●先週末、また山に向かった。もちろん、これは来るべき人類ゾンビ化時代に備えて「逃れの地」を探しているわけであるが、まさに行楽日和と呼ぶしかない秋晴れの日に山を歩くというのは大変に気分が良いのである。今回目指したルートは「顔振峠~越上山ルート」。西武池袋線吾野駅より出発。歩行距離12km、標高差約400mというのは非体力派のわれわれにとっては丸一日かけてちょうど体力を9割方使い切るフルコースである。写真は駅からの眺め。駅前でこれくらいの人口密度であれば、都市部が完全にゾンビ化しても、まだある程度の人類は生き残っているものと考えられる。
●パンフレットやガイドでは3時間50分コースと書いてあるが、これは歩行時間の正味であり、昼食や休憩を込みにして6時間コースとみなす。朝に出て、夕方までに帰還する必要がある。なぜなら、人も住んでなければ電気も水道も通ってない山中で日が暮れてしまうと、どんな低山であれ完全なる闇夜が訪れるのであり、パニックになることは避けられない。山で夜になったらゾンビがいなくても怖い。ましてやゾンビがいれば「ゾンビとりがゾンビになる」事態は確実であり、不測の事態も考慮して夕方3時には下山する計画が基本だ。
●顔振峠へ向かう山道からの光景はこんな感じだ。人口密度は極端に低い。以前にも書いたように、レイジウィルス(あるいはTウィルス)で汚染された場合、人は人に噛まれることによってゾンビになる。ゾンビは空気感染しないのだ。したがって、新宿や渋谷であれば1時間とかからず全員ゾンビ化するような状況であっても、このような峠であれば「噛みつこうにも噛みつく相手がいない」というゾンビ一人ぼっち状態がありうる。また、仮にゾンビがいても集団化する可能性は低い。相手が孤立した1体であれば、われわれはスティーヴン・セガールでなくとも戦い抜くことができる(こともある……気がする)。
●が、顔振峠を越え越上山山頂を目指したところで意外な展開が。舗装道路も通っていないような山中に忽然とあらわれたのが諏訪神社である。事前に地図を見た段階では、無人の朽ちかけたような小さな神社を予期していたのであるが、これが大変に立派なものであり、しかも偶然にも祭りの日であったために人でにぎわっていたのである。えっ、この周辺に住んでる人、こんなにいたの? ていうか、ワタシの対ゾンビ田舎安全理論の根幹を脅かすような事態になってないか、これ。
●そして山中の神社であるにもかかわらず、お神楽パフォーマンスが繰り広げられていたのである。気さくな地元市民が話しかけてきてくれて、これがいかなる祭りであるか説明してくれたのだが、ワタシの目は舞台に釘付け。あれは鬼とひょっとこ……いや、もしやゾンビとヒトと解釈すべきなのかっ!
●そして笛と太鼓に先導されて、勇壮な獅子舞が登場。容貌は精悍、その動きは俊敏。なかなか戦闘力が高そうである。顎関節の発達が頼もしい。噛みつかれる前に噛みつけ。そんなメッセージをわれわれに伝えようとしてくれているようだ。ゾンビは「神なき世界」の住人だが、西洋の神とワタシたちの神は違う。古来より越上山は信仰の山と崇められている。ヤツらの即物的散文的な感染力に対し、山中の霊的存在がなんらかの対抗力を発揮することは十分にありうることと期待できる。
●下山はふたたび写真のような山道を歩くことになる。標高差や歩行距離は高尾山あたりと変わらないのだが、奥武蔵方面は断然ヒトが少ない。いざゾンビの侵入を許した場合、高尾山では麓のゾンビ・ハイカーが目の前のハイカーをガブッ、さらにそのハイカーが前のハイカーをガブッっ、さらに前をガブッ、ガブッ、ガブッ……と咬噛の連鎖がそのまま頂上までつながることは避けられない。その点、東吾野から西吾野にかけての低山は、行楽日和の週末であっても道程の大半は、前後にヒトがいない状態で静かに歩行することが可能である(逆に言えば地図や水、食糧の携行は必須。高尾山のように頂上に自販機とか水洗トイレがあったりはしない)。
●憤怒と不寛容がもたらす人類ゾンビ化の危機をわれわれはいかに乗り越えるべきか。準備を怠ってはいけない。今後も引き続き低人口密度地域の取材に努めたい。
参考文献:
駅から山あるき 関東版 大人の遠足BOOK
The Zombie Survival Guide: Complete Protection from the Living Dead
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不定期連載「ゾンビと私」