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June 15, 2009

マルティン・シュタットフェルトの平均律

●初めて足を運んだ、所沢市民文化センターミューズアークホール。ウチからだと都心のホールより全然近いではないか。所沢航空記念公園に寄って満喫する濃やかな緑、なぜか一角にコスプレな人々がワラワラと集結してて、あれなんのキャラ、忍者?と謎に思いつつ、今日のリサイタルはコスプレ・デイであったか、どうしてワタシはバッハのカツラをかぶってこなかったのかと後悔したところで、ホールに着く。
●バッハを弾くピアニストでなにがイヤかって言えば「グールドの再来」という惹句。どんよりと萎える。で、シュタットフェルトは戦略的に「再来」しすぎてて、最初のアルバムがゴルトベルク変奏曲だったじゃないっすか、あれを一瞬耳にして、あまりにもグールドに似ている(けど別物もちろん)とショックを受けて以来、なぜか悲しい気分になり、このピアニストは隣の並行宇宙にしか存在しないことにしようと決めてしまっていたのだ、少し前までは。
●でもすごく上手い、CD聴くと、猛烈に。こんな人ほかにそうそういないわけで、誘惑に抗えずに聴きに行ってしまった、バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻全曲リサイタル。そしてこれを悶絶しそうなほどに楽しんでしまう無節操な自分。上手い、きれい、ビックリ箱満載の凝った表現、そうかこれどうしてグールドに似てるって思ったんだろ? 残響の豊かさでCDでのシャープで尖がった印象は相当後退する。
●平均律って「前奏曲とフーガ」ワンセット一曲完結の曲集のはずで、通して弾く必要も聴く必要もないと思うんだけど、でも通すとなんか筋の通ったドラマがあるように聞こえるのは気のせいなのか。はじめはハ長調とかハ短調の前奏曲みたいに無機的というか幾何学的な美しいパターンなんだけど、終盤になると変ロ短調の前奏曲は葬送行進曲だし、ロ短調のフーガを聴く頃には受難曲の終曲を聴いてるような気分になる。
●最近、このパターンでびっくりすることが多いんだけど、終演後にサイン会があって、長蛇の列ができるんすよ。でもこれって会場でCD買った人向けなんすよね。シュタットフェルトのファンはみんなすでに買って持ってるんじゃないか、いや持っててももう一枚買うのか、それにしても一公演でこんなに売れるのか。会場売り比率ってどれくらいなんだろ。

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