●今日、ホントだったらラドゥ・ルプーのリサイタルの日だったんだけど、最初の京都公演一回だけで体調不良で帰国しちゃったんすよね。残念すぎる。
●今年はキャンセルによく遭う気がする。サロネン指揮ウィーン・フィルも幻に終わってしまった。代役のウェルザー=メストがアンコールで「スターウォーズ」振ったら最高に神展開だと思うわけだが、さすがにそれはないか……いや、ドイツ・グラモフォンの力を持ってすれば。会場売りのCDをジャンジャカ売るためにもぜひ!
●「ローソン、HMVを買収」のニュース。HMVは前にカルチュア・コンビニエンス・クラブが買収するという話があったが、これが頓挫して結局ローソンの傘下に。ローソンはコンビニというより「ぴあ」や「イープラス」と同業の「ローソンチケット」として認識しているんだが、どうなるのか。
●22年W杯開催地も12月決定=当初の予定通り。12月2日の理事会ってもうすぐじゃないすか。日本も立候補してるのに、ぜんぜん盛り上がってる気配なし……に見える。まさかのサプライズ当選を熱望。
2010年10月アーカイブ
キャンセル連鎖系
YouTube シンフォニー オーケストラ 2011
●おお、今年も「YouTubeシンフォニーオーケストラ」が結成されるのか! 動画投稿によるオーディションでメンバーを全世界から選考するという「YouTubeシンフォニーオーケストラ」(以下YTSO)、第1回となった昨年は4月にニューヨークのカーネギーホールで公演が開催された。で、今回の開催場所はシドニーである。あの(建築物としては)超有名なシドニー オペラ・ハウスで2011年3月に本番が行なわれる。指揮は今回もマイケル・ティルソン・トーマス(写真)。スゴいっすよね。
●もちろん、シドニーに行けるのはオーディション通過者のみ。10月12日(火)~11月28日(木)までが募集期間(もう始まってます)。プロアマ問わず。選考は著名オーケストラの団員が行なうという。最終的には96名ほどのオケが結成され、シドニーへの旅費・滞在費はYouTubeが負担してくれる。
●前回、日本人の参加者は3名。オーボエの長田浩一さん、マリンバの高藤摩紀さん、ピアノ&トイピアノの須藤英子さん。長田さんはメーカーに勤務するソフトウェア技術者。あとのお二方は音楽家。須藤さんは現代音楽を中心にピアニストおよびトイ・ピアニストとして活躍中。須藤さんのコメントを紹介しておこう。
「昨年のYTSOには、タン・ドゥンの曲を初演したくて参加しましたが、地球規模で集められたコンサートは初めてで、夢のような体験でした。これまで数々のオーディションを受けてきましたが、YTSOは自宅で撮影したのでリラックスしてオーディションに臨むことができました。YTSOに参加したことで、友人も広がり、目指す音楽が大きく変わりました。日本の皆さんも、ぜひ参加して地球の音楽を奏でて欲しいと思っています」
THE SYDNEY OPERA HOUSE photo © JACK ATLEY
黙示録2010年
●「メキシコ市をゾンビが大行進」(AFFBB News)。あの……これ人がゾンビ姿で行進してるって書いてあるけど、一人でも本物が紛れ込んでたらどうするんすか。全員アウトっすよ。
●地球外知的生命体らしき存在からの信号を確認 / ラグバー博士「未知の文明からの可能性が高い」。先日話題になった地球型惑星グリーゼ581Gから規則的なパルス信号が発せられているという。水と緑に包まれた自然豊かな惑星(かもしれない)に文明が栄えていたのか! 地球からは20光年ほど離れているので、このパルス信号が発せられたのは実際には20年前であるわけだが、急いでこちらからも信号を送らねば。うーん、なんて送ればいいんだろう。Hello world かな。
●信号を解読したら「これは彼らの言語のS.O.S.なんじゃないか?」ってことになって、実際に世代宇宙船を造って行ってみたら、そこは緑の丘にゾンビがウジャウジャしてる惑星だった……とか?
●予言タコ、パウル死す。各国サポーターに逆恨みされて食われることもなく、天寿を全うしたようである。メンデルスゾーンのオラトリオ「聖パウロ」を聴いて追悼。
ニコラウス・アーノンクール記者会見
●ホテルオークラでニコラウス・アーノンクール&ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの記者会見。今回が最後の来日公演であり、最後の海外ツアーと明言するアーノンクール。単独取材には応じていないということもあってか、記者会見には大勢が来場。写真左よりアーノンクール、通訳の井上さん、エルヴィン・オルトナー(アーノルト・シェーンベルク合唱団芸術監督)。写真には写ってないけど、ほかにアリス・アーノンクール、ミラン・トゥルコヴィッチが同席。
●今回の来日プログラムはバッハのミサ曲ロ短調、ハイドンの「天地創造」、モーツァルトの「ハフナー」交響曲+「ポストホルン・セレナード」。前二者は器楽と合唱のために書かれた西洋音楽におけるもっとも偉大な作品を演奏したいということで選択。ロ短調ミサのような作品は、アーノンクールとウィーン・コンツェントゥス・ムジクスにとってもめったに演奏する作品ではなく、新鮮な気持ちで臨みたい、と。「ポストホルン・セレナード」については、モーツァルトが友人との別れに際して書いた曲なので、日本へさよならを告げるための曲として選んだという。
●アーノンクールは終始穏やかな様子で、時折表情豊かに大きな身振りで話す。古楽について。「50年前は自分たちのようなアンサンブルは存在せず、これはわれわれが始めたムーヴメントである。当時は古い音楽はつまらなく演奏されていた。しかしミケランジェロやベルニーニとともに演奏されていた音楽がどうしてつまらないのでしょう。ベルニーニの彫刻のもとでコレッリの音楽がつまらなく演奏されていたはずがない。私たちは古楽を正しく演奏しようという探究心から出発したのではありません。古楽への情熱、その豊かなテンペラメントを表現したいという思いから生まれたのです」
●「スペシャリズムというのは危険です。私たちは古楽を演奏するときはスペシャリストかもしれませんが、ブラームスを演奏するときはそうではない。ある特定の時代だけに焦点を当てることは音楽全体に対する客観性を欠くことになります。古楽器の演奏家とモダン楽器の演奏家の接点も増えてきた。あと一世代が経てば、同じオーケストラが古楽器も演奏したり、あるいは現代音楽を演奏したりというように、形が変わってゆくでしょう」(以上大意)
●配布された公演プログラムに載っているインタビュー記事もおもしろい。音楽家個人としての充実振りがうかがえると同時に、世界に対する悲観主義的な見方が色濃く出ている。「今日のわれわれに音楽はなにを与えてくれるか?」という問いに、「個人に対しては人を成長させる力を持つが、人類全体に対しては無力だろう」といったように。
アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス公演(チケットぴあ)
「カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記」(下)
●読了、「カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記」下巻(アレクサンダー・ヴェルナー著/音楽之友社)。最後のページを閉じて、しみじみ。なんという生涯なんだろう、これは。これほど才能に恵まれ、これほど自分で自分に課したプレッシャーに耐えられなかった音楽家がほかにいるだろうか。そして、その後半生は(ページは厚いけど)あまりにも短い。上巻でクライバーはトップクラスの指揮者に仲間入りを果たそうとする。そして下巻ではミラノで、ロンドンで、ミュンヘンで、指揮者としての頂点に立つ……が、そこから半引退状態に至るまでがなんだかやたらと早く感じた。いや、実際早かったんだが。
●上巻と下巻、どっちもおもしろかったが、ワタシはより下巻のほうが楽しめた。知らないことがたくさん書いてあるのは上巻。でも下巻のほうが「あ、あれはそういうことだったのか……」とか生々しく感じられることが多くて、つい慌ててページをめくってしまう。少し前にデアゴスティーニから廉価再発売されたウィーンでの伝説的な「カルメン」、あれがテレビ収録されたのがどんなに幸運なことだったのか。「トリスタンとイゾルデ」のすばらしい録音が実現したのも奇跡だ。前奏曲を録音しただけでクライバーは「録音から降りたい」といって楽屋に閉じこもったというのだから(練習を欠席していたペーター・ダムが録音に現れたとき、クライバーがイジワルに追い払う場面もすごい)。
●でも実現しなかったほうも強烈だ。EMIによるベルクの「ヴォツェック」スタジオ録音。大変な手間と費用をかけて、父エーリヒが使用したパート譜を用意し、歌手と契約を済ませ、録音予定も確保していたのに、いざ録音しようというところでクライバーは説明なしに去った。ワタシがEMIの担当者だったら発狂する。ていうか、今だったら「ヴォツェック」のCDを録音するために、そんな膨大なリソースを投入してリスクを取るということがもはやありえないわけで、こういったエピソードはもう神話時代の物語に思えてくる。
●それからクライバー指揮ベルリン・フィル(!)のドヴォルザーク「新世界より」の演奏会およびその録音(EMI)と映像収録。これもクライバーのあらゆる要求を受け入れて実現直前までたどり着いたが、プローベの段階で楽譜の準備が不十分だったという理由で、クライバーは突然降板した。
●クライバー指揮ウィーン・フィルのR・シュトラウス「英雄の生涯」。あったねえ、そんな幻の録音が。ソニークラシカルからリリースされると発表までされていたのにお蔵入りになった。クライバーがOKといったのに、ヴァイオリン・ソロを弾いたキュッヒルがノーと言った。で、手直ししたものをキュッヒルがOKしたら、今度はクライバーがノーと言った……。ああ、ため息しか出ない。
●ほかにも当時リアルタイムで耳にしていたいろいろな話の詳細が載っている。お忍びで日本に旅行したときのこととか、日本から帰る飛行機の機内でばったりチェリビダッケと鉢合わせしたときの話とか、カナリア諸島での演奏会だとか……。懐かしいエピソード。
●著者アレクサンダー・ヴェルナーの取材力ははんぱじゃない。驚嘆。しかも抑えた筆致で書く。それでいて物語性豊かな評伝になっている。うますぎる。
意外な結果?
●ショパン・コンクール2010の結果が発表された。1位はロシアの Yuliann Avdeeva (ユリアナ・アヴディエヴァ?あるいはアヴデーエワ?)。意外な結果という声がちらほら聞こえてくるが、ワタシはぜんぜん追いかけていなかったので後日アーカイヴの映像を見てみようか……いやでも一人分だけ見てもな。とかいってると見ない。ひとが何か言ってるのを見ると見たくなる、かも。
●しかしこうして全部見れちゃうのってスゴいっすよね。もし第二のポゴレリッチみたいなケースがあったときの「晒され具合」みたいなのを想像すると。まあ、そんな事態は今後ありえないのかもしれないが。
●昨日までまた金沢へ。オリヴァー・ナッセン指揮オーケストラ・アンサンブル金沢定期公演。マデルナの「フィッツウィリアム・ヴァージナルブックによる陽気な音楽」、武満徹「群島S.」、ナッセン「人形の宮廷のための音楽」、レスピーギ「ボッティチェッリの三枚の絵」という超意欲的なプログラム。終演後にナッセンが「この中では武満作品がいちばんよく演奏されるんじゃないか」と話していたくらい珍しい演目ばかりだったけど、お客さんはちゃんと入っていた。どうやら圧倒的多数の方が定期会員の模様。
●今月2度も金沢まで行ったのは開演前のプレトークを務めさせていただいたから。
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●本日深夜1:00~4:00の間の120分程度、サーバーメンテナンス工事のため当サイトにアクセスできなくなります。120分は長いぞ……。
「Home and Away―イングランドから日本、フットボールの旅路」(ジェレミー・ウォーカー著)
●くー、なんということか、この本、去年に出ていたのに知らなかった! 「Home and Away―イングランドから日本、フットボールの旅路」(ジェレミー・ウォーカー著/アートヴィレッジ)。ジェレミーさんの書く文章は最高っすよ。ジャーナリストとしての視点をしっかりと持っていながらも、同時にフットボール愛にあふれてて、気質はまさにわれわれ「ファン」と同じ。文章を読んでいるだけでハッピーな気分になれる。
●全体は「イングランド編」と「日本編」からなっていて、前者ではイングランドのフツーのサッカー少年がどんなふうにしてサポになり、さらに自分が応援していたクラブを取材する記者になったか、後者ではイングランド人から日本がどう見えるか、という話が主に綴られている。両者の世界はぜんぜん違うが、どちらもすばらしいものであることはまちがいない。イングランドのかつてのフーリガン現象について、自分の体験を書いてある部分は味わい深い。子供の頃、親に連れられてサッカー観戦で出かけていたんだけど、ある日、父親のクルマが敵サポにボコボコにされてしまって、それ以来父親がきっぱりとサッカーと縁を切ったっていう話は泣ける(でもすこし笑った、ゴメン)。
●地元クラブの取材記事を書いたら、その監督が激怒して暴行騒ぎになった話も可笑しい。いや、暴行騒ぎといっても深刻な話じゃなくて、理不尽な怒りをぶつけられたということなんだけど、結局クラブの成績は不振でその監督が解任された。で、それからしばらくしてジェレミーさんのところに元監督から電話がかかってきたっていうんすよ。一体なにごとだと思って電話に出ると、元監督はやたら愛想がいい。そして、「いま生命保険の紹介をしてるんだけど一件どうかな?」みたいな営業トークになった、と(笑)。ビッグクラブの監督ばかりがサッカーの監督じゃないんすよね。
●有名になる前のガスコインとの交友についても書かれている。後のガスコインの行末を思うと切ない。
オーストリア放送協会 ORF がアーカイブを設置!
●ネットラジオ・ファンに超朗報! ORF(オーストリア放送協会)がついにアーカイブを置いてくれるようになった。現時点で確認したところでは一週間分、遡って聴くことができるようだ。ORF Ö1 の Programm 一覧からアクセスして、番組名右脇にある再生ボタンアイコンをクリックすればOK。なお、右上の Themen の欄で Musik をクリックすれば音楽番組だけに表示を絞ることができる。
●さて、さっそく日曜日にあったウィーン・フィルの演奏会を聴かせてもらおう。例のサロネンがキャンセルした演奏会だ(17.10.2010のMatinee live)。ウィーンでの代役はコロンビアの若手アンドレス・オロスコ=エストラーダ。1977年生まれ、ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の首席指揮者である、と。一曲目から序曲「静かな海と楽しい航海」で思い切りロマンティックなメンデルスゾーンを聴かせてくれる。ドヴォルザークの第7番は熱演。次々と元気な若者指揮者が飛び出してくるのだなあ。この名前、覚えておかねば、オロスコ=エストラーダ。
●クラシックのネットラジオと音楽配信リンクにも反映させておいた。
ショパン・コンクール2010、いよいよファイナルへ
●現在ワルシャワで開催中のショパン・コンクール2010、現地18日から20日にかけてのファイナルには10名が残っている。今回は1stステージからライヴでのヴィデオ中継&現地FMによるインターネットラジオ中継があったので、関心があればずっと追いかけてウォッチすることも可能だった。ワタシはほんの一瞬しか見てないんだけど、ライヴ映像はリアルタイムだと回線が重くてカクカクになったりもするが、ラジオ(Polskie Radio Dwójka)のほうは問題なく聴くことができた。ファイナルはもっとアクセスが集中するだろうから、どうなるかはわからないが。
●ヴィデオ・アーカイブもあるので、これまでの分も遡って観ることができる模様。
●ファイナルに残った10名を見ると、意外にもアジアからの参加者はゼロ(前回は入賞者6人中、優勝者以外の5人全員がアジア勢だったかと)。ロシア勢が目立つ。
●なお、今回の優勝者は12月のN響定期Aプロでショパンの協奏曲をデュトワと共演することになっている。
●それにしてもショパン・コンクールに対する関心の強さっていうのは特別っすよね。ほかのどんなコンクールよりも桁違いに注目されている。ショパンしか弾かないのに。あの85年、ブーニン優勝の社会現象化とか、今にして思うと何が起きたんすかね……。
●おさらい。過去30年の優勝者は、ダン・タイソン(80)、ブーニン(85)、なし(90)、なし(95)、ユンディ・リ(00)、ブレハッチ(05)。
オーストラリア・バレエ団「白鳥の湖」
●そういえばオーストラリア・バレエ団の「白鳥の湖」を観てきたのだった(9日/東京文化会館)。バレエは門外漢なんだが、これはおもしろかった! 以下クラヲタ視点、ピント外れスマソ。
●えーと、バレエ界用語でなんと呼べばいいのかがわからないんだけど、これってオペラで言うところの「読み替え演出」だったんすよ。はっきりそう書いてあるわけじゃないんだけど、オデットが故ダイアナ妃で、王子がチャールズ皇太子っぽい。で、王子には愛人がいて、3人で踊って三角関係が描かれたりする(笑)。湖なんか出てこないし、オデットは白鳥ですらない。白鳥の姿をした人が登場するのは、2幕のサナトリウム(に、オデットが入院してる設定)で回想的な表現として描かれるところだけ(たぶん)。演出は(いや振付か)グレアム・マーフィー版と呼ばれていた。
●なるほど、オペラで演出家があれだけ作品を大胆に解釈しているのだから、同じことがバレエに起きていても不思議はないよな……と納得したのだが、あれれ、よく待て。オペラはセリフがあるから、一定の枠内での解釈となるが、バレエでは物語はもともと言語化されていない。だったら、同じ曲さえ使っていればどんな読み替えでも可能なんじゃないの? たとえば「白鳥の湖」の音楽を使って、そこにクリスマスにくるみ割り人形をプレゼントされた少女がお菓子の国に旅立つ物語をダンスで表現するということだって、やろうと思えば可能な気がするぞ(←バカすぎる)。
●中身がクラヲタなので、舞台に目を奪われつつも、意識の半分くらいはピットのほうに向いていた。うむむ。
●で、舞台上に登場するダンサーたちは驚異的に美しかった、前にも書いたけど、これが同じ人類なのだろうかと思うくらい。重力を感じさせない。これも何て呼ぶのかわからないんだけど、女子が(笑)男子に向かってスタスタスタと助走つけてダッシュして、相手の胸に飛び込んで受け止められるっていう様式化された動きがあるみたいで、あのダッシュがスゴいんすよ。すげえ加速で飛び込んでるはずなのに、受け止めるほうは羽根でも飛んできたかのように軽やかにキャッチ。あんなの、重い荷物で鍛えられた宅急便のお兄ちゃんだって受けられないと思うぜー。ワタシならよろけた挙句に転んでピットに落ちる。
●で、やっぱりダンサーの人たちは歌わない(そりゃそうだ)。あのダンサーの肉体を持ち、イゾルデとかヴィオレッタとかミミを歌える人は地球上に存在しないのだろうか。
●オーストラリア・バレエ団は今日から「くるみ割り人形」の公演があるみたい。こっちは観にいかないんだけど、やっぱり演出が凝っている。そもそもクリスマスが真夏だし(南半球だから事実そうなんだけど)、クララはもう婆さんになってて、若き日のバレリーナ時代を追憶する、みたいな枠組み。おもしろいこと考えるよなあ。
ウィーン・フィル来日公演、サロネンがキャンセル、ウェルザー=メストとプレートルが指揮
●ウィーン・フィル来日公演2010、噂通りサロネンがキャンセルとなってしまった。今回の日本ツアーは、サロネンに代わってウェルザー=メストとプレートル、それからもともと来日が決まっていたアンドリス・ネルソンスの3人の指揮者で行なわれることになった。もともとは小澤征爾指揮が予定されていたので、代役の代役ということになるわけだ。
●整理しておこう。東京公演についてはサントリーホールの発表にあるように、ブルックナー6番の日がウェルザー=メストによるブルックナー9番へ。マーラーの9番の日が、プレートルによるシューベルト第2番&ベートーヴェン「英雄」というまったく別の演目へ。払い戻しあり。ミューザ川崎公演はネルソンスの「新世界より」他のプロに変更。払い戻しあり。兵庫県立芸術文化センター公演はプレートルのプロに(購入者個別連絡)。宮崎公演はプレートル、払い戻しあり。もともとネルソンスの川口公演は影響を受けず。ウィーン・フィル公式サイトにあるツアー予定には昨日から情報が掲載されていた。
●うーむ、サロネン指揮ウィーン・フィルを聴けなくて残念だ……。そんな嘆き声もたくさん聞こえる一方、プレートルを聴くチャンスが巡ってきたことを喜ぶ声も。ブル6がブル9に、マラ9が「英雄」または「新世界」に変わったと考えると、より名曲プロになったともいえる。
●サロネンの「自身のコントロールの及ばない事情のため」っていうのは、よくある「健康上の理由」とは異なる表現だけど、なんなんでしょうね。来日前のウィーンでの公演もキャンセルとなっている。
韓国vsニッポン@親善試合
●ソウルで行なわれた韓国vsニッポン。近年の代表はインターナショナル・マッチデイのある週に2試合を戦っているわけだが、こんな風に韓国相手であれば2試合目をアウェイにすることもできるわけだ。これってサッカー協会のマッチメイク力の勝利なの? それとも敗北なの?
●で、韓国戦、ザッケローニの2試合目だ。予想通りかなり激しい試合になった。互いに序盤から猛烈に飛ばした。で、タフな試合ではあるんだけど、一方ですごく技術のしっかりしたレベルの高い試合にもなっていて、東アジア同士の対戦でこれだけの水準の試合ができるようになったのか、とやや驚嘆。後半に入ってもゲームは締まっていたし、終わった後の気分は爽快。なんていうかなあ、スポーツやって体を動かしきった後の「せいせいする」感じ。結果なんてもうどうでもいいや、みたいな0-0。アルゼンチン戦とはまったく別種の試合。というか、親善試合でこんな試合になるなんてフツーはない。
●ニッポンのメンバー。GK:西川-駒野(→内田)、栗原、今野、長友-MF:遠藤(→中村憲剛)、長谷部-香川(→細貝)-FW:本田、松井(→金崎)-前田。本田がすばらしかった。フィジカル強いし、技術も高い。香川も松井もみんないい。前田は体を張ってポストになる仕事が多く、彼ならではのテクニックを見せる場面が少なかったが、それでも十分チームに貢献してくれた。このメンバーだと中盤から前は足元がみんなうまいので、韓国の厳しいプレッシャーを相手にしても形になるからスゴい。相変わらず自信がみなぎっているし、やはりワールドカップ以降、なにかが変わったんだろうか。ザッケローニがどうだから、ということではなくて。
●しかし不満もあるな。駒野、栗原に対する韓国のレイトタックルにはひやりとした(駒野は着地で腕をひねったように見えた。とても軽傷には見えないが……)。いい試合になったのは激しさゆえでもあるので難しいところではあるが、もう少し主審(ウズベキスタン)が笛を吹いてゲームをコントロールしてもよかったんじゃないか。エリア内のハンドの見逃しなんてどうでもいいから。激しく来られた後のニッポン代表の大人の対応はさすが。冷静さを失わず、変わらずアグレッシヴに戦える。偉すぎる。ワタシなら即座に家に帰りたくなるから(笑)。
●センターバックは中澤、トゥーリオがケガしてるので、このままってことはない気がする。本日の西川はフィードが不安定。あと、現実的にはザッケローニは「この代表」以外に「国内組代表」も編成しなければいけない。そのとき、「この代表」にみなぎる自信が受け継がれるものなのかどうかに注目。
ゾンビと私 その18 御岳山ハイキング
●長かった夏が終わり、ようやく秋晴れの一日が。御岳山にハイキングに行って来た。
●ふー。いい眺めだこと。あっ、すいません、実はケーブルカー使って、一気に登っちゃいました。
●なぜ山へ行くのか。この不定期終末連載「ゾンビと私」をご愛読いただいている皆様には今さら説明するまでもないことであるが、念のため簡単に説明するとこういうことだ。地上がゾンビであふれかえるZdayに備え、私たちは人口過疎な場所を避難所として見つけ出す必要がある。東京のような高密度地域はあっという間に感染は広がる。感染者がお隣にガブッ、お隣がそのお隣にガブッ。都市秒殺。しかし山なら人口密度が薄い上に、ゾンビは理由もなく山を登攀しないであろう。という仮説に基づき、この数年間にわたり毎秋、東京近郊低山をリサーチしているわけだ。
●はい、チーズ。パシャッ。うーん、御岳山は昭和の香りに満ちてるなあ……ていうか、ここ、山頂が超賑わってる! 地方都市の繁華街より賑わってるんじゃないかというくらい人多すぎ、みやげ物屋だらけ。しまった……。近年足を運んでいる奥武蔵方面の怖いくらいの寂しさに比べ、御岳山はなんと繁盛しているのであろうか。これ、場所がメジャーすぎてゾンビ・ハイキングの選択肢として失敗してないか!?
●山頂には関東有数の霊場、武蔵御嶽神社がある。そう、来るZdayにできることといったら、ここで神に祈るしか……しかしこんなに人が多いんじゃここに来るまでに自分もゾンビになってるぞ!
●ちなみに、この山にはコジャレた雰囲気の女子がいっぱいいました。山ガールだ。彼女たちもZが来たらみんな山ゾン……いやいや、ステキですねー、山ガール。
●おっとこんなとこに鎖が! この大岩を登れるようになっているようだ。なるほど、これは対ゾンビ的には優れた地形かもしれない。ゾンビは鎖を登らないだろう。しかし、登ってどうする? 下にウジャウジャとゾンビ・ハイカーたちが待ち構える中で、大岩の上で袋小路に入るだけかもしれない。いずれにせよ、鎖で登るような怖そうなところに近寄るつもりはないのでスルーして先へ。
●そしてやってきたのが、ロックガーデンだ! なんという爽快さ。苔むす岩をぬって流れる清流のせせらぎに耳を傾けていると、あまりの心地よさになにもかも忘れてしまいそうになる、この地上にゾンビ禍が訪れようとしていることまで……。
●帰路はケーブルカーには乗らず、大塚山、丹三郎尾根、古里駅ルートを歩いた。写真は途中で見かけた2種のキノコである。左は白くて大ぶりで食欲をそそる。右は鮮やかな赤が魅惑的である。山へ逃げた場合、食糧の確保は重要な問題になる。したがって、どのような場所に何が生息しているかという植生を観察しておくことは大切である、mgmg、うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ、とりわけ容易に採集できるキノコ類なんてサイコーだろ、うひょひょひょひょ、くっくっくっくっくっ、ふひゃひゃひゃひゃ……。
●はっ。下山したのだった。古里駅に通じる登山口には上記のような注意書きがある。獣害対策用に金網の開き戸があり、最上部には電流が流れている。これはいざというときには有効であろうか? いや、ヤツらを留めるにはあまりにも脆弱な金網であり、電流など猿相手ならともかく連中にはいかなる痛痒も与えないであろう。ヤツらは痛みを感じない。恐怖も感じない。ただひたすら「喰いたい」という本能のみを持つのである。今回確認した範囲では、御岳山の安全度は他の低山に比べかなり劣ると断定せざるを得ない。むしろここは純然たるハイキングに最適な山である。今後、さらなる調査に邁進したい。
ニッポンvsアルゼンチン@キリンチャレンジカップ2010
●新生ザッケローニ・ジャパン、注目のデビュー戦。今回は欧州組も全部呼んだ豪華仕様。アルゼンチンも偉いっすよね、いつもいつもいいメンバーをそろえてくれて。メッシ、テベス、D・ミリートのスリートップに交代出場でイグアインとかディ・マリアとか出てきて、スーパースターだらけ。
●で、メンバーだ。怪我人の影響で自然と世代交代した部分もあるかと思うが、これまでの延長上にある人選で、なおかつ欧州組が中心になっている。GK:川島(→西川)-DF:内田、栗原、今野、長友-MF:遠藤(→阿部)、長谷部、香川(→中村憲剛)-FW:岡崎(→関口)、本田、森本(→前田)
●序盤お互いにミスが多めだなと感じたが、前半19分、長谷部の強烈なミドルを相手GKロメロが弾いたところに岡崎が猛ダッシュして押し込んで、なんとニッポンが先制。おかげでホットな試合になった。香川はニッポンのメッシかというくらいに小気味良い。いやあ、J2時代のセレッソから呼ばれている間は「どして?」と思っていたのだが、ホントにワタシは見る目がないなあ。本田は絶好調とはいえないかもしれないが、レベルの高いプレイを見せていた。というか、みんなW杯効果なのか、アルゼンチン相手に堂々と自信を持ってプレイしているからスゴい。ニッポンが押し込んでいる時間もかなりあったわけで、こういう形で結果を残しちゃうというのは親善試合とはいえ嬉しい。1-0。なんと、勝ってしまった。
●あまり結果に意味はないとしても、この勝利は悪くない。まだ4日間しか練習してないザッケローニに妙な批判とか集まらなくて済むから。代表人気という点でも大事。
●ていうか、この時期の代表戦は、「ガラ」なんすよね。結果にこだわる必要がないし、W杯後の新しいチームだし、集客も必要だし、ということで華やかでOK。特に試合展開上どうということのない「本田がオーバーヘッドでボールをクリア」みたいな場面に「ワーッ」と歓声が上がる、平和な時期。Jリーグとは客層がぜんぜん違う。サポのチャントも声が明るくて若々しい。これがそのうちワールドカップ予選とかになってくると、眉間にしわを寄せたオヤジどもがスタジアムに帰ってくる……。
●代表戦の「四季理論」ってどうかな、四年周期で。今季、つまりW杯終了後のシーズンが希望にあふれる「春」。ガラマッチ歓迎、欧州組とか黄金の中盤とか気分が浮つく時期。で、「夏」にクレイジーな主審と意地悪アウェイによるガマン大会みたいなアジアカップを戦って、「秋」が最大の収穫期ワールドカップ予選で、「冬」が世界との差を見せつけられて極東者として孤独に耐えるワールドカップ本大会。いや、この前の大会は活躍したけど。
オーケストラ・アンサンブル金沢定期へ
●一泊出張して金沢でオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)定期公演へ(10/6)。指揮は1980年生まれのケン・シェ。日本でも学んだアジア系カナダ人。もう最近どんどん若い指揮者が出てきているから30歳でも特別驚くことはなくなっちゃったんだけど、でもやっぱり勢いのあるフレッシュな人はいいっすね、雰囲気が明るくなる。しかもカッコいい。シューマンの「序曲、スケルツォとフィナーレ」、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(独奏:吉田恭子)、ビゼーの交響曲。爽快、でも端整な秀演。
●OEKの演奏は東京定期やラ・フォル・ジュルネ金沢で耳にする機会は比較的多いんだけど、普段の定期に足を運んだのはものすごく久しぶり。お客さんはよく入っている。年齢層は結構高め。定期公演には3つのシリーズがあって、それぞれ「フィルハーモニー」「マイスター」「ファンタジー」と名づけられている。これは「フィルハーモニー」がオーソドックスなシリーズ、「マイスター」はやや意欲的な演目が並び、「ファンタジー」はジャズありシャンソンありバレエありのクラシックの枠にとどまらないバラエティ枠といったことの模様。相当に幅が広い。また、OEK定期でありながら、ときにはOEK以外の団体が演奏することもある。南西ドイツ・フィルとか兵庫PACオケとか。
●これはよくわかるんすよねー。東京のように一都市に8つもオーケストラがあってそれぞれ定期演奏会を開いてて、しかも来日演奏団体もあるなんていう状況がどう考えても例外的なわけで、中規模の都市ならオケはひとつで十分。でもお客さんは何年も通っていると、だんだん選択肢とか多様性が欲しくなってくる。それを一団体で賄わなきゃいけないからということで生まれた現状の最適解がこの形なんだろう。こういったシリーズ構成に限らず、いろいろなディテールで実情に応じた工夫が感じられて興味深い。
●来年の「ラ・フォル・ジュルネ金沢」のプランもいろいろなアイディアが上がっている模様。テーマは「ウィーンのシューベルト」と発表済み。
「アラベッラ」@新国立劇場
●新国立劇場でR・シュトラウスの「アラベッラ」。平日昼間の公演だけど十分お客さんは入っている。東京人、どんだけオペラ好きなの。6公演あるんすよ、これ。
●で、「アラベッラ」(アラベラ)だ。演出フィリップ・アルロー、衣裳は森英恵。指揮はウルフ・シルマー。美しい音楽である。最近ワタシはオペラ的約束事を無視して、その物語を「真に受ける」という楽しみ方を覚えてしまったので、この「アラベッラ」世界の住人になったつもりで鑑賞した(なんだそりゃ)。
●まずこの世界でもっとも(いや唯一)カッコいい男はアラベッラの父、ヴァルトナー伯爵だ。ホテル住まいの没落貴族。頭の中にあることはギャンブル(カード)だけ。部屋に次々と請求書が来ているのに、それを無視して遊ぶ。アラベッラへの求婚者マンドリカが金を持ってくれば、娘のことなど忘れて嬉々として賭けに行く。いざ娘が求婚される舞踏会になっても、延々とテーブルでカードに興じている。で、「オレがこんなで妻も娘もかわいそう」と身内を憐れんだりする。なんと筋の通った道楽者なのか。もちろん賭けは負けっぱなしであろう。富の再分配を自ら実践する貴族。正しい。そしてホテル住まいでカード狂いという彼は「都会者」という役柄だ。「宵越しの金は持たねえんだ」ってな江戸っ子、じゃなくてウィーンっ子だ。
●その正反対のポジションに立つのが、求婚者マンドリカである。彼は田舎の大金持ち。山も森も畑も持っている。アラベッラの写真を見てポーッとなって、美しい森を少しばかりユダヤ人に売って金を持ってやってきた。アラベッラのことを崇拝してはいるが、気前がよくなったり侮辱されたと感じたりすると、イチイチ札束をパアッと撒き散らすような、成金趣味の持ち主だ。「田舎者」である。しかし、彼は強くて逞しく気高い男でもある(クマと戦って生き残ってるんだぜー)。すべてがヴァルトナー伯爵と違ったタイプだ。
●アラベッラの父親もウィーンの求婚者たちもみんな都会の男ばかり。そこにワイルドなマンドリカがあらわれたのだから、アラベッラが彼の新鮮な魅力に惹かれるのもよくわかる。彼女はずっと都会で自分探しをやってきた。でも本当の自分は見つからず、どの求婚者にもピンと来なかった。田舎から出てきたマンドリカと出会って思う。「この人こそ運命の人。もう都会は十分、これからは森、山、そして畑よ! ビバ自然、エコライフ!」。つまりアラベッラは先駆的な森ガールであり山ガールだったのだ!(←それ言いたかったのかよっ!)
●このオペラの謎はズデンカ……というか、むしろマッテオである。ズデンカは女でありながら男として育てられている。もちろん、こうした性別の入れ替わりはオペラでは自然に受け入れられる約束事なわけだが、それをあえて無視して観ると(おいおい)、マッテオが本当に好きなのはズデンカ(女)なのかズデンコ(男)なのかという謎がある。マッテオは表向き、アラベッラへの恋が成就しなければ死ぬとまで思いつめている。一方、第3幕で暗闇の中の仮想アラベッラ(=実ズデンカ)と結ばれたとわかったときには「なんとなくホントはキミだってわかってたような気がする」みたいなことを口にする。もともとマッテオはズデンコと親友で仲がよかった。やはりマッテオは本質的にズデンコ(男)を欲していたのだが、自身のホモセクシャリティをどうしても肯定することができず、その代償行為としてアラベッラに恋をしていたのだろうか。
●いやいや、いくら女装をして人を騙すのにも限度がある、マッテオは最初からズデンコがズデンカであると知っていたはずだ。マッテオは男が好きだったのではなく、男の格好をする女の子に萌えていたんじゃないか。うん、それは、少しわかるような気がするぞ、マッテオ! 彼のアラベッラへの想いは見せ掛けで、すべてズデンコ→ズデンカへの変身を促すための計算づくの言動を取っていたのかもしれない。
●つまり、真犯人はマッテオ! あなただっ!
●↑いや、そういう話と違うから。
●一幕の二重唱と三幕の頭の音楽をもう一度聴きたい……。三幕のアラベッラとマンドリカのやりとりは少し冗長に感じなくもないんだけど、一方でアラベッラがいったん水を持って部屋に引っ込み、マンドリカのほうは立ち去ろうとしても立ち去れない感じという宙ぶらりん感が味わい深いとも言える。
ゾンビと私 その17 「ワールド・ウォー・ゼット」(マックス・ブルックス著)
●ゾンビたちが跋扈する現代日本にあって必読の書ともいえる小説が刊行された。World War Z、もちろんZはゾンビのZ。「ワールド・ウォー・ゼット」(マックス・ブルックス著/文藝春秋)。「ふーん、ゾンビ小説ねえ、でも文字で読んだってゾンビの怖さなんて伝わらないんじゃないの?」と訝しむあなた。違うんですよ、これは。スティーヴン・キングがその並外れた筆力によって「呪われた街」でドラキュラという古典的すぎる題材に新たな生命を与えた、というタイプの話ではない。「ワールド・ウォー・ゼット」では小説的完成度なんてものは脇に置かれて、現実としてのゾンビに立ち向かっている。すなわち、まさにゾンビがこの地球上を覆うというときにわれわれはどうすればいいのかという切実な問題意識から生み出された小説といえる。この点で、本作はあらゆるゾンビ映画にもゾンビ小説とも一線を画している。
●「ワールド・ウォー・ゼット」は、世界Z大戦後にまとめられた報告書という体裁を採る。ゾンビ大戦を終えた後、さまざまな生き残った証言者たちにインタヴューするという形だ。そう、人類はゾンビに打ち勝ったのだ。当初、地球規模でパニックが広がり、地上の多くがゾンビで埋め尽くされることになるが、人類はそこから反転攻勢に出て、ふたたび文明を取り戻した……という大きなストーリーが前提にある。アメリカで、ロシアで、中国で、日本で、なにが起きたのか。これはまさにゾンビ禍に対する予習だ。たとえば日本は国土が狭く、人口が多い。そのためいったん感染が広がり始めると止めようがない。しかもゾンビ大戦以前の社会の安全性が高かったため市民の武装度が低く、ゾンビと戦うこともできず、結局は国土を見捨てて難民として海外に脱出せざるを得なくなったという。これでは第二の「日本沈没」ではないか。小松左京の先見性をこんなところで思い知らされようとは。
●著者のマックス・ブルックスは映画監督メル・ブルックスの息子なんだそうであるが、実はこのブログでは彼の著作をすでに一度ご紹介している。The Zombie Survival Guide: Complete Protection from the Living Dead (未訳)がそうだ。つまり、彼はまず「ゾンビから生き残るためにどうしたらいいか」というガイドブックを、あらゆるシチュエーションを考慮して書き、続いてその成果を小説という形態に発展させたのだ。本書が実践的なサバイバル小説として、実用可能な水準に達しているのはそのためだ。ワタシたちは証言者の記録に耳を傾け、考えなければいけない。その日、どこを目指すのか。山か、森か、海か、都市か、あるいは北なのか。
ベルリン・フィルDCH昨シーズンのメモ~その2
●(承前)引き続き、ベルリン・フィルのデジタル・コンサート・ホール(DCH)メモその2。昨シーズンを2010年2月から遡って。
●2月。ラトル指揮、内田光子独奏のシリーズ。リゲティ「サンフランシスコ・ポリフォニー」、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、シベリウスの交響曲第2番。ラトル&内田コンビは鉄板。このベートーヴェン協奏曲シリーズは、リゲティorクルタークとベートーヴェンとシベリウスがセットになって演奏される。甘いもの食べたら辛いもの食べたくなって、辛いもの食べたら甘いもの食べたくなる理論(なんだそりゃ)。
●2月。ラトル&内田光子シリーズ。クルタークの「シュテファンの墓」、シベリウスの4番、ベートーヴェンの「皇帝」。強力。クルタークもこのシーズンよく取り上げられた作曲家。
●2月。同しシリーズでリゲティ「アトモスフェール」、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番、リゲティ「ミステリーズ・オブ・ザ・マカブル」、シベリウスの交響曲第1番。こうして通すと、ごった煮みたいなわけわからんプログラムではあるが、楽しいからいいか。
●1月。トン・コープマン指揮。いろんな人が指揮台に立つ、ベルリン・フィルは(その前のシーズンはトレヴァー・ピノックも来てた)。バッハとハイドン。コープマンは大好きなのだが、もどかしさも。
●1月。ハイティンク指揮。クルターク「石碑」、F.P.ツィンマーマンとブラームスのヴァイオリン協奏曲、バルトークの「管弦楽のための協奏曲」。あれれ、バルトークの「オケコン」は前のシーズンにもやってなかったっけ? えーと、ジンマンが振っていた。その辺は気にしないのか。
●1月。注目株トゥガン・ソキエフがベルリン・フィル・デビュー。77年生まれ、若いけどオーラが出まくってる。カリスマ指揮者(とかいうと急に安っぽくなっていかんか)。グリモーとラヴェルのピアノ協奏曲、ラフマニノフの交響曲第2番他。グリモー、もう40歳だっけ? 相変わらず若くて美しい。今度、お肌のお手入れをどうしてるか教えてくださいっ!(ウソ)
●2009年12月。ドナルド・ラニクルズ指揮でSebastian Currierの新作世界初演とブラームスの「ドイツ・レクイエム」。ラニクルズって初めて映像を見たけど、こんな暑苦しそうなタイプだったとは。そして意外と巨匠系。立派。この曲大好き。
●12月。ティーレマン指揮でブラームスの合唱曲とシェーンベルクの「ペレアスとメリザンド」。ティーレマンってベルリン・フィル・アカデミーでヴィオラ奏者やってたんすね。
●12月。メータ指揮でシューベルトの3番、バルトークの「中国の不思議な役人」の後、メインにカヴァコス独奏でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲。うーむ、どこかで記憶が混乱してしまったみたいで、カヴァコスはてっきりシベリウスだったと思ったらベートーヴェンだったか……。「カヴァコスの集中度の高さ、テクニックの見事さ、この端整かつ詩的なシベリウスは史上最強!」と記憶してたのに、違うじゃないの(笑)。あーあ、全部捏造された記憶でこれ書いてるのかも。でもとにかくワタシのなかでカヴァコスへの敬意は圧倒的に深まった。
●10月。イヴァン・フィッシャー指揮。コダーイのガランタ舞曲、リストのハンガリー狂詩曲第1番、ハイドンの88番他。CDでは聴いたことがかろうじてあったけど、映像で見て「こんな人だったのか」と軽い驚き。今時あまり見かけないような、長い指揮棒を振り回すコワモテ系のようでいて、その姿には気品が感じられ、ショウマンシップもうっすらとにじむ。
●10月。ダニエル・ハーディング指揮。ジャニーヌ・ヤンセンが独奏でブリテンのヴァイオリン協奏曲。圧巻。ハーディングとヤンセンのコンビはこのシーズンにいったい何度この曲を弾いたんだろうか。ネットラジオでもいろんなオケで何度も見かけた気がする。メインはR・シュトラウスの「死と変容」。
●9月。ドゥダメル指揮でグバイドゥーリナの「グロリアス・パーカッション」とショスタコーヴィチの交響曲第12番「1917年」。動くグバイドゥーリナを久々に見た。ドゥダメルはこのシーズンが「1917年」で、前のシーズンがたしかプロコフィエフの5番。ドゥダメルはいつでも「マンボ!」みたいな陽気な曲を振っているわけではない(笑)。
●9月。ラトル指揮。ベルクの「ルル」組曲~アダージョ、パウル・デッサウ「声」、ショスタコーヴィチの交響曲第4番。ショスタコは巨大な曲、編成も長さも。強烈すぎる。DCHでDSCH。
●9月。ラトル指揮のハイドン「四季」。これは聴きたいけど聴き逃してしまったのでメモ。2時間半もあるのにトラックで分かれていないから、まとめて聴かなきゃいけない、でもそれは大変だなあ……と困っていたのだが、今シーズンからトラックの切れ目ができたっぽい。
●8月。ラトル指揮でシーズン・オープニング。ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」。昔、はじめてラトルを生で聴いたときもこの曲だった。懐かしい。サーリアホの「ラテルナ・マギカ」初演。メインのベルリオーズ「幻想交響曲」はたしか未見。CDも出たし、そうそう何度も同じ曲を聴きたくない、もったいないから。
●コンサートマスターは基本的にブラウンシュタイン、樫本大進、スタブラヴァの「第一コンサートマスター」3人体制。まれに「コンサートマスター」のゾンネ。樫本大進は試用期間中ということだが、出番は非常に多く、公式サイトのメンバー表でもブラウンシュタインの次に名前が載っている。あと、この表はオーボエのマイヤーとケリーにPrincipalの表示がなくて「あれ?」と思うのだが、ないのは英語版だけでドイツ語版で確認するとちゃんとSoloと書いてある。ホルンはバボラークが退団して、Principalはドール一人になってしまった。ときどきいろんな人が招かれているようだが、映像で顔を見てもワタシにはどこの誰とはわからず。首席クラリネットもずっとフックス一人で、どうなるのかなあと思っていたら、アンドレアス・オッテンザマー(エルンストの息子、ダニエルの弟)が入団するというニュースが(11年2月より。「フォルカーの部屋」参照)。フックスもオーストリア人、ウィーンで学んだ人なので、局所的にウィーン濃度が高まることに。
●現在の空きポジション。
ザッケローニ新生ニッポン代表メンバー発表!
●おお。ザッケローニ監督の新生ニッポン代表メンバーが発表されたんすね。ある意味、試合よりもはるかに興味がわく、新監督就任後の最初のメンバー選考。いやー、これはドキドキ!
●で、こうなった。実に興味深い。
DF:田中マルクス闘莉王(名古屋)、駒野友一(磐田)、栗原勇蔵(マリノス)、伊野波雅彦(鹿島)、長友佑都(チェゼーナ)、槙野智章(広島)、内田篤人(シャルケ04)
MF:遠藤保仁(G大阪)、中村憲剛(川崎)、阿部勇樹(レスター)、今野泰幸(東京)、長谷部誠(ヴォルフスブルク)、本田拓也(清水)、細貝萌(浦和)
FW:松井大輔(トム・トムスク)、前田遼一(磐田)、関口訓充(仙台)、岡崎慎司(清水)、本田圭佑(CSKAモスクワ)、森本貴幸(カターニア)、金崎夢生(名古屋)、香川真司(ドルトムント)
●初召集が本田拓也(清水)と関口訓充(仙台)。「えっ、関口って?」とうろたえたり(笑)。ドリブラーだとか。これは楽しみ。
●ポイントその1。新しい才能。これは誰が監督だってそうするわけだが、フレッシュなメンバーを呼んでいる。一瞬にしてドイツでスターとなった香川はもちろん、槙野とか栗原、伊野波、細貝、金崎、あたりは始まる前から次世代代表の要の選手になるんだろうなっていう雰囲気がある。あ、森本も。
●ポイントその2。4バック3トップ。両サイドバックの選手が選ばれているので、ディフェンスは4バック確定。で、FWがたくさんいるように見えるのは、これまで攻撃的MFとされてきた選手をフォワードに数えているだけの話で、要するに4-3-3あるいは4-2-1-3のような布陣を敷くという意味なんだろう。3トップというのは中央に1人のストライカー(森本か前田のどちらか)がいて、左右にウィンガー調だったり攻撃的MF調だったりストライカー調だったりする攻撃的な選手が入るというイメージ。この左右のFWは、レアル・マドリッドならクリスチャーノ・ロナウドやイグアイン、バルセロナならイニエスタだったりメッシだったりペドロだったりが入るし、かつてはレアル・マドリッド時代のジダンだってこのポジションだったわけだ。その意味では松井や香川がFWに数えられるのは自然。これはMFの選手が全員ボランチ調のセントラルMFだということと整合性が取れている。
●ポイントその3。海外組を呼ぶ。もう容赦なく呼んだ。しかし日本の選手の移籍先もバラエティに富むようになったというか、欧州市場の一部にすっかり取り込まれたというか。ベルギー、ロシア、ドイツ、イタリア、イングランド2部。実力相応で。
●前に「中澤を呼ぶのかどうかがカギ」とか書いたけど、ケガをしてしまったのでナチュラルに世代交代が促進された。一方GK、DF、MF、FWすべてにおいてワールドカップメンバーの核となる選手が残ったとも見なせる。
●ていうかホントはまだ原ジャパンでした、みたいな気がしなくもない(笑)。