●オーチャードホールで佐渡裕指揮「キャンディード」。バーンスタイン没後20周年&兵庫県立芸術文化センター開館5周年記念事業。兵庫で7公演もやって、それから東京で3公演。スゴい。2006年シャトレ座、スカラ座、イングリッシュ・ナショナル・オペラ共同制作のロバート・カーセン演出。カーセン本人も来場していた。アイディア豊富な舞台で一度見ただけでは整理しきれないくらいなんだけど、これくらい手をかけた舞台を見れる(ら抜き)ってのもなかなかないわけで、最良のエンタテインメントを堪能したという気分。
●まずなにが強烈かって、舞台全体がテレビのブラウン管で覆われているんすよ。つまり、これから見る舞台はテレビの中の出来事(狂言回し役の「ヴォルテール」だけがこのブラウン管の外側に立つ)。で、そこで佐渡裕が登場して「キャンディード」序曲を始める、と。それって「題名のない音楽会」じゃん!(笑)。カーセンは日本のテレビ番組なんて知らないで作った演出なんだろうけど、結果的に、大勢の人々がわざわざチケットを買って劇場にやってきてそこで「テレビ」を見るというJ.G.バラード的な世界が実現していたわけだ。佐渡裕がこっちを向いて「みなさんと一緒に新しいページを、めくりましょう!」って言うんじゃないかとハラハラしたぜー。序曲の間、スクリーンに映し出されるオープニング・タイトルのアニメーションはアニメというかイラストが動くタイプで、そこにうっすらモンティ・パイソン時代のテリー・ギリアム風味を感じ取れなくもない。中身はエグいブラック・ユーモア満載なんだし!
●舞台は1956年のアメリカ黄金時代に置き換えられている。テレビも時代の夢をあらわすシンボルの一つだ。主人公キャンディードたちは度を越した楽天主義(オプティミズム)という病を患っている。「この世のすべては常にベストの状態で調和している」とパングロス博士から教わり、無邪気にそれを信じた結果、戦争、天変地異、死刑、殺人と次々に災厄に巻き込まれる。この作品では死んだ登場人物が「実は死んでませんでした」と平然と生き返ってくるのだが、テレビの中ではよくあることだから無問題。紆余曲折を経てキャンディードが映画スターとなったクネゴンデに再会する場面では、クネゴンデはキャンディードと抱擁しつつも視線を舞台上のカメラに向けて喜びを表現する。テレビだから。メディアの前で期待される振る舞いをしてしまう、ワタシたちと同様に。
●歌手陣はみんな芸達者なんだけど、オールド・レディ役のビヴァリー・クラインって人はスゴいね。カジノのレヴューでクネゴンデ(マーニー・ブレッケンリッジ)と一緒に踊る場面なんて抱腹絶倒モノ。キャンディードはジェミー・フィンチ。ヴォルテールとバングロス、マーティンは一人三役でアレックス・ジェニングズが歌う。ヴォルテール役から着替えてバングロス役になるのもホント可笑しい。あ、PAは使ってます。
●白三角頭巾のKKKが出てきたり、クネゴンデがマリリン・モンローだったり、海パン一丁のブッシュ、シラク、ブレア、プーチン、ベルルスコーニとかが出てきたり、死んだり生き返ったり、油田を見つけて金持ちになったり、詐欺師にだまされて一文無しになったりと、ポストモダン的な展開の末にたどり着く結末は名曲 Make Our Garden Grow 「僕らの畑を耕そう」。つまり「この世のすべては常にベストの状態で調和している」なんてボンクラなことを言ってるようじゃダメ。世の中、お上に任せておけばそれでいいなんていうわけがない、まずは自分で畑を耕さなきゃ。共同体の基礎はまず自分が手と体を動かすことから築かれる。ワタシの解釈ではこれは「ゾンビになるな」ということを言っている。
●客席の反応はとてもよかった。ワタシも満喫した。すばらしい。今の気分をカーセンのテレビ演出にふさわしい一言で表現するなら、これしかない。「感動をありがとう!!」
August 7, 2010
佐渡裕のバーンスタイン「キャンディード」
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<佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2010> 2010年8月1日(日)13:00/兵庫県立芸術文化センター 指揮/佐渡裕 兵庫芸術文化センター管弦楽団... 続きを読む