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January 22, 2010

鉄骨を渡るカラフ~「トゥーランドット」@METライブビューイング

turandot.jpgMETライブビューイングでプッチーニの「トゥーランドット」。新宿ピカデリー。
●ゼッフィレッリの超豪華プロダクションで、指揮は若いアンドリス・ネルソンス(指揮台に立つ前はピットでトランペットを吹いていたという珍しい経歴)。トゥーランドットはマリア・グレギーナ、カラフはマルチェロ・ジョルダーニ、リューはマリーナ・ポプラフスカヤ(誰よりも拍手をもらってた)。
●最近ワタシはオペラを見るにあたって、「オペラお約束対応変換フィルター」的なものを装着しないことにしているのであり、「ネタにマジレス」モードで鑑賞するのが基本姿勢。かつては、どんな水平方向にビッグサイズな中年歌手がトゥーランドットを歌ったとしても、「この人は見たこともないくらいの美しい若いお姫様なんです」と己を欺いていたが、もうそんな姑息な作戦はとらない。
●で、トゥーランドットは何者か。彼女は美しくもないし若くもない。それどころかかなり年を取っている姫様である。父親から結婚しろと繰り返し言われているのに、「私は神聖な身です」とか「復讐が云々」とか言って取り合わない。取り合わないどころか婿となるべき若者を次々と殺してきた。いつまでも少女のままでいたい。なにしろ親は中国皇帝なんだから、結婚の重みが凡人とはぜんぜん違う。大人になる責任を回避しているうちに、30歳になり、40歳になり……とナゾナゾ連続殺人を繰り返しながら少女のままでいるサイコ姫だ(←年齢は台本上の設定じゃなく、歌手を見ての話だ)。「大人になるくらいなら死ぬ」じゃなくて、「大人になるくらいなら殺す」というところが権力者の娘。
●そんな姫に王子たちが群がるのはなぜか。姫に求婚して殺されるのは、中華から見て辺境各国の王子たちだ。王子でなければ相手にもされないという以前に、王子でもなければここまで旅するのも容易ではないのだろう。そしてカラフが逃亡王子であったように、みな国に王子として収まっていられないせっぱ詰まった事情をそれぞれ抱えているにちがいないんである。権力の座を追われたとか、国が貧しいとか。対してトゥーランドット姫は物質的には極限まで豊か。王子たちにとって「この世でもっと美しい姫」は「この世でもっと美しい(富に恵まれた)姫」なんじゃないか。カラフや首を斬られた王子たちは、もともと選択の余地もないまま、命がけの(しかもかなり絶望的な)チャレンジに向かったとも見える。
カイジ●となれば思い出すのは「カイジ」だ。カラフに出題されたトゥーランドットの斬首クイズは、エスポワール号に乗り込んだカイジの「限定ジャンケン」、あるいは「鉄骨渡り」。そしてトゥーランドット姫は利根川幸雄だ。追いつめられた果ての求愛行動。カラフは無事3問ぜんぶ正解したのに、なんと、さらに相手にクイズ返しをしてチャンスを与えてしまう(ざわ、ざわ、ざわ……)。こういった一見不合理だが、実はより多くを得るためには合理かもしれないという戦略もカイジ的な気がする。
●このオペラでいちばんまともなのはピン、ポン、パンの三人。首切りクイズにチャレンジしようとするカラフに対し、そんなバカなこと止めろ、あの女だって裸になればただの女だ、なにもちがわん、そんなことをするくらいなら嫁を100人娶れ、みたいなことをいって諭す。宮仕えで不条理な職務を長年遂行してきた人たちならではの大人のアドバイスって感じがする。

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