●ウェブサイトも刷新されてMETライブビューイング新シーズン開幕。まずは「トスカ」。カリタ・マッティラ(トスカ)、マルセロ・アルバレス(カヴァラドッシ)、ジョージ・ギャグニッザ(スカルピア)他。指揮はレヴァインが体調不良で降板してジョセフ・コラネリ。リュック・ボンディ新演出。
●「トスカ」ってオペラそのもの、ギミックに頼らないオペラ的なものだけでできてるオペラで、登場人物も少ないし物語の筋も一直線で、オペラ100%のオペラだと思うんすよ。だから好きだっていう人と、だから苦手だって人がいる、たぶん。で、じゃあこれがオペラ代表選手だとして、知人に見せたらこう言われたとする。「えー、なにこれ、体格のいい中年男女が取っ組み合いしててなんか不潔っぽい」。ここでワタシはどうにかして弁明しなきゃいけないわけである。「いやいや、違うんすよ。あのカリタ・マッティラっていう人は美しい歌姫の役なんですよ」。知人は反論する。「あれはジャイ子だよ、しずかちゃんキャラには見えないよ」
●でもそんなこと言われたらオペラは成り立たない。だからなんとかして、「ジャイ子ではなくてしずかちゃん」だと納得してもらって、なんの弱点もない完全無欠の音楽を楽しんでもらおうと今までは考えていた。でもこのリュック・ボンディの新演出を見て、考えが変わった。
●このトスカって、どうしようもない女なんすよ。かわいげのある嫉妬深さじゃなくて、少しヤヴァい感じで嫉妬深い。1幕の教会(質素だ)にカヴァラドッシの描いた絵が飾ってあるじゃないですか。あの絵に描かれた女に嫉妬して、女の青い目を自分の色である黒に塗りつぶせとカヴァラドッシに要求する。ホントに筆を持って描きかえようとするんだから、男の仕事に「口を出す」どころか「手を出す」わけだ。これだけでもどうかと思うのに、スカルピアに嫉妬心を煽られたら怒り狂ってこの絵をバリバリと破いちゃうんすよ。歌姫なのに他人の芸術には一切の敬意を持たない。ヤな女でしょ。
●で、ハタと気づいた、これ、トスカがしずかちゃんだと思い込もうとしてたんだけど、違うんだ、このトスカはジャイ子なんすよ。ジャイ子を無理矢理しずかちゃんにしようとするから齟齬が生じるんであって、ジャイ子としてのトスカ像を作り上げればいい。これは客席にも伝わっていて、カリタ・マッティラの振る舞いに対して「クスクス」笑い声が起きる場面がいくつもある。だってコミカルだから。
●そう思うといろんなことに納得がいく。スカルピアが3人もの妖艶な娼婦を侍らせているにもかかわらずトスカを欲するのは、しずかちゃんたちに倦んだ末のジャイ子への洗練された欲望なのだと理解できる。しずかちゃんの悲劇が前世紀的で刺激に欠けるものになりつつあっても、ジャイ子の悲劇であれば21世紀的な私たちの実像を半歩先から照らし出すことができる。
●第3幕、処刑場にあらわれるトスカって、本来の人物像としては少女であるがゆえに、無邪気にカヴァラドッシのニセの処刑を信じて「銃が鳴ったら、上手に倒れる演技をしてね、劇場のトスカみたいにね」とかわいらしく語るんだと思うけど、カリタ・マッティラは一味違う。「あんた、銃で撃たれたらさっさと倒れなさいよ、あたしみたいに演技してよ、アッハッハッハッ」と少し厚かましいオバさんみたいな雰囲気をよく出している。だからここでも客席から笑いが漏れる。なるほど。しずかちゃんじゃなくてジャイ子だから。美しい音楽に、美しいだけの人物はもうそぐわない。そうリュック・ボンディは言っている(言ってないけど)。
November 13, 2009
ジャイ子としてのトスカ ~ 「トスカ」@METライブビューイング
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