショーン・オブ・ザ・デッド」が教えてくれるのは「大人になれ」ということ。これは生易しい戦いではない。だが怪物にならないために、演奏会に出かける前に鑑賞しておくべきゾンビ映画というと、今のところこれしか思いつかない。
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不定期連載「ゾンビと私」
April 22, 2009
ゾンビと私 その4 「ショーン・オブ・ザ・デッド」
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