●映画館で見逃してしまい、ようやく見た「Dr.パルナサスの鏡」(テリー・ギリアム監督)。ヒース・レジャーが急逝して、彼の演じた登場人物を(物語上に顔が変わってゆくという設定を加えて)ジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルが演じたという話題があったわけだが、その点はぜんぜん無問題。で、なによりもこれはテリー・ギリアムの映画で、彼のイマジネーションがどぼどぼと注ぎ込まれた結果、なんだか懐かしい雰囲気の作品になった。ストーリーはぜんぜん違うけど、名作「未来世紀ブラジル」をもう一回作った、みたいな。さらに「モンティパイソン」を彷彿とさせるところもあり(警官の場面とか)。
●時代錯誤な旅芸人の一座、その主Dr.パルナサスがトランス状態に入ると、彼の鏡の中へと入った者は自分の願望を想像の世界で実現してくれる迷宮世界を体験する。Dr.パルナサスは大昔に悪魔と取引きをした結果、不死を手に入れる。しかしその代償として、16歳を迎える娘を悪魔に差し出さなければならない……。
●「未来世紀ブラジル」とどう違うかといえば、それはこれが「老人ファンタジー」であるところ。フツーのファンタジーなら、若者が冒険を通じて成長したり挫折したりするところを、これは老人が主人公だから彼の求めるのは娘が無事に育つこととたぶん安らかな死くらいのもので、「選択」「賭け」の連続である生にはすっかり倦んでいるように見える。で、その娘がインテリア雑誌を読んでこぎれいな家具を備えた暮らしに憧れているとか、あいかわらず可笑しい。主人公の関心事はもう娘くらいしかないわけだけど、彼女を救うための最後の賭けですら、見ようによっては気力を失いつつあるというか諦めが早いというべきか……。欲望と活力にあふれたインチキ慈善事業家トニーがひたすら眩しい。ラストはハッピーエンドの形をした罰ゲーム型バッドエンドと見るべきか。
2011年2月アーカイブ
「Dr.パルナサスの鏡」(テリー・ギリアム監督)
NHK交響楽団「尾高賞」&11/12シーズン記者会見
●NHK交響楽団記者会見へ(2/18、千代田放送会館)。まずは第59回尾高賞について。受賞作は西村朗作曲オーケストラのための「蘇莫者」(2009、大阪センチュリー交響楽団委嘱作)。蘇莫者(そまくしゃ)というのは舞楽の曲名に由来する。オーケストラに舞楽を伴う45分程度の大作。6月28日、東京オペラシティでの「MUSIC TOMORROW 2011」(指揮:パブロ・ヘラス・カサド)で尾高賞受賞作品として演奏されることになった。写真は贈呈式の模様。西村朗氏(右)は今回で、なんと、5回目(!)の尾高賞受賞である。過去1988、1992、1993、2008年に受賞。
●ところで尾高賞って公式サイトはないんでしょうか(検索エンジンからは見つけられず)。尾高賞の対象は過去一年に初演された邦人オーケストラ作品で、今回の候補作は20作品。配布資料によると賞の選考を行う委員会の構成員は以下の方々。NHK交響楽団正指揮者、同楽団専務理事(演奏制作担当)、同楽団演奏制作部部長、日本放送協会制作局 音楽・伝統芸能番組部長、日本放送協会制作局 音楽・伝統芸能番組プロデューサー。規定には「必要に応じ部外音楽関係者の意見を求めることができる」とも。受賞作一覧、候補作、規定、沿革といった基本情報だけでも公式サイトにあればいいと思うのだが……。
●さて、同記者会見ではNHK交響楽団の2011/12シーズン定期公演についても発表された。現時点で公式サイトには掲載されていないようなので、定期公演の指揮者として挙がっている名前を列挙すると、ブロムシュテット、プレヴィン、コウト、デュトワ、エリシュカ、スラットキン、ド・ビリー、ノセダ、ノリントン、尾高忠明、広上淳一、準・メルクル、アシュケナージ。「第九」はスクロヴァチェフスキ。
●ぱっと見て目立ったところでは、プレヴィンはブラームス「ドイツ・レクイエム」、メシアン「トゥーランガリラ交響曲」、デュトワはマーラー「千人の交響曲」、バルトーク「青ひげ公の城」演奏会形式、ノリントンは5プログラムにわたるベートーヴェン・シリーズ。フレッシュな顔ぶれではド・ビリーがシューベルト「グレート」、ノセダがカセルラの交響曲第2番他。ソリストではバボラークによるグリエールのホルン協奏曲(アシュケナージ指揮)が楽しみ(去年古巣ベルリン・フィルと同曲を共演したのをDCHで見たけどスゴかった)。ケラスによるルトスワフスキのチェロ協奏曲も(スラットキン指揮)。ほかにも魅力的な公演はいくつもある。公式サイトに情報が掲載されるのを待つしか。
妻がプログラマの夫に買い物を頼んだら
●Twitter上で見かけた「プログラマにお使いを頼んだら」ジョーク。出典はここかな。
●妻がプログラマの夫に買い物を頼んだ。「牛乳を1つ買ってきてくれるかしら。もし玉子があったら6つ買ってきてちょうだい」。しばらくすると、夫が牛乳を6パック買ってきた。「いったいどうして牛乳を6パックも買ってきたのよ!?」「だって、玉子があったから」
ロナウドの引退
●少し日が経ってしまったが、このニュースをスルーするわけにはいかない。ロナウドが現役引退を発表。フォワードの選手だから34歳で引退してなんの不思議もないし、ヨーロッパを去った時点で視界からは消えていた。しかし振り返ってみれば、むしろあのロナウドが34歳までプレイできたことは喜ばしいとしか言いようがない、1999年に絶頂期で大怪我を負った時点のことを考えれば。
●ロナウドはビッグクラブに移籍する前からブラジル代表に呼ばれていた。当時、彼の名はロナウジーニョ。ブラジル代表のセンターバックに元清水エスパルスのロナウドがいたからだ。ロナウドのロナウジーニョ時代は結構長く続いたと記憶してる。所属クラブでは「ロナウド」でもブラジル代表では「ロナウジーニョ」と呼ばれていた時期もあったはず。スーパースターとなってからはブラジル代表でも「ロナウド」と名乗るようになり、先代ロナウドは(なぜか)「ロナウドン」とおしまいにnをつけて呼ばれるようになったのがおかしかった。
●バルセロナ時代のロナウドはひたすら怪物だった。得点王ゲット。インテルに移籍。愛称は「フェノメノ」。「現象」っていうことで超常現象みたいなものということか。ディフェンダーからすると超人的速度であっという間に抜かれるから、もはや人間っていうより自然現象みたいなものっていうニュアンス? 訳語では「怪物」にフェノメノとルビが振ってあったりした。
●でもロナウドで思い出深いのはその後の第二ロナウド時代のほうだろう。99年の大怪我で長期にわたる欠場をして、で、ついに復帰したと思ったら同じ場所をさらに酷く怪我した。2年近くリハビリしてたんじゃなかっただろうか。ファン・バステンみたいになるかと思った。で、再度復帰して、2002年のワールドカップでも活躍して、レアル・マドリッドにも移籍して、プレイスタイルを変化させて第二の黄金時代を築いた。この再復帰後、試合中にディフェンスに削られてロナウドが足を押さえてうずくまったりしたときの悲壮感が忘れられない。チームメイトはもちろん、敵も、観客も、テレビ視聴者も、解説者も、だれもが「ロナウドの怪我が再発しないでくれ!」とみんなでサッカーの神様に祈ってた。立ち上がると敵サポだって安堵したんじゃないか。「世界最高の選手を若くして怪我で引退させたくない」とだれもが心配してたはず。正直なところ、ディフェンスもあまり激しく当たれなくなったように見えた(ホントはどうかわからない)。
●かつてのようなキレとスピードを完全に失っていたのに、シュート技術の並外れた高さを武器に第二ロナウドはスーパースターの座を取り戻した。やっぱりファン・バステン以来の最高のフォワード。この地位はメッシの出現まで守られていた(ワタシのなかでは)。大怪我をしたときにどれだけリハビリに耐えたのかと想像すると、太りすぎたとか夜遊びが過ぎるとか報道されてもぜんぜん許せる。もう十分がんばったんだから、いいじゃないのさ。
●一部の放送局がクリチャーノ・ロナウドのことを「ロナウド」と呼ぶたびに激しい違和感が。そっちはちがうぞ。今後メディアが彼をどう呼ぶかやや心配ではあるが、ワタシにとっては引退してもロナウドといえば元ブラジル代表のロナウドしかいない。ロナウドに永世ロナウドの称号を。ジダンが彼の引退に寄せたコメント。「サッカーは彼のためにあるスポーツだった」
「シネ響」でドゥダメル、サントリーでバスケス
●以前にもご紹介した映画館で観るクラシック・コンサート「シネ響 マエストロ6」(音が出ます)であるが、そのシリーズ掉尾を飾るグスターボ・ドゥダメル指揮シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラの公演が、2月26日(土)より新宿バルト9にて公開される。ラヴェルの「ラ・ヴァルス」と「ダフニスとクロエ」第2組曲、マルケス、ヒナステラ、レブエルタス、フェルナンデスらラテン・アメリカ作品、最後にバーンスタイン「ウェスト・サイド・ストーリー」の「マンボ」という構成。これは盛り上がるだろうなあ。
●「映画館でオペラ」というのは自分の中ではもはや新しい娯楽として定着しているのを感じるんだが、「映画館でコンサート」というのがありなのかってところがポイントか。ちなみにLAフィルはLAフィル・ライヴっていうのを北米の映画館に配信している。成功しているのかどうかは知らない。
●ドゥダメルつながりでもう一つ。シモン・ボリバル・ユース・オーケストラの弟分ともいうべきオーケストラ、エル・システマ・ユース・オーケストラ・オブ・カラカスが来日する。シボン・ボリバル音楽院とカラカス音大の生徒で構成される若いオケで、指揮者がやはりドゥダメル同様「エル・システマ」で育った84年生まれのクリスティアン・バスケス。まだ聴いたことがないのでなんとも言えないが、第2のドゥダメル的な期待をつい持ってしまう。公演は3/31サントリーホールで、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」とショスタコーヴィチの交響曲第10番という、やたら重くて熱そうな(笑)プログラムを組んできている。(→ KAJIMOTO / チケットぴあ)
ブリュッヘン/新日本フィル「ベートーヴェン・プロジェクト」第4回
●「ヨッシャー!」と雄たけびをあげるミスター・ブリュッヘン(→)。ウソ。記者会見の写真であるが、どうしてこんなポーズをとったのかは忘れてしまった。
●で、ブリュッヘン/新日本フィル、ベートーヴェン交響曲全曲演奏会ひとまず完走。4日で1番から9番まで順に演奏されたのだが、あっという間だった。先日の第6番「田園」+第7番も客席はわいていたが、今日の第8番+第9番はシリーズ全体に対する賞賛も込めてか大変な盛り上がり。立ち上がって拍手するお客さん、飛び交うブラボーの声……。これはもう圧倒的な成功と呼ぶしか。この後、20日(日)に名古屋のしらかわホールで第6番「田園」+第7番、21日(月)にサントリーホール定期で第8番+第9番。
●ネタバレあり。「第九」は独唱者が入場しないまま第4楽章に突入しちゃったんすよ。これ、公開リハーサルを見て事前に知ってる人も多かったと思われ、客席が「ざわざわ……」ってなることもなかったんだけど、普通ならびっくりじゃないっすか。で、いよいよという場所でデイヴィッド・ウィルソン=ジョンソンが歌いながら颯爽と登場、しかも「振り」まで付けて! 一瞬にしてオペラ的雰囲気があふれまくる唐突さ。もう笑った。これはハイドン・プロジェクト「軍隊」の演出でもあったけど、理屈としてなにかがあるのかもしんないんだが(「軍隊」でも史実的根拠が示唆されてた)、やはりユーモアと受け取るしかない。一般にオヤジ・ギャグって悲惨じゃないすか、苦笑するのも辛いくらい。でも爺ギャグは最高にファニーで愉快だったりする。そういう偉大なる爺ギャグ。こういうのは真摯で深い感動を呼び起こす芸術と相性がよく、圧倒的な尊敬を受ける老巨匠ならではの特権なんだと思う。
●こういった演出は別にしても、全体に意表をついた強弱の設定が目立ち、びっくりの連続だった。ブリュッヘンはベートーヴェン演奏のお約束化された壮麗さや熱狂とは距離を置いて、一曲一曲驚嘆と歓喜にあふれた創作の歩みを追体験させてくれた。自分にとって特に心に残ったのは、作品のアンバランスで強引な劇的表現をあらわにしてくれたという点で第5と第3「英雄」、そして収穫を予感させない陶酔感ゼロの寂寞とした孤愁の第6「田園」。決して万人受けするベートーヴェンではないと思うんだが、客席の感応度は猛烈に高かった。これは爺好きによる老巨匠プレミアムなどではないはず。ラブ。
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」音楽祭2011記者発表
●今年もいよいよというかようやくというか、東京のラ・フォル・ジュルネ2011記者発表。テーマは既報のとおり「タイタンたち」ということで後期ロマン派に焦点が当てられるのだが、具体的なプログラムが配布されてイメージがわいてきた。たぶんすぐに公式サイトで発表されると思うが、ブラームスとリストに聴きものが多く、そしてシェーンベルクも思っていたよりずっとしっかりやってくれるという印象。「月に憑かれたピエロ」はここで聴かずしてどうするといった感じだが、これも通常版と勅使河原三郎とのダンス・コラボレーション版があるんすよね。
●ブラームス「ドイツ・レクイエム」のオケ伴奏版と四手ピアノ伴奏版もおもしろそう。ブルックナーの弦楽五重奏曲とかあるのか……(ゴクリ)。トータル500曲とかいうからスゴいボリュームで逐一あげてられないが、主役(タイタンたち)が大勢いるだけに今年は多彩だ。
●アーティストも大勢いるんだが、希望を込めての予測。今年は指揮者のチチナゼがスターになる予感。えっ、チチナゼ、誰それって言われるかもしれないが、去年ポゴレリチとの協奏曲で必死になって超奔放なソリストにつけていたあの若い人。ブラームスの交響曲など、今回は八面六臂の活躍となるのでは。
●ピアニストは去年に続いて来るペレス、ペヌティエ、ベレゾフスキー……。ラーンキは前回聴き逃したので今回こそ。あとナント視察部隊からヌーブルジェのブラームスがいいって強く推されている。ブラームスのピアノ曲&室内楽はぜひ聴きたいと思う公演がたくさんあり。
●山田和樹指揮横浜シンフォニエッタとか、金聖響指揮兵庫芸術文化センター管弦楽団とか、下野竜也指揮読売日響とか、日本のオケにも新鮮な顔ぶれが。
●LFJ公式ブログ・レポートやってますので、こちらもご覧いただければ。
今週末、シャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管が公演生中継(オンデマンドあり)
●2月18日現地時間20時(=日本時間:2月19日4時)より、リッカルド・シャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の公演が彼らのサイトで生中継される。日本時間はド深夜だが、「オン・デマンドにて3週間、無料でご覧いただけます」ということなので、週末にでもじっくり鑑賞するが吉かと。
●演目はオール・ドヴォルザーク・プロで序曲「謝肉祭」、ヴァイオリン協奏曲イ短調(レオニダス・カヴァコス独奏)、交響曲第7番ニ短調。つまり、これって3月に開催される来日公演の一つと同一プログラムなんすよね。なので、公演に行こうかどうか迷ってる方には大いに参考になるはず。カヴァコスは以前ベルリン・フィル定期の模様がDCHでも中継されていたけど、あれはすばらしい名演だったっけ。
●ゲヴァントハウス管がネット生中継ってなんだか意外。伏兵、みたいな。でも歓迎。
詳細:初来日から50年!ゲヴァント管 ~2/18(金)のライプツィヒ公演をネットで生中継!~(KAJIMOTOニュース)
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団来日公演 (チケットぴあ)
映画「ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路」
●今年は音楽映画が相次ぐのだが、春公開の「ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路」試写を拝見。ルネ・フェレ監督・脚本、フランス映画、120分。モーツァルトのお姉さんナンネルを主役としているのがおもしろい。弟ヴォルフガングは神童なんだけど思い切り脇役で、ホントにただの弟(笑)。ナンネルは不遇な人生を送ったと考えられていると思うが、彼女が若くて輝いていた少女時代を描く。
●ナンネルはやはりヴォルフガングの陰に隠れた存在。でも超大胆なフィクションに基づくロマンス要素が盛り込んであって、若い女性が主人公だと物語が広がるんすよね。この創作は成功してるんじゃないかな。映画はこれくらいのフィクションを盛り込まないと。音楽映画は史実にとらわれすぎの傾向があると思ってたので、その意味で吉。
●あと、いいなと思ったのは冒頭シーンから描かれている「旅の不快さ」。モーツァルト一家が旅から旅の暮らしをしていた話は有名だけど、これって音楽一家の「営業」なわけで、当時の平民の長旅なんて不快なものに決まってると思うんすよね。早い話、レオポルトは息子の神童芸を見た貴族からカネをもらえなきゃ旅も続けられないはずで、なのに貴族は褒美に豪華な煙草入れみたいな装飾品をくれちゃったりして、チ、チ、チ、これじゃあ困るんだよ、旅ではモノよりカネだよ的な状況はままあったんじゃないかと思う。
●この映画は「ナンネルは才能があったのに、女に生まれたため作曲家となることを社会が許さなかった」という話でもある。あれれ……でもそれって「クララ・シューマン 愛の協奏曲」でも「敬愛なるベートーヴェン」でも描かれていた主題じゃないの。なぜ今そのテーマが続くのかは謎。
●「ショパン 愛と哀しみの旋律」や「マーラー 君に捧げるアダージョ」(これはまた後日に)に比べると、これが映画としてもっとも一般性があるのでは。前二者はデートには完全に不向きだが、「ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路」ならOK。ロマンス成分に加えてコスプレ成分もあり。クラヲタ成分は薄めなのでそのつもりでどぞ。
カレーのち大雪
●東京はひどい雪。積もってしまった。今日雪が降るとはまったく予期していなかったため、革靴で雪の中をザクザクと歩くという愚行をしてしまった。許せ、革靴。東京の積雪5cmは雪国の50cmに相当する(体感的に)。
●夜、上野へ。演奏会前に軽くグリーンカフェに寄ってカレーでも食っておくかーと思ったら、月曜日は休みなのであった。というか月曜は上野そのものが休みといってもいいくらい休み率高し。信じられないくらい寒いし、雨降ってるし(これが雪に変わる)、もう歩くのヤだから、エキナカでさっくりカレー食うかと何年ぶりかに駅の入場券なるものを券売機で購入し、厚紙の切符って久しぶりで懐かしいなあと感慨にふけりつつ上野駅構内に入ったところ、メシを食うような店はカレー含めてみんな工事中でなくなっていたのだ。茫然。オレはなにをしに駅に入場したのだ、この入場券に込めたカレーへの思いをどこにぶつければいいのか。食いはぐった。カレーの代わりになにを食ったかは、忌まわしくて言葉にも出したくないのだが、ある種のコじゃれたパンであり満腹中枢を一切刺激しない女子向けのバター成分多目のなにかであった。
●それで帰り道は積雪だ。帰宅してから鍋食った。満足。えっ、カレーじゃなくて。オレのカレー愛などしょせんその程度、クミン一粒くらいのもの。鍋ラブ。
宮市サカティブリュッヘン
●フェイエノールトの宮市亮、初ゴール。これは震える。まだ18歳、これから高校卒業する選手が直接欧州有名クラブに行くんだからスゴい時代になった。実はこれの前の試合の映像が衝撃的で、望めばいつでも相手選手を置き去りにできてしまうかのようなスピードはまさに日本のメッシ。ドリブルで簡単に抜ける一方で、その後の展開がうまくいかないという粗削り感も半端ではない。あっという間にスターになるかも。相手のフィテッセにガンバ大阪から移籍した安田理大がいるのもなんだか感動。
●海外組が多くなって、だれがどこにいるのかよくわからなくなりつつある。えー、マリノスから移籍した坂田大輔はギリシャのアリスで88番背負ってます。早くゴールできますように。
●ブリュッヘン/新日本フィル「ベートーヴェン・プロジェクト」第2回は交響曲第4番&第5番(11日)。第1回以上におもしろかったし、前から順番に聴くという意義を実感できた。特に第5。この曲がどれほど規格外の曲であるかを再認識。第1楽章冒頭の有名すぎる主題の強烈なヘンテコ感。こんな交響曲の始まり方ってあるんだろか。第3楽章から終楽章へと向かってオーケストラを先導するティンパニは陣太鼓に聞こえる。第4楽章の狂騒ぶりはすさまじかった。これはブリュッヘンが気分でオケを煽ったとかいうのではなくて、この曲はこういうものという「設定」なんすよね。この楽章でピッコロ、トロンボーン、コントラファゴットが加わることの違和感というか、反則感も伝わってくる。そしてコーダの過剰な饒舌さ。妙な曲だな。こんなことをやってるんじゃ9番目の交響曲で合唱まで導入したくなるのもムリないか。怪異な曲ばかり書きやがって。的な同時代感を仮想的に満喫しながら次の回も楽しむしか。
「緑の家」(バルガス=リョサ著)
●正月に「年はじめにまず読む本は古典的価値を持つ絶対的な傑作にすべし!」と思い立ち、未読だったバルガス=リョサ代表作「緑の家」(岩波文庫)を手にした、もちろん猛烈におもしろいに決まっている、小説を読む醍醐味を存分に味わえる物語性の豊かさ、それでいてラテンアメリカ的な眩暈感をもたらしてくれる非時系列で進行するユニークな語り口。ペルー沿岸部の町と原始生活が残るアマゾン奥地を舞台にした都合40年にわたる人々の物語が描かれる。4つか5つくらいの話がバラバラに進行しているので、読みはじめは少し慎重に登場人物を追う必要があるが、話そのものは読みやすい。そしてすべてリアリズムの枠内で書かれている(というのが意外だった)。インディオから修道女となった女、町外れに「緑の家」なる売春宿を建てた放浪の歌手、密輸や盗賊を行う日系人、ゴム採取でインディオを搾取する地元のボス……。そんな人々の年代記。
●だが、ワタシがいちばんおもしろいと思ったのは、何族だったか忘れたが地面にペッペッペッペッと唾を吐きながら話すインディオが出てくるところで、なぜそんなに一生懸命唾を吐くのかといえば、彼らの身体言語において唾を吐くことが「ウソをついていない」ことを示すからだ。いいぞ、これは。人は本当のことをいうときは唾を吐きたくなるものなのかもしれない。さっそく使ってみるが吉。
●使用例:編「今日締め切りのはずなんですが、原稿はまだですか?」。筆「いや、そのつもりで準備してたんですが(ペッ!)、家族が熱を出してしまいまして(ペッ!ペッ!)、でももう今晩には必ず仕上がりますから(ペッ!ペッ!ペッ!)」
ブリュッヘン/新日本フィル「ベートーヴェン・プロジェクト」第1回
●ふう。一週間ウィーンの旅から帰国。えっと、ドゥダメル指揮LAフィルとか話題にしてますが、これ取材でもなんでもなくて、聴きたくて自主的に勝手に行ってきただけなので、どこかに記事が載るとか近く来日するとかそういう話ではありません(笑)。4年ぶりのウィーンだったんだけど、楽しかったなー。ユーロ安は精神衛生上も吉。
●で、帰って早々に演奏会へ。ブリュッヘン指揮新日本フィル「ベートーヴェン・プロジェクト」第1回。9曲を順に4回。つまり第1回は第1番~第3番「英雄」までの長丁場。この長さは多少ムリしている感はあるけど、しかし「英雄」までたどり着く必要性があったんだろう。第2と第3の間の大きな飛躍については記者会見でもブリュッヘンが口にしていたと思うが、確かに1番&2番が前フリだったのかと思うほど。ブリュッヘンはゆっくりゆっくり歩くんすよ。で、「英雄」もゆっくりゆっくり指揮台までやってきて、いすに腰掛ける……と見せかけて、なんと座らずにいきなり棒を、いや棒は持ってないから、腕を振った! なんというフェイント。でもオケはちゃんと出た、どうも事前打ち合わせがあったわけではなさそうな雰囲気なのに。拍手を「英雄」冒頭和音で打ち消されて、お客さんはみなビックリ。まさかこんな老いた指揮者がカルロス・クライバーみたいなことをやるとは。「英雄」はお決まりの名曲モノではなく、衝撃的な問題作なのだとあれで宣言されたのだろう。
●多くの人がベートーヴェンの交響曲に期待するような、躍動感や推進力、壮麗さといった要素は限りなく希薄。もっとゴツゴツとした手触りの、寂莫たる荒地のような厳しくて美しいベートーヴェン。特に「葬送行進曲」にはゾクゾク。死者も思わず背筋を伸ばしてしまうような……いやそれではゾンビになってしまうか、でもそんな鬼気迫るモノローグ。しかし老人の独白のようでいて、ユーモアというか茶目っ気もたっぷりで、ブリュッヘンはそこがいいっすね、断然。よく指揮者で棒じゃなくて鼻息とかで合わせちゃう人いるじゃないすか。ブリュッヘンはそれどころじゃないっすよ。口で「シュシュシュシュ」みたいに言ってテンポを示したり、静かにすべきところで「シーッ」って言っちゃったりする、本番なのに(笑)。よいね、よいね。巨匠芸はこうでなくっちゃ。続きにさらなる期待。
ドゥダメル指揮LAフィル@ウィーンその2
●前日に続いてムジークフェラインでドゥダメル指揮LAフィル(ロス・フィル)公演。前半にジョン・アダムズの「スロニムスキ-ズ・イアーボックス」、バーンスタインの交響曲第1番「エレミア」(ケリー・オコナーMs)、後半にベートーヴェンの交響曲第7番。前半は大編成。爽快。バーンスタイン作品は作曲者24歳の曲というのだが、こんなにも深い感動を呼び起こす曲だったとは。もともと作品が名曲なのか、オケの力量が作品の価値を高めているのか。
●で、後半の「ベト7」。あろうことか、第1楽章、高らかに第一主題が奏でられる場面で、ワタシの目の前には「のだめカンタービレ♪」みたいなロゴの幻影が。ああ、そういばここでロケやったんだよな。指揮台に立つドゥダメルが千秋真一に見えてしまいそうな、まさかのカオス的錯乱。恐るべし、映画の影響力。
●この日は舞台上に被さるサイドのバルコニー席だったので、オーケストラがよく見えた。以下備忘録。ヴァイオリンは対向配置。ホルンは4。2+ここぞというところで増強2。コンサートマスターのマーティン・チャリフォーはしきりに視線をドゥダメルに飛ばす。こんなに弾きながら指揮者をよく見るコンサートマスターって。愛?(違う)。前日も感動したが、首席フルートのデイヴィッド・バックという人の澄み切った冴えわたる音色がひたすら美しい。彼がソロを吹くと一瞬フルート協奏曲になる。オーボエは対照的におとなしめ。クラリネットは演奏中に足元のペットボトルから水を飲み、慎重にふたを閉めた。木管楽器は頭をぐるりと後ろから囲むタイプの黒い遮音板を使用。耳栓多し。ヴィオラが皆これでもかとバリバリと弾くのは視覚的にも壮観。ドゥダメルの指揮ぶりはむしろ落ち着いていて、ほとんど煽ることはない。あと、ドゥダメルは意外と背が低い。昔、生でバーンスタインを見てあまりの小柄さに仰天したことがあったが(てっきり大男だと思い込んでいた、その人間的大きさから勝手に想像して)、カリスマと身長に関係性はない。
●ベートーヴェンの7番はパワフルで輝かしく熱狂的。未来の巨匠芸の予感。大胆ではない。作品のサイズが違うので、マーラーほどの深い感銘を受けたとはいいがたいが、客席は大いに沸いて、またもほぼ総立ち、アンコール、一般参賀のフルコース。
●LAフィルのツアーブログ。前回オーストリアに来たときに挨拶代わりで演奏した「美しく青きドナウ」でブーをもらった話が披露されている Pre-Show Anxiety in Vienna がおもしろい。最後の “The Dude” ってのはドゥダメルのことすかね。
ドゥダメル指揮LAフィル@ウィーン、マーラー9番
●ウィーンへ。ドゥダメル指揮LAフィル欧州ツアーはムジークフェラインでマーラーの交響曲第9番。昨晩これを聴いてきた。彼らはセンセーショナルな大成功を収めたといっていいと思う。第4楽章が静かに終わった後、長い長い沈黙があって、その後客席はほとんど総立ち。オーケストラのメンバーが退出しはじめてもなかなか拍手が止まず、最後にいわゆる「一般参賀」があってドゥダメルがふたたび登場した。
●LAフィル(ロス・フィル)は圧倒的に巧い。もう信じられないくらいの合奏能力の高さとソロの巧さ。管が凄まじく達者なのはある程度予想通りとしても、弦もこんなにふくよかでニュアンスに富んだ響きが出せるとは。どう見ても世界最強水準の一角に食い込んでいる。
●とはいえ、このオケの躍進には前任者サロネンの功績特大のはず。マーラーの9番は多くの人にとって特別で大切な一曲だが、これを若い指揮者がどう振るのか。第1楽章がはじまったとき、オーケストラの水準の高さに感動する一方、もう一つドゥダメルが音楽の大きな流れを作っているという感触を受け止められずやや戸惑いも。生硬と言ってはいいすぎかもしれないのだが……。しかし第2楽章は強烈なコントラストをつけながら、がぜん生気にあふれた音楽に。グロテスクなユーモアが冴える。第3楽章は憤怒の音楽だが、猛スピードで吹き荒れる突風もこのオケは余裕で制御可能、スリリング、でも安心安全のスプラッシュマウンテン。で、第4楽章。カラヤンであれバーンスタインであれ、スタイルは違ってもこの楽章は彼岸の音楽として描いてきたと思うが、ドゥダメルはこれを熱のこもった生と美を礼賛する肯定の音楽として聴かせてくれたのだとワタシは解した。めったに体験できないような心動かされるマーラーに。
●曲が終わった瞬間、だれかが後方で「ゴトン」と重いものを落とす音が聞こえた。その瞬間に場内に「ああぁ」と怒気を含んだ深い溜息がいくつも発せられ、それから騒音で受けたダメージを取り返すかのように長い完全な沈黙が訪れた。あれは怖い。
●今晩これからもう一公演。ジョン・アダムズ、バーンスタイン、ベートーヴェン7番。
ナントの「ラ・フォル・ジュルネ」間もなく開幕
●さて、明日よりナントで「ラ・フォル・ジュルネ」が開幕する。今年のテーマは東京と同じく「タイタンたち」。ブラームス、マーラー、リスト、シェーンベルク、リヒャルト・シュトラウスが主役となる。そして今年も「ラ・フォル・ジュルネ」公式レポートブログでは、ナントからのレポートが伝えられる。お楽しみに。
●で、france musiqueは folle journee de Nantesの特設ページを作ってくれているので、また中継してくれるのであろう。興味深い演目が並んでますが、この内どれが東京でも聴けるんでしょうね~。
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●ヴィオラ奏者の今井信子さんが小樽で開いているヴィオラ・マスタークラス、そのニューイヤーコンサートの模様が動画で配信されている。ヴィオラ版プロコフィエフ「ロメオとジュリエット」組曲とかあるんすね。それにしても小樽とかナントとか遠くの演奏がネットで聴けたり見れたり(ら抜き)すると、もうPCの前から一歩も動かなくなってしまいそう。ウソ。ホントは逆で、実物を見るために足を運びたくなるものだと思う。
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●お知らせ。本日より2月7日まで遠出をしますので、当ページはお休みモードに入ります。気が向いたら更新する週間。携帯不可、メール可。