●昨日は「神々の黄昏」。休憩込みで6時間を越える長丁場。感覚としては昼頃に出かけて、夜中に帰ってくるという丸一日鑑賞。これで2年かけて「ニーベルングの指環」4部作完結。これだけの大作だと、トラブルなく最後まで見れた(ら抜き)こと自体が嬉しい。一日もチケットをムダにせずに済んだし、遅刻もしなかったし、爆睡もしなかったし(ウトウトくらいはしたけど。笑)、劇場内で鑑賞の致命的な妨げになるようなゾンビの攻撃もなかった(ゾンビそのものは見かけました)。安堵。そして深い感動。打ちのめされた気分で世界の崩壊を見て聴いた。
●キース・ウォーナーの演出はホントに楽しい。
●「ジークフリート」は明快なボーイ・ミーツ・ガールだった。しかし「神々の黄昏」はわけのわからん話である。そして長い。序幕だけで2時間超えるってどういう序幕だ(笑)。幕が上がって、ジークフリート(クリスティアン・フランツ)とブリュンヒルデ(イレーネ・テオリン)が愛を歌う。平和なのはここまで。ブリュンヒルデは胸に「S」のマークを付けたTシャツを着ている。SはスーパーマンのSで、ジークフリートのSだ。ジークフリートのTシャツにはブリュンヒルデのBが。なんというバカップルぶり。
●ジークフリートが忘却のクスリを飲まされてからの乱暴狼藉がスゴい。グートルーネに一目惚れして、軽率にもグンターと義兄弟の契りを交わす。岩山のブリュンヒルデをグンターの嫁にするために、隠れ頭巾でグンター(アレクサンダー・マルコ=ブルメスター)に化けて、ブリュンヒルデを陵辱する。本当は夫婦なのに。この時点で呪いの指環を持っているのはブリュンヒルデだ。生まれは神聖だったのに、いまや指環に執着してこの有様。元同僚の説得も効かない。ジークフリートはもっとひどい。彼のは天然だから。他人に嫁を与える方法論としてもおかしいし、ブリュンヒルデに告発されてからの態度はさらに悲惨だ。「あー、メンドくさいな女のヒステリーは。でもあんなものは放っておきゃすぐ収まるんだ、それどころか今にグンターにくれてやったことを感謝するぜ、あの女」みたいなことを歌う。
●これがジークフリートなんだろう。忘れクスリを飲んではいるが、頭がおかしくなったわけでもなんでもない。そういう本性。無双の戦士だが、彼には大人になるチャンスが与えられなかった。自分を賢いと思っているあたりは育ての親ミーメそっくり。ジークフリートとブリュンヒルデ、まさにどっちもどっちで、似合いのカップルだ。あるのは力と欲だけ。そういえば二人とも巨体である。ブリュンヒルデの愛馬グラーネは、「ワルキューレ」で最初に登場したときはブリュンヒルデが小さく見えるほど巨大だった。それが「神々の黄昏」では旅行カバンに収まるくらいコンパクトサイズになっている。ブリュンヒルデが大きくなったのだ。ジークフリートも太っている。神性を失い、力と欲だけで生きる男女が描かれている。
●ハーゲン(ダニエル・スメギ)はアルベリヒよりもミーメよりも陰険なヤツである。またストレッチャーが出てくる。「ワルキューレ」では、ワルキューレたちがストレッチャーを愛馬として駆け巡ったが、今度は本来の用途で、病人となったアルベリヒを乗せて出てくる。ハーゲンは枕で父アルベリヒの顔面を押さえて、無感情に軽く窒息死させる。アルベリヒのためのモルヒネを自分の腕に注射して、陰気に薬物に浸っている。淡々と他人の破滅だけを目指し、むしろ指環への欲望は他の登場人物より薄めなくらいだ。
●2幕の終わりじゃブリュンヒルデとハーゲンとグンターと3人で「ジークフリートを殺せ!」で意見が一致する。ええっ、正気の沙汰じゃないよ、ブリュンヒルデ……。それが3幕でジークフリートが殺されちゃうと、「どうしてこんなことになったのか、おわかりですか」とか手のひらを返したように説教くさくなる。はあ? あんただって加担してるだろが、この自己犠牲娘がっ!(意味不明)
●3人のラインの乙女たちも、いつの間にか醜くなっている。指環は乙女たちのもとに返るが、だからと言って世界はもとの秩序を取り戻すわけではないのだろう。4作のモチーフとなっていたジグソーパズルの最後の一片が収まり、映写機とその映像を見ていた非神話的な現代人の観客の姿があらわれ、幕を閉じる。
●あれ、こうして書いてみると、いったい何にワタシは感動したんだ(笑)。神の世界がグダグダに崩壊するから? ワーグナーは別格の存在で、これから一生毎日ワーグナーを聴いて過ごしたいと思うくらいの(過ごさないけど)破壊力があったのに。
●「グートルーネ」は英語なら「グッド・ルーン」なんすよね。ワーグナー業界では「ルーネ文字」だが、一般に日本のファンタジー業界では「ルーン文字」だろう。グートルーネ役はセクシーな雰囲気の歌手が似合うんじゃないかな。グートルーネは美しく、グンターも金持ちのイケメンで、でも二人とも内心では自分が見かけ倒しの人間であることを知っている。その点に関してはミーメやジークフリートよりは賢い。
●この演出、少しだけ映像を使う。CGだ。初演から何年経ったかな、そのときの映像をそのまま使っているんだろうか。演出は斬新なままだが、唯一映像だけが古びていた。新しいものは古びやすい。
●エッティンガー指揮東フィルは大健闘。たまたまワタシが行った日のめぐり合わせにもよると思うんだけど、昨年の「ラインの黄金」「ワルキューレ」は客席が大いに熱狂していた。それが先月の「ジークフリート」では少し寂しい雰囲気になってしまった。昨日の「神々の黄昏」はさすがに完結編ということもあって、お客も相応にわいていた。
●みんな、どうしてあんなに指環に執着するか、共感できますか? ワタシはよくわからない。呪われてるって知ってるのに。でもなぜわからないかと言えば、それは本物の権力を手にしたことがないからだろう。こんど、リアル権力を有した人に尋ねてみたい、指環の魔力について。
March 25, 2010
「神々の黄昏」@新国立劇場
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