November 5, 2009

ゾンビと私 その12 ゾンビの基本~復習と予習

●「あの……、iioさん、どうして今ゾンビなんですか」と先日尋ねられ、あれこれと説明をするうちにワタシはハタと気づいた。ワタシはこんなにもゾンビの話を続けているにもかかわらず、「そもそもゾンビとはなにか」(略して「ゾンビそもそも論」)という基本事項についてなにも説明していなかった。「えっ、今さらそんなの知ってるよ」といわれるかもしれないが、一応、復習も兼ねて記しておこう。
買い物大好き!●もともとゾンビとは資本主義が生んだ大量消費社会への批判精神から生まれたものだ。ジョージ・A・ロメロ監督の元祖「ゾンビ」では、ゾンビたちが巨大ショッピングモールに集まってくる。彼らは人間だった頃の記憶に基づいてモールに吸い寄せられるんである。肉体は朽ちているのに、欲望は生きている。「欲しい、もっとくれ、欲しい、死んでも欲しい、死んだけど欲しがります」。それが元来のゾンビ像だった。だから、よく「生きてるんだか死んでるんだかわからない生気を欠いたオジさん」を指して「あの人、ゾンビみたい」というが、それは適切ではない。むしろそういう人はゾンビから遠い。「先週新製品を買ったのに、今週もっと機能がパワーアップした新機種が出た。これも欲しい、買いたい」。そういうのがゾンビだった。もともとは。
●ちなみにゾンビの起源は吸血鬼にある(とワタシは解している)。ゾンビ映画はリチャード・マシスンの小説「地球最後の男」(現在は映画化にともない「アイ・アム・レジェンド」と改題されている)にインスパイアされており、そこに登場する怪物は吸血鬼化した人類だった(だから映画「アイ・アム・レジェンド」で怪物がゾンビとして脚色されているのはそれなりに筋が通っている)。
●で、ここまでが「ゾンビそもそも論」だ。ところが近年になって様子が変わった。「28週後……」で、人類がゾンビ化する原因となったのは「レイジ(憤怒)ウィルス」だった。レイジ・ウィルスの感染者はあっという間に凶暴化して、人間を襲ったり食ったりする。この現代型ゾンビは過去のゾンビと違い全力疾走するのも特徴だ。また、「バイオハザード」で猛威を振るったのは「T-ウイルス」だった。Tはtyrant(暴君)のTだ。つまり、かつての初期型ゾンビでは、資本主義大量消費社会を生み出した私たちの欲望が世界を滅ぼしていたのに対し、近年のゾンビ映画では憤怒、不寛容、怨嗟といった人間の負の感情が世界を破滅へと導くように変化してきたわけだ。これほど納得のゆく話はない。われわれは他者との共生能力を失いつつある。多くのクラシック音楽ファンが目にしているように、コンサートホールで、オペラ劇場で、人々は感情を暴発させている。美しい音楽を聴きに来たはずなのに、なぜ老人の取っ組み合いが起きるのか。なぜ些細なマナー違反を見つけて若者を恫喝するオジさんがいるのか。ゾンビの兆候はいたるところに見て取れる。
●ゾンビは怖い。でも「ヤツらが怖い」というのは問題の半分でしかない。残りの半分は自分がゾンビになるかもしれないという恐怖だ。ヤツらも怖いが自分も怖い。怪物を追うものは自らも怪物となる。「うぉ!ゾンビ、許せん、キモい、死ね死ね死ね!」と怒りに任せてチェーンソーを振り回してしまうようでは、「ゾンビ取りがゾンビになる」あるいは「ゾンビに油揚げ」である。
●ちなみに先日ソニー・ピクチャーズさんからいただいたメールによると、来年「ようこそゾンビランドへ」(仮) (ZOMBIELAND)なる映画が公開されるそうである。めでたく北米初登場1位を獲得したということであり、オリジナルの予告編を見たところコメディのようであるので怖い映画が苦手なワタシにも安心して鑑賞できる点がありがたい。必見であろう、生き残るために、生きるために、生き延びるために。

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不定期連載「ゾンビと私」

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