●新国立劇場でR・シュトラウスの「アラベッラ」。平日昼間の公演だけど十分お客さんは入っている。東京人、どんだけオペラ好きなの。6公演あるんすよ、これ。
●で、「アラベッラ」(アラベラ)だ。演出フィリップ・アルロー、衣裳は森英恵。指揮はウルフ・シルマー。美しい音楽である。最近ワタシはオペラ的約束事を無視して、その物語を「真に受ける」という楽しみ方を覚えてしまったので、この「アラベッラ」世界の住人になったつもりで鑑賞した(なんだそりゃ)。
●まずこの世界でもっとも(いや唯一)カッコいい男はアラベッラの父、ヴァルトナー伯爵だ。ホテル住まいの没落貴族。頭の中にあることはギャンブル(カード)だけ。部屋に次々と請求書が来ているのに、それを無視して遊ぶ。アラベッラへの求婚者マンドリカが金を持ってくれば、娘のことなど忘れて嬉々として賭けに行く。いざ娘が求婚される舞踏会になっても、延々とテーブルでカードに興じている。で、「オレがこんなで妻も娘もかわいそう」と身内を憐れんだりする。なんと筋の通った道楽者なのか。もちろん賭けは負けっぱなしであろう。富の再分配を自ら実践する貴族。正しい。そしてホテル住まいでカード狂いという彼は「都会者」という役柄だ。「宵越しの金は持たねえんだ」ってな江戸っ子、じゃなくてウィーンっ子だ。
●その正反対のポジションに立つのが、求婚者マンドリカである。彼は田舎の大金持ち。山も森も畑も持っている。アラベッラの写真を見てポーッとなって、美しい森を少しばかりユダヤ人に売って金を持ってやってきた。アラベッラのことを崇拝してはいるが、気前がよくなったり侮辱されたと感じたりすると、イチイチ札束をパアッと撒き散らすような、成金趣味の持ち主だ。「田舎者」である。しかし、彼は強くて逞しく気高い男でもある(クマと戦って生き残ってるんだぜー)。すべてがヴァルトナー伯爵と違ったタイプだ。
●アラベッラの父親もウィーンの求婚者たちもみんな都会の男ばかり。そこにワイルドなマンドリカがあらわれたのだから、アラベッラが彼の新鮮な魅力に惹かれるのもよくわかる。彼女はずっと都会で自分探しをやってきた。でも本当の自分は見つからず、どの求婚者にもピンと来なかった。田舎から出てきたマンドリカと出会って思う。「この人こそ運命の人。もう都会は十分、これからは森、山、そして畑よ! ビバ自然、エコライフ!」。つまりアラベッラは先駆的な森ガールであり山ガールだったのだ!(←それ言いたかったのかよっ!)
●このオペラの謎はズデンカ……というか、むしろマッテオである。ズデンカは女でありながら男として育てられている。もちろん、こうした性別の入れ替わりはオペラでは自然に受け入れられる約束事なわけだが、それをあえて無視して観ると(おいおい)、マッテオが本当に好きなのはズデンカ(女)なのかズデンコ(男)なのかという謎がある。マッテオは表向き、アラベッラへの恋が成就しなければ死ぬとまで思いつめている。一方、第3幕で暗闇の中の仮想アラベッラ(=実ズデンカ)と結ばれたとわかったときには「なんとなくホントはキミだってわかってたような気がする」みたいなことを口にする。もともとマッテオはズデンコと親友で仲がよかった。やはりマッテオは本質的にズデンコ(男)を欲していたのだが、自身のホモセクシャリティをどうしても肯定することができず、その代償行為としてアラベッラに恋をしていたのだろうか。
●いやいや、いくら女装をして人を騙すのにも限度がある、マッテオは最初からズデンコがズデンカであると知っていたはずだ。マッテオは男が好きだったのではなく、男の格好をする女の子に萌えていたんじゃないか。うん、それは、少しわかるような気がするぞ、マッテオ! 彼のアラベッラへの想いは見せ掛けで、すべてズデンコ→ズデンカへの変身を促すための計算づくの言動を取っていたのかもしれない。
●つまり、真犯人はマッテオ! あなただっ!
●↑いや、そういう話と違うから。
●一幕の二重唱と三幕の頭の音楽をもう一度聴きたい……。三幕のアラベッラとマンドリカのやりとりは少し冗長に感じなくもないんだけど、一方でアラベッラがいったん水を持って部屋に引っ込み、マンドリカのほうは立ち去ろうとしても立ち去れない感じという宙ぶらりん感が味わい深いとも言える。
October 6, 2010